八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

七十路徒然なるままに

2009年08月28日 20時44分04秒 | Weblog
政権交代と声高く聞こえる。票は二票ある。総理大臣が、三人も変わったが、総選挙には、党の名を記入したのだから、任期一杯は、その党が政権を司るのが、当然だろう。今回は、どのような結果になるのか。第一党になった党が、今後、4年間国政を司る。交代とすることは、もしかして、ピンチになるか、混乱はさけられないのかも。今回第一党になった党は、最大4年間は、国政を司るので、その党の、国民との約束は、実施されなければならないのだろう。大風呂敷を広げたような党もあれば、そんなに広げてもできっこないぞぉ、と云う党もある。事の善し悪しとも、つけは、国民に回ってくる。物騒な、近隣国もあるようだ。その党は、どのようにして、この日本を守ろうとしているのか。アメェバー的存在で、考えてもしょうがないかぁー。画像は21日にも載せたもの。無用の言論と承知をしている。


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七十路徒然なるままに

2009年08月26日 17時22分27秒 | Weblog
日の丸を、切り張りして、掲げたと、ちらっと新聞でみた。野球でも、サッカーでも、陸上でも、柔道でも、そのほかのスポーツでも、世界競技にでるときは、日の丸を背負ってとか、ユニホームに付けて、戦っているのだと思う。その日の丸を切り貼りするとは、驚きだ。どんな感覚をしているのだろうか。「政権交代」を叫び、国を任せてと云っているのに。大丈夫がぁ。小生、ちょろっとだけだが、国にも納税をしている。「税なんかぁ、納めでられっかあ」なぁんて、云ったって、しょうがないのは、承知している。
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新撰世の中

2009年08月21日 17時47分03秒 | Weblog
[春蛙秋蝉]=しゅんあしゅうせん=うるさいだけで役に立たない無用の言論=と新明解にある。マニフェストとか、候補者の意見を、報道や新聞で見る。直接、我が身のためになるものはと、読んでみる。政権が変わればと、よく見ることがある。選挙が終わって、すぐにいいことずくめでないことは、百も承知している。小生の今の「苦」から変わるのは、「死」か、それとも、「増税」か、「減税」か、それとも年金額が、増えるのか。現実的な、こんなことは、誰も言っていない。人生薔薇色になる「楽」は無いのかも。祖父の教えの「楽すれば 後で苦あると 思うべし 苦あるあとには 楽の世の中」ってゆうのがある。金銭的に「楽」になるのは、減税か、年金の額が増すことだが、そうはいかない。節約、倹約、それもだめなら、霞を食ってしのぐしかない。かすみが出るのは、いつだっけ。こりゃ、支離滅裂だなぁぁってがぁ。
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七十路徒然なるままに

2009年08月17日 20時22分18秒 | Weblog
またまた「しがみつく蛙」。こっちの方の表情が面白い。「人間どもは、井の内の蛙、大海を知らずなどと、云っているようだか、俺はこうやって、世間の情勢を覗っているのだぞぉぉ-」っていう表情なのかなぁ-。小生七十五年、「生きている」のか「生かされている」のか。なにかにしがみついて、生きてきたのかと、自問をしてみたって、無為にしていたことは、事実なので、いたしかたのないこどだ。日本とゆう国が、アメェバ-的な小生にも、税とゆうものが、しがみついているのが、現実だ。近々国会議員の選挙がある。マニフェストとか、ゆうものだが、カタカナ文字が解らない小生は、「絵に描いた餅」と、解釈している。「画餅」の大小は、即、税の額となるのかと、考えてしまう。しがみつかれている「税」からは逃れられない。ちよっとだけでも減税をと思っている。それとも、納付した年金の額にみあった額が、受け取れないのものかと、思っている。「しがみつく蛙」から、こんなこと書くとは、「支離滅裂」だと、自嘲している。
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気象の変動

2009年08月08日 11時31分29秒 | Weblog
前回に続いて。この雨蛙は、背中を灰褐色に変化させる、こともあると云う。「ひなび」に見えたのは、確かだった。雨蛙は、季節観測の初見の項目に、入っている。植物の開花、出芽、黄葉の日を、動物では、初鳴き、初見を観測することによって、季節の訪れの、早い遅いを知るという。十一年前の、平成十年も、今年と同じ旧暦の五月が二回ある年だった。小林弦彦氏によれば、夏は「長雨、冷暑混在の長い夏」。秋は、いつから秋になったかわからないようで、樹の葉の紅葉は、十二月まですれこんだ、と云う。当地方、立秋が過ぎたが秋への変化は、九月十七日頃かなぁ-。当地夏祭りのイベントの最中、七夕飾りの見物の人出で賑わい、午後からは、「ドン ワッセ」の踊りで、賑わうことだ。きのうは大雨、今日も梅雨空。折角の祭りなのだから、降らないでもらいたい。七夕ならば、天の川も、牽牛星も、織姫星も、きれいに見えるではないかと、やっかんで見てもしょうがない。旧暦の行事なのだから。と、自戒している。
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七十路徒然なるままに

2009年08月05日 20時29分42秒 | Weblog
前回の続きで、同じ日に撮ったもの。今日はちょこぉぉ-と葉っぱに乗っかっていた。最近雨が降ってないので、じょうろで水をかけると、いやなのか、とぽっ、とぽっと別の葉に移った。背中をはじめ体全体は、もっと緑緑している。こうして見ると、愛嬌があるのかなぁ。別の話。先月はじめに、早めの梅雨明けかと、予測をしたが、当地方はまだ明けてない。そろそろかと思う。当地方はちょつと暑いと、感じているが 
ほかの地方は猛暑のようだ。八月、九月は暑いかも。もしかして、十月も暑いのかなぁ-。暑さの覚悟を、しなくてはと思っている。
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七十路徒然なるままに

2009年08月02日 18時41分20秒 | Weblog
「濡れ石塔 ひなび雨蛙 しがみつき」駄洒落句の披露です。2007年6月21日と、2009年7月4日に、拙いブログに「おお欠伸」を掲載したとき、一緒に作句をしたものだった。法要があった、寺の池での情景だった。あまりにも作意が、感じられ過ぎるなぁ-と思っていた。きのう、こんな画像が撮れた。まさしく「しがみつき」だ。草花を支える支柱の、てっぺんにしがみついている。それも地上から、70センチのところだ。何枚も接写してたら、横向きになったり、後ろ向きになったり、ちょこちょこ動いて、最後はぴょこぉ-んと、飛び降りた。雨蛙なんか、ここ街の中で見るのは、珍しい。どこから来たのだろうか。住み心地はどうだと、聞いてみた。ちよっと長閑なひとときだった。それにしても、句は「下手の横好き」だなぁぁと、自嘲をしている。
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