なけなしの一枚の油絵。お宝発見って、なればいいのだが。赤富士は、早焼けの朝日に映えて、数十分間に見える現象。晩夏から初秋にかけて時々起る。山梨県側から見てゆうことが多いと、「大樹林」にある。飾ってあれば、なにかいいことがありそうな気がする。富士登山をしたことがない。観光バスで、五合目まで行ったことはある。ホテルの朝風呂から、初冬の雪をかぶった富士山を、仰ぎ見たこともある。観光バスが、湖をぐるりまわって、逆さ富士が見られる湖畔の、絶景スポットもあった。いわき地方にも、富士と名のつく山がある。石森富士、標高225メ-トル。絹谷富士、標高218メ-トル。この二つは、火山岩が盛り上がって、できたという。二つの山を含めて、このあたり一帯を、「石森山海底火山塊」として、いわき市の天然記念物に指定されている。日本列島の激しい火山活動の名残りだそうだ。もう一つ、遠野町の滝富士、標高306メ-トル、これは山容が富士山に似ているので名がついたという。いわきの伝説、鴨志田著より。
画像とはかんけいのないこと。梅雨の晴れ間で、今日は暑かった。在宅介護のばあちゃんは、今日は午後お風呂に入った。午前中のヘルパ-さんは、30分で終わった。気分転換と思い、散歩がてら、500メ-トルくらい離れた、コンビニへ、プリン、ケ-キを買いに、車いすで行った。帰り道、「うっちゃ、かえっぺぇ」って。ちよっと、不安がっていた。玄関に入っても、「うっちや、かえっぺぇ」だ。寝起きしているベットの部屋に入って、ようやく安心をしたようだ。別のこと。懐かしい歌。゜雨降りお月さん雲のかげ お嫁にゆくときゃ誰とゆく 一人でからかささしてゆく からかさないときぁ誰とゆく シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた お馬にゆられてぬれてゆく」。
展覧会に出品しょうと、いっ時、やってみっかあって、張り切って、書きだしてみた。しかし、やればやるほど、うまくいかない。結局、素書きが、面白い。まあ、ひとりよがりです。「わらしっこ 泳ぎ―-」の情景は、山間の流れで、真夏になれば、見られると思う。今日は、梅雨の合間のさわやかだった。テレビでは、ゲリラ豪雨で、JR線が不通の、二ュ―スもある。月末頃は、梅雨の大雨が、例年あるようだ。早いなぁ、今年も半年が過ぎた。
前回と同様、買ってきた中の一枚。夜明け直前なのか。この瞬間を撮影するのだから、素人口で、「たいしたもんだなぁ」。以前、新幹線の窓から、夕焼けに染まった富士山を見て、やおらデジカメを取り出して、パチリしたが、一瞬の光景を、そんな簡単に撮れるはずはない。富士山の噴火の活動は、休止をしているというので、いつか目を覚まして、噴火するのだろうか。「まあ、お静かに、お静かに」と。
ちょっと前、観光で忍野八海に行ったとき、これを撮影した人から、直接買った。駐車場から外れたところに、車にべたべたと、写真を貼った車が止めてあった。なんだろうと見に行き、これを、「すごいなぁ」って、見ていた。その時、車から、撮影した本人が、出てきた。聞くと、3000円という。「カラ-は」と聞くと、「版権を売った」という。「富士山」という本、分厚いのに、これのカラ-が掲載されていた。この時、三台のカメラで、夢中になって撮影したという。3000円を渡すと、別の富士山の写真を、2枚もらった。歌を思い出した。「あたまを雲の上にだし 四方の山を見おろして かみなりさまを下に聞く 富士は日本一の山」
昼間の時間が、最も長く、夜の時間が、最も短い日だ。太陽が、折り返していくのだろう。日本は海洋国なので、太陽のエネルギ-が、熱に変化するのに、30日かかると、いわれている。あとひと月後が、一番熱くなって、徐々に冷えて、気温が下がるのかも。夏至をはじめ、二十四節気の考え方は、太陽太陰暦の考えなので、二十四節気は、毎年、現行暦からみると、日付は変わる。現在使っている太陽暦では、夏至をはじめ二十四節気の、日付けは、毎年ほぼ同じだ。ついこの間までは、雨が少ないと、報じでいたが、今日は、局地的な豪雨のニュ―スだ。あんまりひどくならないようと、願っている。
筋骨隆々として、怒り、何かを叫んでいる表情、阿形像なのだろう。仁王様とは別のこと。ずうっとの大昔に、イノシシ、シカ、サルなどの獣が、山の中の食べ物がなくなると、ふもとにおりてきて、折角作った農作物を食べ荒らしたという。とりわけイノシシ、その中に赤い毛色のイノシシが、先頭をきって、大暴れしたそうな。それを退治するため、村人たちが立ち上がり、一本目の矢は腹に突きささり、二本目の矢で、射止めたそうな。「きっと射止めてやるぞぉ」って、叫んで追った山が、「き兎屋山」。赤いイノシシの体から、二本の矢を抜き取り、神に捧げた山が「二ツ箭山」というとか。「二ツ箭」は、山容からともいわれているとか。いわき市の川前町に小白井というところがある。尾の白いイノシシを捕えたので、尾白猪と称し、今は小白井という。赤いイノシシがいたので、「赤猪嶽」。お寺のかかわりから、「閼伽井嶽」になり、今は「赤井岳」なったという。「閼伽井」は、仏前に供える水を汲む井のこと。いわきの伝説、50選、鴨志田義康著より。磐城高校の校歌の歌い出しは、「峰は秀いず、赤井嶽、―--」。
よく見たことがなかった。へぇぇ、みんな顔してたんだぁ。あらためて、辞典を見る。「神社や寺院にある一対の獅子ににた獣の像。魔除け神域の守護などのために作られた」とある。右と左、表情が違っている。台座に「昭和10年」と、刻してあるのが、読み取れた。78年前だなぁ。神社の道路を挟んで向かい側に、土蔵つくりの商店がある。この通りには、もう一つ、土蔵つくりの建物がある。二年前の地震で、少しは損傷があったのかも。昔は、商店が立ち並んでいて、街として、人の往来で、にぎやかだったのだろう。時代の変遷は、近代的になり、昔のおもかげは、なくなっていく。当然のことでありながら、自分自身が、それだけ生きてきているのだろうと、実感している。
季節区分によると、六月十日頃から、「梅雨入り」となる。梅雨型の気圧配置が現れやすくなり、雨天が続くようになる」とある。降る雨のことを、「さみだれ」、陰暦の五月に降るあめのこと。昨日から、旧暦の五月になるのでこれからが、本格的な梅雨の季節になるのだろうか。市街地から、山間部へ走行すると、画像の景色が見られた。季節季節ごとの風情を見るのも、いいようだ。わき見運転には、注意だ。
画像は、36年前の、いわき市立平第一中学校の創立30周年記念の、同窓会誌。いわき市の図書館に行く者に頼んでいたら、これがあったと借りてきてくれた。画像の左側にある、「あぁ紅の血は燃えて」を、寄稿した木村君が、音頭をとって、クラス会を、スパリゾ―ト、ハワイアンズで行う。62年前、卒業当時の同級生は53名だった。もう80歳に手が届くようになってしまつたので、足腰が痛み、体がままならない。遠方に居住している級友も多い。今回、前述の木村君から、クラス会開催の細部のことを、担当することになつた。卒業当時のことを、なにかないかと思っていたので、この同窓会誌は、ありがたかつた。関連記事を12ペ-ジをコピ―して31名に送ることにしている。戦後間もないころ、創生期の行事、歩みの事柄が、年表にしてある。昭和22年4月15日、義務制による一年生受付開始とある。文化祭、音楽会、校章、校歌などの制定が並んでいる。そんな中に、23.1.23 3年女子生徒10名遺骨分配のため手伝いに出動、とある。戦後間もない頃の卒業だったんだなあと、改めて感慨深い。木村君の「あぁ紅の血は燃えて」の最後の文を借用。「面白い3年間でした。学校全体が、家庭的だったように思います。年は食い環境は変っても、あの少年の日の気持ちは、残っているようです。」。書いた木村君も、遠方から来る。今年の賀状に「クラス会を楽しみにしている」と添え書きした、女性の級友が、4月5日の他界したと、出欠連絡はがきに子息が連絡してよこしたという。少人数のクラス会だが、七月初めが待たれる。
画像は五月中旬頃の、山間に咲いていた藤の花。緑緑した鮮やかな木々に、つたわって咲いていた。あちらこちらには、手入れの届いた藤の花もあった。六月になり、今年は早々と梅雨の季節になつた。日本の季節区分によると、六月十日頃に梅雨入り、梅雨の大雨は、六月二十九日頃、梅雨明けは、七月十五日頃だ。暑い盛りは、八月いっぱい。カレンダ-には、夏至が六月二十一日とある。梅雨には、陽性と陰性があるという。適度な雨降りを願いたいものだ。当いわき市で、先月かなあ、集中豪雨があった。小生も豪雨に心配をしたことを、ブログをした。最近、法要に呼ばれたその席で、豪雨の被害があった地区の人から聞いたのは、寝ていたら、隣家の人にたたき起こされ、外へ出てみたら、車がぷかぷか浮いて、流れていく様を見たという。局所的な豪雨には注意をしなければならないと、改めて感じた。