これも、先日、送られてきた梨。この猛暑のなか、冷やして食べるのが、美味しい。品種は、幸水という。以前は、長十郎とか、二十世紀とか、菊水とかの名が、あったと思う。品種改良で、収穫の時期の気候に合わせるのと、食感の消費者の好みによって、改良されていくのだろう。そういえば、西洋梨というのがある。なんか、だらだらと、書いているので、来訪をしていただいている方に、「馬鹿も休み休み言え」と、云われそう、「用無し!!」、「喝!!」だぁ。
数日前、いただいた桃。時期の初めにも、いただいた。日本各地で、その場所場所で、果物が生産されている。桃は、傷みが早いようなので、新鮮が一番。冷蔵で、輸送もされる。桃の時期は、終わりになるようで、季節が動いている。まだまだ、当地方も、猛暑が続いている。歳のせいで、この暑さには、くらくらっとする。ゴルフしていた時は、こんな暑さの中でも、楽しんでいた。そんな時の、昼の食事に、冷たく冷えたスイカが、添えられていた。これも、また美味しかった。いただきものは、ありがとさんです。
画像は、昨年のもの。参詣者の後列だった。風向きによって、撮影場所を移動をした。前列に、でんっと構えていればいいのだが、山伏僧の行進を撮影するので、本堂前で、構えていたので、しょうがない。昨年まで撮った中から、これぞというものを、写真額に入れていた。25枚ほど、あるので、閼伽井嶽薬師、常福寺の境内の入り口の掲示板に、飾ってもらえるかと、持参をした。はたして、掲げて、いただけるけのか、わからない。素人の写真だが、「枯れ木も山の賑わい」となればと、ひそかに、待っている。
画像は、昨年のもの。毎年毎年、盛大。参詣者も大勢になる。撮影する場所も、限られてる。柴燈に点火すると、煙が立ち上る。風向きによって、煙が横に流れるとダメになってしまう。微風ならば、煙が上へ上へ上っていくので、撮影には助かる。昨年も、テレビ報道の各社が、撮影をしていた。それの前には、体を出さないように、注意をしている。テレビカメラは、参詣者の頭の上に、設置して撮影をしたいた。カメラマンの中には、被写体に、接するような位置に入ってる人もいる。そんなに接近をして、撮影しなくてもいいカメラのようなのだがね。
例年、柴燈大護摩供の、夏大祭が開催されるのだが、今年は、秋迎祭になる。「火渡り」の行が、クライマックスで、山内山伏僧総出の、火渡りの行は、護摩祭壇が燃え上がったあとの、燃え火になったのを、道にして、赤々な燃え火の、その上、行言を唱えて歩く。これは、熱つ熱つだ。その後に、多くの参詣者が幣束を手に、諸願成就を願い、残り火の道を渡る。案内書に、山岳仏教に相応しい大業荘厳、雄大華麗な行事で、真言最極の秘法と、ある。祭りの日、九月一日は、降雨になったことは、一度も無いと、聞いた。祭りが終わると、秋の風情になる。今年は、残暑が厳しいようなので、小型のクーラーボックスに、冷たい飲料を、詰め込んで行く。
今日の、閼伽井嶽薬師の常福寺は、夏大祭りの準備でした。例年の柴燈大護摩供は、中止になっている。秋迎祭が、九月一日に開催という。例年、火渡りの儀式で、大賑わい。話は別のことだが、たまたま訪れた境内で、「龍燈の杉は、どれでしょう」と、声を掛けられた。その人は、巨木を訪ねて、新潟から来たという。その人は、「人里の巨木たち」というホームページを、開設しているという。問われた時は、閼伽井嶽の龍燈の伝説を知って、その龍燈を見に来たと思った。丁度、祭りの準備中なので、小生も早とちりをして、龍燈杉の伝説を、話した。その人は、ちょつと、怪訝な表情をしていた。伝説のことではなく、巨木そのものの、研究をしているので、伝説のことは、どうでもいいことだった。全国各地にある巨木を訪ね歩いているという。その人は、カメラに収めるので、広角レンズを付けたカメラを肩にして、滑り落ちるのを用心をして、両手にと杖を持ち、龍燈杉のところへ、急斜面を、下りていった。と、云うわけで、龍燈杉の画像をのせました。現在の龍燈杉は、ちょっと、こんもりと、茂っているように思えた。
今日も暑い。画像は、以前に、撮ったもの。当地方の夏の、行事の七夕は、中止。八月二十五日は、旧暦の、七月七日。元日、ひな祭り、端午の節句に続いて、四番目の節句になる。昔は、年中行事を行う日のうち、特に重要な日としていたという。ちなみに、九月九日は、易学では、「陽の数字」としている「九」が重なるので、「重陽」としていたとある。旧暦の七月は、秋風を感じるころとなり、雨の季節が終わって、夜空が、澄み渡り、星が光って鮮やかに見える頃になる、七日月は、満月の、十二分の一の明るさという。晴れていれば、澄み切った夜空に、星がキラキラと光っている。台風が、南の方で、迷走しているのかも。台風は、進路に対して、右側は、危険半円といって、災害が多く発生しているという。旧暦の四月が、二回ある今年は、七月七日は、49日も遅い、八月の25日になる。秋の到来は、9月17日頃からで、まだまだ、残暑が続くようだ。
数年前、知人の女性が、○○新聞社主催の刻字展に、入選した記念に、個展をした。会場は、市街地から離れた、いわき市内郷高野の、好間川の上流の所。ほんの知り合いなどに、趣味の延長の成果を、観てもらうには、格好のところ。その会場の庭の先。個展も楽しんだが、水辺の風景も、楽しんだ。これも、写真額にした。
ついでに、若かりし頃の、クラス会の写真をみた。この中で、赤い印の者だけが、元気でいると思う。写真の前列の左から二人目の女性と、三人目は、二年生の時の担任と、三年生の時の担任の先生です。同級生には、昨年の、年賀はがきは、届けている。はがきも、来ている。その時の添え書きに、来年からは、失礼すると、断わりを書いた。今回、同級生のことを書いたのは、先日、小生に、無用の用で、声を聞ききたかったと、一人の女の同級生から、電話があった。誰かの、逝去の連絡かと、思った。まあ、この歳になれば、一人また一人と、この世を去る。数人の女性は、介護が必要な、認知症だと、電話や、手紙で連絡があった。寂しい思いをするのも、いやだし、連絡をする方も、連絡したくないだろうと思っている。人のことを心配するよりも、まずは、わが身のことだっぺぇ、です。
同級生その3に、掲載をしたものが、 別の幹事に届いていた。その続き。当時、在京の者が、クラス会を開催をしていた。誘いがあって、二回、日帰りで、出席した覚えがある。その時のことは、覚えていない。七、八人で、わいわいと、やって、当時、青森行の寝台車で、帰ったことがある。画像の文を書いた者は、静岡県の浜岡原発に近いところに、住んでいたが、三年ほど前に、逝去をしている。連絡があったが、弔電で、悔やみを伝えた。前回と今回、画像を掲載をしたが、ご来訪していただいても、読めただろうかと、思っている。
画像は、前回掲載をした写真で、右側の上の男性が、同級生。クラス会の開催の案内を、送った時の返事だった。クラス会の、もう一人の幹事宛に、届いたもの。小生の所へ、転送してきた。中学校卒業以来、まったく会っていない。面影も全く浮かばない。一昨年、逝去したことは、年賀欠礼のはがきで、知った。
画像の、左側の句も、70年前に中学校を卒業以来、一度も会っていない同級生のもの。クラス会開催の案内をしていた。出席はなかった。冊子の作成の原稿を依頼したこと。年賀はがきの、やり取りの付き合い。一昨年に、以後、年賀はがきは、出さないと、お断わりした。ずーうっと若い時分に、中通り南部で、教員をしていると、知った。小生の叔父が、その地方の、教育委員会に、赴任をしていた時に、同級生と、知ったと、聞いた。70年前の、面影は、まったく覚えていない。