在宅のばあちゃんは、今年も平穏無事で、新年を迎えられる。これといった、心配することもなかった。床ずれの始まりなのかと、米つぶ大の水疱は、ちょっと気にかかるが、皮膚を丈夫にするには、梅干しが良いのだろうと、白い五分粥に、梅干しの、味付けにして、素人考えで、食べさせている。新年を迎えると、百七歳の誕生日、八月を目指す。昨日は、お正月を迎える飾り付けも終わった。我が家は、平穏だったが、世の中、異常状態が続いている。近所に、関東圏の車が、駐車している。この方が心配事。原発事故が発生した時、避難をした人が、福島ナンバーの車は、嫌みを感じたという。当時、関東圏のメーカーの営業担当と、話しをした時、何か他人事のような口ぶりに、むっとして、「関東圏に送電してんだよ」と、言っことがある。別のことななってしまいました。明けた年は、皆様方はじめ、世の中が、平穏無事になるよう、祈念をしております。拙いブログに、ご来訪していただき、誠に有難うございました。
初夢に見ると、縁起が良いとされるもの、「一富士、二鷹、三なすび」を、並べた言葉という。手拭は、お正月の挨拶に使った。今は、タオルを使ようになった。画像の、なすびは、なんでだろうのぁと、ぺらぺらと、ものの本をめくってみたら、「茄子の花と親の意見は、千に一つのも無駄がない」というのがあった。まあ、どうでもいいことです。正月の二日の夜は、自分が見たい夢を書いて、枕の下に置いて眠る。その夢を見るのが良いようだ。この歳になると、夢より、現実的な願望のほうになる。いろいろと考えても、成るようにしかならない。でも、いろいろと考えなくては、成らない。まずは、我が身を、いたわる。来る年は、どんな変化が、あるのだろうか。明日は、正月を迎える飾りと、鏡餅を飾る。
正月に、画像の、お神酒をいただく。説明文によると、「新嘗祭、御神酒田によって収穫した新穀を用い、新嘗祭御神酒謹醸蔵にて、古式ゆかしく、心をこめて醸させていただきました。毎年秋に宮中に献上。濁酒で沈殿する。」とある。例年通りに、注文をしていた、鏡餅を、明日取りに行く。玄関用と、神棚用と、仏壇用。小さいのは、ばあちゃんの部屋と台所、浴室、それと、離れた所にある氏神様と井戸に供える。猫の額ほどの土地だが、少しの賃料が入る。数年前、氏神様の社を新しくした。社と土台の間に、年賀はがきに自書した恵比寿様を、挟んだ。これが効をそうして、わずかだが、収入になった。鏡餅には、橙を載せる。みかんで代用をしているが、やめるとする。鏡餅には、橙と、ゆずり葉と、裏白と、こんぶ、四手で、飾る。明ける年が、平安であるように願う。
年賀はがきを、ポストに投函をした。素材集の花鳥画から、すずめの図柄にした。画は、すずめだろうと、思う。落語に、「抜けすずめ」と、いうのがある。むかぁし昔、みすぼらしい姿で、村外れの旅籠に、客引きされて宿泊をして、朝晩、酒をたらふく呑み、無銭飲食をして、ついたてに、五羽のすずめを書いて、一羽一両だから、五両だぁと、後々戻るから、それまで預けておくと云って、立ち去った。宿では、夫婦喧嘩で、大騒ぎ。翌朝、宿の主人は、二階の部屋の雨戸を開けると、朝日が差し込み、ついたてに書かれていたスズメが、ちゅっちゅつちゅっと飛び出し、餌をついばんで、ついたてに戻ったという。この話しが広まり、押すな押すなの泊り客で、大賑わい。これを聞いた殿さまがきて、飛び立つ様子をみて、一羽千両、五千両で、買い上げると言ったが、預かり物だと、断った。ある日、老人が訪ねて来て、ついたてをみて、スズメは死ぬぞと言い、止まり木と、籠を書いて立ち去った。そのあとになつて、スズメを書いた本人が戻り、五千両の値が付いたのかぁと。止まり木と籠を書いたのは、父親で、「親を、とうとう、駕籠かきにした」というのが、落語のおち。スズメが、五千両という、景気のいい話し。でも、画像の年賀はがきを受け取った人は、たぶん、「あいつ、なに書いてんだぁ」と、思うのだろう。これを見ながら、怪訝な表情をしているのを、見たいものだぁ、です。
年末に差し掛かつた。毎日が日曜日で、過ごしている。画像は、年賀はがきの、賀詞を書いたついでに書いた。あちらこちらと、ブログを拝読していた中に、「昨日またかくてありけり――」と、昔し読んだのを、思い出して、載せていた方があった。仕事をしていた頃は、これを、思い出していた。いいことは、続かない。仕事が空回りしたり、ついてないなぁと、感じていた時に、昨日も、今日も、明日もだぁと、これを思い出し、まぁ、ちょっと落ち着いて、一息入れてぇと、していた。呪文のようだった。島崎藤村の、千曲川旅情の歌の一節で、「小諸なる古城のほとりーー」が始まりで、その「二」にある。かなり長い詩なので、全部は、思い出せない。現在のわが身も、在宅ばあちゃんのこともあって、悩むこともある。でも、「明日をのみ思いわずらう」ではなく、「明日がある、明日がある、明日があぁるぅさぁ」と、思っている。在宅のばあちゃんは、元気、元気でいる。介護はまだまだ続く。藤村には、はなはだ失礼のことだが、小生の昼食は、今の時期は、蕎麦。昨日も蕎麦、今日も蕎麦、明日も蕎麦。この命を長持ちさせるには、これが一番としている。気持ち的には、日々、あくせくしない。それにしても、齷齪とは、難しい漢字だったんだぁ。
画像は、シコンザクロ。八月から十月が、見ごろだつた。花の後、実が付くとあったが、落ちてしまった。別のことだが、昨日は、立冬で、太陽の折り返しのと書いた。一月一日は、前世界中、一月一日なので、ものの本を、ペラペラしてみたら、「今となってみれば、一月一日は天文学的にも意味のない日になってしまった。」と読んだ。一年は、365日と端数がある。四年に一回の、閏年がある。難しい計算があるようだ。
年賀はがきに使う賀詞を書いた。あれこれとしたが、右のを使う。あえて、紺色の筆ペンで書いた。謹賀新年が、一般的なのだが、知ったかぶりをしてみた。迎春とかの二文字は、略語なので、受け取る側には、失礼とのことだ。四文字で、一陽来復もある。別のこと。今日は、冬至で、この日を一陽来復として、一年の始まりにと、考えられたこともあると読んだ。現在使っている暦は、太陽暦法のグレゴリオ暦、1582年に、ユリウス暦を改暦したと、読んだ。日本では、1685年に、国暦ができたという。1872年12月2日まで、太陽太陰暦を使っていたという。明治政府は、明治五年12月3日を、明治六年一月一日と、改めグレゴリオ暦を採用する改暦をしたと、読んだ。あちこちを拾い読みしました。間違っていたら、ごめんなさい。
これも、前掲と同じ日に、撮ったもの。21日は、冬至になる。冬至の日は、昨年は、22日、来年も、22日。太陽の動きで、ちょっと、ずれたのかも。冬至は、昼間の時間が、9時間と38分間になる、最も短い日。当地方は、日の出が、6時45分頃、日の入りは、ごご4時23分頃。数字は、数分、違うかも。太陽が、最も斜めの所から、光が届く。太陽のエネルギーが、一番少ないので、これの影響は、45日間後というので、立春ころが、一番寒いという。冬至冬中冬始めと、いうので寒さは、これから、まだまだ続く。冬至は、「一陽来復」といわる。春への転換点。歳のせいで、年末は、ことさら、うら寂しく感じる。木枯らしが、もがって、吹き荒れている。
在宅介護中のばあちゃんが、服用する薬を、調剤してもらっている薬局から、いただいた。正月には、お屠蘇を飲むと、聞いていたが、飲んだことは無い。説明文によると、長寿をはかる。年始客には、必ずすすめる。病、まだ病まざるうちに、是を治す、とある。材料は、山椒、果皮、桂皮、みかん皮、桔梗根、浜防風、おけらの茎葉。それぞれに、薬効があるのだろう。みかんの皮は、内側の白い筋は、血圧を下げる働きがあるという。「おけら」は、一文無しのこととだと、覚えていた。でも、「おけら」という薬草があると知った。利尿、健胃薬になるという。山椒は、七味唐辛子に入っている。胃液の分泌を盛んにする。回虫駆除の働きもあるとゆう。内臓の新陳代謝で、体の中の清掃するのだろう。そもそもは、唐の時代のお医者さんが、流行り風邪の予防のための薬として作ったのを、年末に贈呈したのが、始まりで、旨いと評判となったのが、続いていると読んだ。延命長寿を願うというのだが、ばあちゃんには、飲ませない。新年になると、107歳を目指して、生きる。本音は、もう、十分に生きている。107を、目指しての介護が続く。
画像は、年賀欠礼のはがき。今年も多い。葬儀に行ったのは、3件。コロナ対策で、簡略で、焼香が済めば、そのまま、お帰りのが、一件。親戚のは、通夜の儀式と、告別式から埋葬まで、列席して、見送った。差出人とは、顔を合わせる人もあり、今では、新年のはがきの、やりとりだけのもある。年末の、うら寂しさが、増している。
在宅介護中の、ばあちゃんのおせち。20日頃に到着する。歳なりに元気でいる。旨そうに食べられるようだ。毎年、これが最後の正月の、お祝いなのだろうかと、考えている。日々、食べられるうちは、元気でいられる。突発的なこと、例えば、誤飲をする、食べ物を、のどに詰まらせる。これらは、気を付けていればいいこと。コロナ禍で、介護サービスや、入浴サービスや、看護が、受けられないとかも、心配をする。市外の人々との、接触は、事前に、それぞれに、相談するようにと。予防のことは、それぞれの事業社から、連絡がきている。元気でいるといつても、脳梗塞、類天疱瘡、高血圧症の薬は、服用をしている。再発症しないよう、願うだけ。
今年、最後の写経会があった。今年は三月と、四月と、今回の三回で、四月は、コロナのこともあり、欠席をした。五月からは、休会だった。写経生とは、久しぶりの再会。皆さん元気、元気。聞くと、会とは別に、希望をして、写経をしていた方もおられた。法話は、普通の日常が、このコロナ禍で、当たり前のことが出来なくなっている。当たり前ということの、裏側は、ありがたいということ。感染防止が、通常になつている。世の中の変化が、急になっている。変化が当たり前になつている。これが当たり前と思うと、日々の生活が、ありがたいことと、なるのだろう。コロナにも、フンエンザにも、感染しないことを、願っている。早いもので、今年も、あと20日余りとなった。小春日和だったり、急に木枯らしが、吹き荒れたり、冬なりのお天気なのだろう。本格的な冬の到来は、15日頃からと、へぼ予測をしている。ご来訪の皆さま方、向寒の折、ご自愛ください。
前記の今日は何の日の、書き出しの部分の、「八十年前」は、正しくは、「七十九年前」です。来年の暦をみてました。ボケの一つと、ご容赦ください。
今日は、八十年前の、12月8日は、アメリカに、戦争を仕掛けた日。戦中戦後の、一般生活のことは、うすうすしか覚えていない。後々になって、昭和39年に、朝日新聞社発行の「マッカーサー回想記」を読んだ。画像は、その中に、記載されている、「1945年11月1日開始する予定だった、日本本土上陸作戦の図」。その年の、5月25日に、九州へは、11月1日に、「オリンピック作戦」、日本本土へは、「コロネット作戦」と、称して、攻撃を開始する命令を発したと読んだ。全体の作戦名は、「ダウンフォール」という、暗号名だと、読んだ。八月の十五日に、戦争は終了したが、七月の25日に、日本が、降伏か、壊滅かの選択をする、「ポツタム宣言」が、発せられたが、日本か、もたもたしている間、日本各地を最大の空襲をしたと、読んだ。八月の12日に、攻撃活動の停止をしたが、13日になっても、日本の回答がないので、日本各地への、攻撃活動を再開、空母積載機1000機が、東京に最後の空襲をおこなったと、読んだ。広島と長崎へ、原子爆弾投下は、戦略空軍が、おこなったと、読んだ。八月の15日に、日本からの、最終的な降伏通告で、戦争が終わったと、読んだ。かなり省略してます。ご容赦ください。