やそぢおりおりにと題しての、小冊子がようやく、製本の段階になった。とりあえず、25部仕上げる。総64ページ、閼伽井嶽薬師常福寺の夏大祭は、À4判の画像が2枚、À5判に2枚で、4ページにした。大祭を取材するカメラマンが多く、写体にのすぐ近くに寄って、撮影をしている。今のカメラは、ズームができるので、そんなに近くに寄らなくてもい、いいだろうと思っている。祭りを取材しているテレビカメラマンに、ここが、いいアンクルですかと、声をかけると、ニヤリと笑っていた。また、写経会でのことは、12ページ、拙いブログから、拾い出した。また、「いわきの伝説50選」の、50話のうち、常磐湯本温泉にまつわる「湯ノ岳の霊水」と、「山の不思議、絹谷富士」、地面がむくむくむくと、盛り上がって山になった話。標高218メートルで、現在は、「石森山海底火山塊」として、いわき市天然記念物に、指定されている話の、二話を綴りこんだ。画像は、表紙し裏表紙。先日に掲載をしたのは、ダメにした。
拙い小冊子の、仕上げになっていたので、ご無沙汰でした。二月も終わりに差し掛かった。弥生三月から、桜の季節になる。画像は、昨年の四月11日に、かしゃっとしたもの。別のこと。今、コロナウイルスのことで、世界中が大騒ぎのことを、テレビでみている。ウイルスは、病原体なのだろうか。ウイルスは、インフルエンザのほか、パラインフル、コサッキーとかあり、コロナウイルスもあるという。ウイルスの型によって、普通の感冒型や、咽頭炎型や、目や腸に悪影響するという。家族内での話題で、目に見えないのは、放射線と同じで、放射線より、ひどいんでねぇのぉだった。一般的な初期の「くしゃみ三回なんとか三錠」のように、鼻に異物が付着すると、くしゃみがでるという。、ずうーっと前のかかり付けのお医者さんに、受診をしたとき、人の体には、病いを治す力がある。その力に、手助けをするのが、薬だいう。自分で治すということを、考えなければ、ダメだと諭された。薬は、病を抑え込むものだろう。今、話題のコロナウイルスの、予防や、受診のことは、報道のようにする。くしゃみ三回に、なったら、まずは、養生。養生法は、安静。
画像は、拙い小冊子の表紙に、画像のようなままで使う。かなり前に、退屈まぎれに、いたずら書きをしていた。デジカメの枠は、ルミックスだが、もともとは、9年前から使い始めた、リコーのCX5だった。鉛筆描きだつたので、消して書き直した。今回の第五集なので、前回の四集の流れで、鉛筆画を、ひとりよがりをして、表紙に使う。小冊子は、印刷中。表紙は、一番最後に印刷をする。印刷機も、使い勝手がよくなり、紙もよくなり、出来栄えは、いいものになると、自賛をしている。印刷のあとは、ページを揃えて、電動ドリルで、三か所穴をあけて、糸でとじる。最後は、製本テープを張って終わる。製本機を使ってみたが、だめだった。親しくしている印刷所もあるが、毎日が日曜日なので、自己処理で、作る。やってみつかぁで、取り掛かっている。
画像の左は、Yさん。ここ十年は、お会いしていない。小生が、習字の教室に行っていた、Yさんは、40年ほど前、高校生だった。将来、子どもたちに、書を教えたいと、言っていた。当時の文部省の、書道検定を、受験をして、二級と、認定された。二級は、高等学校で、書道を教える知識と技能が、備わっていること。書道会での、段位、級位は、所属している会でのこと。小生が、習字教室を退会してからは、疎遠になった。ずうーっと後になって、習っていた時の先生の個展があった時に、久しぶりにお会いした。その後、刻字の作品で、全国展で、佳作に入選。また、小品展を開いた。水墨画を習い、所属の展の連絡があり、お会いした。数年前は、「市美展」へ出品、拝見をした。門外漢が評するのは、はばかりますが、画像の、Ⅿ氏の右下にある印影が、おしゃれ。左のYさんの子の絵の、ひげと目が、おしゃれ。おふたりとも、若々しく、ご活躍を。ごめごめん、Yさんは、ずうーっと若かいです。
今年も多くの方から、年始の挨拶があった。ありがとうございました。と、言っても、この拙いブログには、数人が、訪れている。画像の右は、Ⅿ氏から。かれこれ30年前に、お会いしただけ。五年ほど前に、人づてに、原発事故でいわきに避難と聞き、挨拶のいただいた。Ⅿ氏は、30年ほど前、パソコンの勉強会で、ご一緒した。Ⅿ氏は、すでに業務で、使いこなしていた。勉強会で、CGで、蒸気機関車が、遠景の雪山のトンネルから出たところ、二枚目は、近景の野畑の中を、煙りをたなびかせてのSLが、向かってるところ。三枚目は、眼前に動輪が、迫ってきたところ。当時は、フロッピーだったので、画像の読み出しが、じわっじわっと画面の上方から、線が現れた。当時のⅯ氏は、社長さん。細身に、ぱりーっとしたワイシャツにネクタイ。ひげをたくわえ、金縁メガネで、物静かな、凛んとした、ジェントルマン。続く。
画像は、前述の小冊子に、綴る。俳句ともつかず、川柳ともつかない、五、七、五。俳句の、季語のことも素人。時々の写経会の席で、ポロッとメモしていたのを、自書した。ワードを使えば、見た目がいいのだが、下手は下手なりに書いたのが、いいべぇでした。老いの、おざなりだぁと、思っている。
「やそぢおりおりに」と題して、小冊子の、第五号を作っている。昨年中のブログから、拾い出している。画像は、最終ページ。台紙は、手元にあったアクリル絵の具で、描いた。面白い線が出たと、にやりとしている。昨年は、顔料の、赤色と黄色で、描いた。第四集と同じ構成で、「夏大祭」は、祭りの画像を、A4を二枚、A5を四ページ。「やそぢおりおりに」は、写経会でのことを、10ページ。「いわきの伝説、鴨志田義康著」から、「安寿と厨子王のこと」と、「子の帰りを待つ母が、石になった話」の、二話、12頁を綴る。八十路つりづれには、ブログから、21件綴る。そして、画像の、最終頁になる。表紙は、いまだに、思案中。印刷に時間がかかるので、その間に仕上げる。発行部数、70部かなぁ。道楽だぁと、苦笑をしている。手前味噌のことです。
画像は、前にも載せた。コンピーターウイルスは、1996年に、[Ⅼaroux]に、発見されたという。当初は、愉快犯と思われたが、感染拡大する機能を持つようになったとか。その後のことは、皆様には、「釈迦に説法」ですね。最近、大ニュースになっているウイルスことで、もともとの、ウイルスとはで、辞書を読んだ、「最も簡単な構造の微生物の一種。蛋白の膜で包まれた核酸の分子。動物、植物、細菌を宿主として生きた細胞内でのみ増殖する」と、読んだ。今回は、野生動物が、感染源とか。また、生物兵器用のウイルスが、流出したとか。2017年の2月に、「病原体が流出する恐れ」と、警告をしていたとかを、新聞で読んだ。まあ、「くわばら、くわばら」です。「くわばら、くわばら」は、落雷や災難、いやな事を避けるために唱える、まじないの言葉。買出しに、スーパーに行った時、唱えることにしよう。これまた、失礼しました。
磐城高校が、二十一世紀枠で、春の甲子園へ出場する。小生の父親が、前身の磐城中学校で、野球をしていた。当時、県代表になり、東北大会の一回戦で、一点差で、負けたことを、こどもの頃、聞かされていた。今回、磐城高校創立百年の記念史、平成八年に刊行のを、ぺらぺらめくってみた。そこには、明治23年から、県内の尋常中学校間で、対抗試合を行ったとある。明治36年には、学校内で、学年対抗の試合を試みたとある。36年になると、仙台第一中学校の校庭で、対抗試合を、試みたとある。大正7年には、東北大会へ出場する、実力を持ったとある。明治の時代には、慶応大学からコーチを、招聘したと、当時の写真が載っていた。大正十年になると、早稲田大学の選手コーチを受けていたとある。おりから来朝中の野球団を招聘して、インデアン野球団と、平クラブと、磐中の三チームで、試合を行ったとある。父親の自慢話のなかに、アメリカの野球チームと、試合をした話しを、聞かされた。ちょっと思い出して、ぺらぺらと、めくって読んだのを、掲載をしました。もしかして、掲載の写真の中に、父親が、写っているのかも。画像は、この時の写真。「創立百年」から、拝借しました。詳しくは、「創立百年」史をどうぞ。この史ほかに、野球部の記念の史もあるようです。
「鬼やらい」が終わり、立春も過ぎた。テレビでは、暖冬と報じている。ずうーっと前に、仕事で使っていたのを、ひっぱり出して見た。月刊の「気象」という誌に、その月の傾向を、一言で表したのを、書き止めておいた。それによると、一月は、「小雪だが多雨」。「東京四年ぶり冬日」。「寒波きても高温」。「寒かった一月」。「西暖北寒の一月」などがあった。二月を見ると、「暖冬中の暖冬」。「暖冬ストップ」。「後半寒い」「北日本中心に寒波」。「インフルエンザ流行」、などがあった。二月のイメージは、「春一番」。「春の雪」。「寒のもどり」。「二月の大雪」。「光の春」などがある。お天気は、いろいろと変化をする。
は、いやだし、半月も、入院するのも、考えものたなぁと思い、通院をやめた。。いつも受診をしている内科の医院の先生に、聞くと、PSAの値の検査は、年に一度の検査でいいようだ。PSAが異常値になったら、その時考える。排尿に関する薬は、内科で処方できるのがあり、それを服用をしている。足のうらもみの、効果があるようだ。足の裏にあるつぼ、肝腎要めでした。
当地方、ここのところ、晴れの日が続いている。でも、北風が吹き荒れている。月日が過ぎ去るのが早い。明後日の二月四日は、旧暦の、二十四節気の、春夏秋冬の季節の区分の、立春になる。冬から春への、折り返しの日になる。[一陽来復]、冬の寒気や陰気を払い除けて、春の陽気を迎える。一年の締めくくりの行事として、[豆撒き]の行事をする。豆をまいて鬼退治、中国の秦の時代にからの行事、「追儺」ーついなーの儀式に由来するという。「ついな」は、「鬼やらい」ともいい、疫病や災害を追い払う行事という。本には、室町時代から行われているとある。鬼の退治には、竹を音をたてて燃やし、イワシを焼き、鬼の嫌いな匂いで、また、ひいらぎの枝にさす。ひいらぎのとげに触ると、うずくーひいらぐーからとある。ひいらぎの樹は、六、七十年経ると、葉のぎざぎざが無くなるという、縁起の良い庭木とある。ものの本を、あちこちと、ぺらぺらめくって、読んだものを、書きました。