夏の台風が、西に向かって、大荒れとのこと。各地で、被害が出ないようにと、願っている。昨日、日の入り前、西の空が、やたらと夕焼けだった。猛暑中なので、クーラーの世話になっている。部屋をでると、セミしぐれが、聞えてくる。そのセミも、じぃじぃじぃじぃじぃの中に、みぃーんみぃーんみいーんも聞こえ、夕方には、カナカナカナカナも、聞えてきた。せみも、とまどっているのかも。おかしな、お天気だぁ。世の中も、おかしくなってんのがなぁだ。
スーパーに、地元の農家のものが、並んでいた。買った時は、、薄ピンク色だった。翌朝には、赤くなって、食べ頃になっていた。形は、不揃い、へたは硬い。だが、この手のものは、とまとの、本来の味がある。まあ、旬の味なのだろう。今はないが、ずーうっと前は、手押し車で、野菜を売りに来た。十年前は、週に一回、車での、移動販売がきた。手造り豆腐と、寒い間はシジミか、あさりは、定番でだった。旬の野菜もあった。トマトは、食べ頃になるまで、赤く熟くして、そのあと、冷す。薄皮を剥くのが、苦手ではある。
変なものが、入り込んでしまった。どおすりゃいいのかあ、思案橋なんて唄ってみたが、なんとか危うきに、近寄らず。訳が分からない時は、シャツとダウンだぁとしてみた。画面が消えない。仕方がなく、パソコンのスイッチを切った。ちょっと前に載せたものは、毎回、現れる。もぐらたたきのように、えぃっと、マウスで消している。あの手この手で、年寄りを、化かそうとしているのだろう。もぐらたたきは、当分、続けていく。
いただきもののウナギを、食べた。義弟から、四十数年、毎年この時期に届く。義弟は、ずうーっと前は、シラスの輸入に携わり、規制によって、成魚を、成魚の後は、大手スーパーへの、加工品の販売に、携わっていた。プロ中のプロだった。加工品には、「背びらき」と、「腹びらき」があるとか。届いて食べると、骨がまったく無いほど、柔らかい。この夏、五回ほどは、家族で食べられる。画像の、ウイスキーの水割りは、下戸なので、お猪口一杯を。ちょっと前に、通ぶって、ストレートを、ちびりちびしたら、胃通と、口内炎。内科医院では、胃痛と口内炎は、関係ないと、口内炎の塗り薬と、錠剤が、処方があった。「土用」とはなんて、辞典を開いた。なるほどそうなのかぁで、陰暦の立秋前の、最も暑い18日間を云うとある。陰暦かぁ、まだまだ、猛暑が続くのかぁ。
吾輩は、アマガエル。ここのところの、日照り熱波で、水の音をたよりに、へばりついてみたが、水の所には、たどりつけない。人間は、吾輩のことを、水の中で、生きていると思っているが、樹上で、生きているのだぞぉ。吾輩も、日照りで、どこをどお、さ迷って、こんなところにきたのか、とんと、わからない。人間どもは、この暑さでも、鉢木に、水やりもしない。この分では、あと5時間も、こんな状態ではいられない。へばりついていても、しかたないので、ひょいと飛び降りてみた。足の裏が、やたら熱く、火傷しそうだ。二本足を使ってぴょいと、飛ぶこともできない。足を一本づづあげて、よたよたよたと、鉢木の下に、たどりついた。雑草をなめてみたが、水滴などない。太陽がかげってからの、水やりをまつしかねぇなぁで、じっと、我慢するしかない。小生も、ここのところの猛暑で、おかしくなっている。「へぼ筆字ポツポツ記」の仕上げで、ちょっと、ご無沙汰。110頁を、ドリルで、三か所穴をあけ、和綴じ状にして、製本テープで、仕上げた。
西の地方で、大雨と河川の氾濫で、大被害と、報じられている。被害にあわれた方々に、お見舞い申し上げます。河川の氾濫は、他人事ではなく、当地は、2メートルの水没するかもと、ハザードマップが、届いている。ちょつと前だったが、市役所から、メールが届き、近くの河川の水位の上昇を、ネットで見ていた。深夜になっていたので、避難はできない。在宅のばぁちゃんを、二階に、おんぶをしてあげる。おぶい紐に使う、晒の反物を取り出しておいた。パソコンに貼りつき、水位の情報に、不安を感じた。河川の上流の観測点の、雨量の減少や、水量の減少を見て、近くの観測点での、水位の減少が見られたので、安堵をした。家族にも、大丈夫になってきたと、伝え、床に就いたのは、午前2時半をまわっていたと、記憶している。画像は、アジサイ。ちょつと前にカシャッとした。花の色が、淡空色から、青紫色に、淡紅色に変わる。旧暦の雨の期間が終わり、明日は、旧暦の六月一日で、夏の期間になる。猛暑は、これからだ。
料理しなくても、食べられる。ずうーつと昔は、塩だけで、浅漬けしていた。塩にも、味が付いているのがあったりだ。最近は、浅漬けの元があって、簡単に漬けられる。表皮が硬いのがあるので、ところどころ、皮をそいで、食べる。今の時期は、安価のが、並んでいる。それを買って、塩漬けに、それを味噌に漬ける。味噌には、砂糖を加えて、食べやすくする。ほぼ一年過ぎの、初夏になるころ、食べることにする。ひと月前に、味噌付けしたのは、味噌の味がついて、食べられるかも。漬物の、塩分の取りすぎに注意する。一年中、食べられるきゅうりは、夏が旬だと思う。太陽の恵みの味わいも、今なのだろう。スーパーには、地元の農家産というコーナーに、並べられているのがあれば、買ってくる。そういえば、昔ぁーしは、苦味があり、へたの所を少し切って、擦り合わせ、白い泡がでる。それが、苦味だった。品種改良や、肥料のやりかたで、苦味が無くなったのかも。
画像は、福島民報より。高校野球は、現代は現代なりの、感動がある。47年前の、磐城高校の準優勝の感動は、今も思い出す。後日に聞いた感動的な場面がある。夏の大会の閉会のセレモニーが、すべて終わり、選手も退場の隊列を組み、待っていたとき、主将の田村投手が、小走りにマウンドに向かい、しばし、ホームベースをじいーっと見たという。ざわついていた、応援団も、その瞬間、しぃーんと静まりかえっていたと聞いた。小生の父親は、大正12年だと思うが、県を勝ち抜き、東北大会に出場。しかし、2対1で、敗戦。その時の、1点は、父親のヒットだと、聞かされていた。父親の法要が、今年の、二月に行ったが、八つ手の葉っ葉みたいの、ぼろぼろになつた、グローブがあったなあだった。磐城高校が、春夏の甲子園に出場するときは、「先輩」って、奉加帳が、回ってきたと。「子どもさんも、皆、磐高だねぇ」と、言うので、野球部ではないが、5人分の額だと、言って笑っていた。小生の末弟は、今でも、シニアのクラブで、汗をかいている。
披露するほどの物ではない。書道塾に通っていた時使っていた。右は、鉄で重い。長い紙に書くときは、押さえががきいてよかった、左は、石製。半紙に書くときに使った。懐かしくながめた。今回、へぼ筆字ぽつぽつ記を、作る。版下まで、できた。製本して、出来上がれば、受け取る方は、ありがた迷惑と思うが、送りつけることにしている。まあ、暇つぶしに、作っているのですがねぇ。
先日、近所の生活保護を受けている女性に、餞別をあげた。深い義理はないが、転居するので、ばあちゃんにお礼を言いたいという。ばあちゃんが元気だつたころ、外で立ち話でもしていたのかも。なんか、やさしくしてもらったので、忘れられないので、ひと言、礼を述べたいと、玄関先にきた。わずかだか、餞別を渡した。生活保護のことは、町内会費の免除をしてもらいたいと、相談があった。当時、規定はないので、個々で、判断をすることにして、免除をした。震災の時も、市役所からの、見舞い金の事も伝え、多額のお金なので、生活保護の係りに、相談をするようにと、伝えた。気が付かないうちに、転居してしまえば、それまでのことだ。餞別は、わずかな額であっても、惜しいのだが、ばあちゃんのことは、ありがとうねぇだった。節目の百歳のときは、別の女性だが、おめでとうと、菓子折りをいただいた。聞くと、転居してきたときに、九十歳と聞いたという。当のばあちゃんは、元気で、八月に、百四歳になる。