八十路徒然なるままに

すざまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日のあまりの空こそ、心ぼそきものなれ。徒然草より

今日は暖か。

2016年03月31日 20時20分48秒 | Weblog
陽射しは、春。しかし、春かすみだった。北風が、冷たくふいていた。なんか、砂ぼこりのようだつた。車で走行。信号で停車中、桜並木の中に、一本、葉が赤い木があった。フロントガラス越なので、ピントは合っていない。春本番は、間近い。三月も終わる。明日から、気分を変えて行くことにする。
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当時に、市役所からのお知らせ

2016年03月31日 20時03分27秒 | Weblog
原発事故が発生した当時の、三月27日に、配布したものの、一覧表、右側。その頃は、まだまだ、食糧品の不足が続いていた。一般市民に対して、公民館で、ご飯、パン、カップ麺の、いずれか、一品。飲料水は、一本を、希望者に配布した。粉ミルクや、紙おむつは、問い合わせるようにとある。放射能測定値では、いわき市は、1.16とあり、線量は下がっている。でも、まだまだ、不安であった。当時の三月15日、11時に、第一原発から、20キロから30キロ圏内は、屋内退避指示があった。このことは、後々になって、知った。屋内退避指示は、四月の22日に、原発関連の規制区域外になった。もう二度と、事故が無いことを、願っている。
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さすが、大相撲

2016年03月31日 12時02分18秒 | Weblog
大相撲を期待して、見ていたら、まばたきする間に、相手が、すっ飛んでいた。横綱同士の、がぶり四つを期待していた。期待する方が、違っていた。観客が、何を期待しているのか、わかっているのだろう。その、考えで、勝ちに行ったのだろう。期待をしても、期待は、はずれるのは当然のこと。興醒めの取り組みと、思ったって、なにもならない。「一度、離れた心は二度と、戻らないのよぉ、もとにはぁ」って、唄ってみっかぁ。これ、また、失礼しました。
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蕾のまま

2016年03月31日 11時35分06秒 | Weblog
三月が終わる。年度末なので、一年の締めくくりでもある。原発事故は、間接的な影響が多くある。時代の変化なのだとするしかない。大震災では、家屋の破損もあり、修復には、多額の費用がかかった。まあ、住めば都と思っている。原発事故による損害は、重くのしかかっている。やりばのない怒りで、年度末になった。嘆いてもしかたのないこと。いっそ、「日本、死ねぇ」って、やってみっかぁだ。先日、福島第一原発から、取引があつた20キロ圏内へ、気持ちの整理で、行ってみた。七店舗は、無人の気配だった。唯一店は、自宅の改修をしていた。ちょうど、見回りに来ていた。長年世話になった礼をした。もう、会うことは無いだろうと、お互い、健康に気をつけてと言って、分かれた。陽気は春だが、北風が強く冷たい。重苦しい春の感じだ。
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市役所からのお知らせ

2016年03月29日 20時18分53秒 | Weblog
原発事故があった、当時の三月20日に、配布したもの。当時、お知らせを配布して歩いたとき、歩行困難の人がいて、心配をした。話しを聞くと、子どもが、戻ってきたと。「食事が大変ならば、もらってきては」と、話しをした。生活物資と食糧の配布の知らせは、何回かあった。わが家は、食糧品も、生活物資の買い置きがあった。お知らせをコピーする用紙も、買い置きがあった。直接には、困ることはなかった。しかし、今も、目に見えない、原発事故の影響は、大きい。
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ヨウ素剤

2016年03月26日 20時22分41秒 | Weblog
画像は、原発事故が発生した時に、市役所からの「お知らせ」の中の一枚。どの「お知らせ」が、必要なのかを、見定めているところへ、若いお母さんが、「ヨウ素剤、どこでもらえんのぉ」と、息せききりながら、駆け込んできた。若いお母さんは、放射線の恐怖が解っていたのだろう。ヨウ素剤の用法の中に、副作用のリスクがあるという。原発の立地に、近い人は、万が一のために検査しておくべきのなかも。当時、原発の建屋の爆発を、「対岸の火事」だっぺえと、テレビで見ていた。「対岸の火事」どころではなかった。もう、二度と、原発事故が発生しないことを、願っている。
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君子蘭

2016年03月25日 19時57分21秒 | Weblog
今年も咲いた。年々歳々花相似たりというが、水やりしかしていないが、毎年咲いている。病に倒れる前のばあちゃんが、手入れをしていた。先日、日向ぼっこのついでに、見せたが、ちらっと見ただけ。もう、記憶にないのかも。「年々歳々花相似たり」の後段は、「歳々年々人同じからず」という。ばあちゃんも、一年一年、体は衰えている。苦しんで、この世を去るのか。枯れ木の枯れるように、静かに去るのか。早かれ遅かれ、その時がくる。それまでは、延命させる手だてだけはする。「親孝行、したいときには、親はなし」ということもある。「親孝行、するもしないも、金次第」ということもある。ばあちゃんが、この世を去る時は、ばあちゃんは笑って、周りの人は、涙を流す。こんな情景になることを、願っている。
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原発事故から11日

2016年03月25日 19時29分30秒 | Weblog
前日は、避難先から戻った。記憶をたどれば、街中の様子を見に行った。車の往来は、普段通りのようだった。人の行き来は、まったくない。町はずれにも行ったが、人影は全くない。海岸添えの、取引先の様子も気がかり、しかし、幹線道しか走れなかった。津波に襲われ、破壊されている。画像は、原発事故から、11日目の、三月21日の、市役所からの、お知らせの表題。一件につき、35枚、八件計、280枚コピーするので、小一時間かかった。ホッチキスで留めて、配布して歩いた。画像の左側の、放射能測定値をみて、体に取り入ってしまったら、どんな症状になるのか。体のどこが痛くなるのかなぁ、くらいしか考えていなかった。配布したある家では、「放射能は、どっからくんのかぁ」と、聞かれた。今となっては、笑い話だ。放射能に汚染された水を入れたタンクの、多さを、除染した土を入れた袋が、山積みしてあるのを、テレビで見ている。
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避難をして六日目にもどる

2016年03月24日 20時47分35秒 | Weblog
前日、車に給油ができて、いわきに戻る。朝食をいただいて、寝具や、介護に使うもの、ばあちゃんを車椅子に乗せたまま車に乗せて、世話になった礼もそこそこに、帰途についた。四号国道を南下。「軽油」とかいた段ボール板を見て、引き返して、満タンにしてもらった。郡山から、49号に入り、いわきに向かった。道の駅「ひらた」で、トイレ休憩。終了まえの食堂で、熱々の山菜そばで、昼食をした。ばあちゃんには、冷たいお茶と、いただいてきたお握りで、昼食にした。いわきにちかくなり、車の往来も多くなり、平常の生活に戻ったかなぁと感じた。帰着して、荷物をおろし、ばあちゃんを、ベットに寝かせた。すぐあと、市役所に、お知らせを取にいった。画像の左側が、配布したもの。避難中、ばあちゃんは寝たままで、排便もままならなかった。すっきりするのは、ポータブルトイレを、使う。ベットからは、リフトを使って移す。ばあちゃんは、ヘルニアにもなっていたので、排便には、気をつけなけれは、ならなかった。
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彼岸が、すぎても

2016年03月24日 20時22分32秒 | Weblog
今日も、北風が冷たい。テレビは、暖かい地方のニュースと、積雪のニュースを、報じている。今の季節は、三寒四温なのだろう。寒暖を繰り返して、春になるのだろう。経験則に、暖冬は暖春につながらないと、いうこともあるようだ。画像は、21日に、あるお寺の境内の枝。枝が下がっているので、しだれ桜なのだろうか。
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春をさがして

2016年03月23日 20時29分37秒 | Weblog
今日は、送り彼岸。ふと思い出して、知人が眠っているお寺に、線香を手向けに行った。えっ、咲いていると、カシャッとした。周りの木々は、まだ、枯れ木のようだ。よくみると、芽吹いている。暑さ寒さも彼岸までというが、今日は、冷たい北風が吹いている。寒さにめげずに、咲く花もある。季節を忘れずに、「年々歳々、花相似たり」だなぁ。表題は、ちよっと気取ってみた。
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避難して五日目

2016年03月23日 20時01分17秒 | Weblog
避難をして、五日目、三月19日。原発の事故も、冷却する水も入っているようで、テレビの画面では、新たな問題もないようだった。いわきに戻るための、車の燃料も補給できないなぁと、思案投げ首をしていた。避難が長くなれば、生活物資もなにかと、必要になる。自転車を借りて、スーパーに行くと、出かけたら、すぐ近くの、ガソリンスタンドが、あいていた。急ぎ引き返して、車の列に並び、軽油を、約20リッター、給油できた。給油の場所を、聞きにいった市役所の担当者のヒントが、理解できた。とりあえずは、我が家に戻れると、安堵をした。画像は、当時、給油所を探していた時のもの。後々になって、本で読んだことなのだが、原発事故が発生したすぐ後に、原子炉の冷却のために、消防車の派遣を自衛隊に要請をしたという。発電所に備えてあった消防車は、津波にやられてしまったという。自衛隊の消防車は、道路の破損もあって、迂回を四回、五回と繰り返して、やっと、朝方に、原発の門の前にたどり着いたという。そのころ、総理大臣の視察と重なって、数時間、足止めされたとか。一刻を争う時なのになぁと、読んだ。
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街路樹の花

2016年03月22日 20時30分31秒 | Weblog
陽気は春だが、風邪が冷たい。車の冬タイヤを外した。この冬は、一回も雪道を走行しなかった。まあ、暖冬だったのだろう。経験則で、「暖冬のあとは、低温の春」と、いうこともあるようだ。季節の巡りも、多少の早い、遅いはある。地球温暖化もあるかも。画像は、街路樹の白い花を、カシャッとしたもの。花の大きさは、昨年と比べると、小さいかも。木の根の先は、舗装道路の下になっている。陽当たりのいい、街路樹には、ここのところ、雨が少ないのかも。、
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五年前の17日、18日

2016年03月22日 19時56分46秒 | Weblog
ここの一週間は、体調不良だった。ブログもご無沙汰。下書きをしていたが、まとまらなかった。原発事故で、避難をして福島の妹の所に、世話になってから毎日、原発が今後どうなっていくのか、テレビで見ていた。陸上自衛隊ヘリコプターによる、三号機への、水の投下を見ていた。当時の17日の午前中は、市役所に、給油ができる場所を、聞きに行った。どの給油所はわからないが、広い大通りは、渋滞のこともあるし、考慮しなくてはとのことだった。これが、ヒントだった。翌19日に、住宅地に近い、ガソリンスタンドで、車に給油が出来た。避難が長引けは、生活物資不足も、心配になり、自転車を借りて、コンビニやスーパーに行ってみたが、何もなかった。コンビニは、ひとり2個だけずつ、おにぎりの販売がある知らせが、貼りだしてあったり、栄養ドリンクと思って買ったのが、風邪薬だったりした。画像の左側は、いわき市からの、「東日本大震災から一年。いわき市の記録」から、転載。画像の右側は、市役所からの「お知らせ」を転載。
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避難して二日目

2016年03月17日 20時01分03秒 | Weblog
原発事故で、福島に厄介になった翌日、三月十六日、車の燃料補給で、ガソリンスタンドを探してみたが、駄目だった。雪空から、吹雪いて寒い。車の列に並んでみたが、エンジンを切って、燃料を節約したので、車の中でも、防寒対策をしていた。結局、並ぶのは、無駄だった。その後は終日、テレビの放映を見ていた。掲載の画像は、先日、NHKテレビで放映があったもの。避難先で見ていたのは、原発建屋が、爆発で、噴煙が立ち上るのだった。爆発の実況映像には、驚いた。安全神話を、聞いていたので、まさか、まさかだった。当時、いわき市は、市独自の判断で、30キロ圏内を、避難をさせた。当時、政府からは、屋内退避の指示だつた。避難の恐怖は、今も忘れてはいない。当時、いわき市の市街地は、車も人も、消えていた。当時の福島市は、車の往来もあり、人の行き来もあった。普通の生活のように思えた。実際は、放射線は、風向きの関係で、いわきより、線量の値が多かったようだ。
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