八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

大震災2日目。消防車に感謝。

2011年03月31日 10時04分30秒 | Weblog
強い余震のたびに、起こされ、短い夜があけた。おにぎりを食べながら、テレビを見ていた。市からの連絡事項があるかもと、行ってみたが、まだ、体制は整ってなかった。未曾有の、大震災と、原子力発電所のことの、対応で混乱していたのは、仕方ないことだ。災害対策本部にも行ってみたが、避難所への、物資の配送の仕分を、大人数でやっていた。急を要する事もないと、思いながら退散しようとしていた。その時、「南町に建物火災発生」と、拡声器が鳴り響いた。ヘルメットを片手に、防災服の袖に、手を通しながら、消防車に飛び乗り、サイレンを鳴らしながら、飛び出す早さには、驚かされた。市民の安全を守る、あらためて、感謝している。急いで戻り、「ガスに注意」を、振れまわった。給水場所を知りたかった。多分、町内会には、給水場所が、連絡あったのかもしれない。町内会の自主防災会の、上の方の責任者が、バル-ン給水を受けて、にこにこと、両手にぶら下げているのをみつけて、給水場所を質した。連絡を受けたなら、真っ先に、町内に知らせなければ、ならないだろうに。昼時刻すぎに、*ガスの取り扱いに注意。*給水場所の知らせ。*原子力発電所のトラブルを、書いて、越権行為ではあるが、隣の班員にも、知らせた。電気も、ガスも使えるのは、ありがたい。テレビを見られる。これからも情報を得られる。原発は、どうしたものだろうと、不安だった。夕方になって、知人が避難指示で、何も持たずに、避難してきたと、毛布を買いにきた。「そんなに深刻なの」っと、聞くと、「誰ぁれもいねえぇよぉぉ、当分だめだっぺえぇ」っと。取引先で、しょっちゅう行って、親しくしてもらっている。夜になって、市民への連絡事項かあるかもと、行ってみたが、「まだ、ない」とのことだった。「原発は、大丈夫だっぺぇ」っと、高を括って、余震に脅かされながら、床に入った。昨日、今日と、自主坊災会の、ヘルメットをかぶり、スカスカの脳で、考えられる最低限のことは、できたかなあぁっと。なかなか寝つかれず。「いまのは、4かあぁ」っと。半纏をひっかけて、起きだしてみた。画像は、炊飯できたので、おにぎりにしてもらったもの。
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大地震の日

2011年03月29日 18時57分14秒 | Weblog
地震発生の時は、勿来方面へ、バイパスを走行中。緊急地震速報で、知り、ゆれが激しくなってから、下り勾配の所に停車した。眼前の陸橋が、照明塔の柱が、右に左に、上下に、激しくたわみ、激しくゆすり動いた。すべり落ちないかと、必死にブレーキぺタルを踏みこんでいた。ゆれが収まり、走り出すと渋滞になり、バイパスから左折して下りた。帰宅を急いだが、気ばかりせいでいた。渋滞中に、何をすればいいのかと、考えていた。水道から、飲み水の確保、トイレ用に風呂に水をはった。店先の、一間大の、半間大の、2枚の分厚いガラスが割れた。取り除いたあと、近所に声かけてまわった。普段は挨拶程度だが、ひとり暮らしの方には、水がないというので、やかんに一つ、トイレが困ったというので、バケツ3杯を、届けた。隣組には、4人のひとり暮らしの方がいる。全員の無事を確認した。夜になって、何か連絡事項があるかもしれないと、市役所にいってみた。大地震のあと、すぐなので、まだなかった。自主防災会の文字が入っている、ヘルメットはありがたかった。深夜になってから、割れたしまったガラス戸に、ベニヤ板で、目隠しをした。ありあわせで作った、おにぎりをほおばっていても、余震に驚かされ、そのたびに、見まわりにでた。空家のガラス戸が開いていたり、剥がれ落ちた側壁を、道路の端にかたずけたりと、長い一日だった。床に入ったのは、午前3時をまわっていた。画像は、冷蔵庫とか、置き忘れていたのを、かき集めた、飲み水
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原子力発電所の沈静化を祈る

2011年03月28日 20時54分38秒 | Weblog
画像はある日の、信号待ちの風景。昨日、小1時間並んで、30Lが給油できた。午後になって、ガソリン20Lと、灯油2缶の、差し入れがあった。お取引先が、20キロ圏内で、茨城の方へ退避しているのに、困っているだろうと、持参していただいた。「本来なら、援助してあげなけれはならないのに、逆ですね」っと、感謝した。「避難指示で、避難をしているが、これからさき、どうなるのか、見当もつかない。」と、不安げだ。いつもなら、冗談を語って、笑いあっていたのに。先々を思うと、お互いに、不安げな顔で別れた。大地震と津波の被害ならば、時がたつと、日常生活の、希望がある。しかし、大津波によって、原子力発電所が、深刻な事態になっている。放射能監視区域外に、放射能を含んだ水の存在かあると、報じられている。当事者の方々の、懸命な作業、努力によって、沈静化することを祈っている。最悪の事態にならないことを、祈っている。東京電力の、電気の恩恵を受けている方々、避難指示で、人がいなくなった町を、忘れないでください。小生の居るところは、直接的には影響がない。お得意先が、何軒もあり、持ちつ持たれずの、日々であつた。そのお得意先が、店を閉じて、避難をしてしまっている。原子力発電所が、もし最悪の事態になった時は、どうしようかと、思案投げ首をしている。家族の避難の方法はどうするか。思いは、悪い方、悪い方となってしまう。原発が、このまま、沈静化するように、神に祈っている。直接的には、年に、壱万数千円の、給付金をいただいている。発電をした電気は、使っていないと思う。あまりにも、便利さや、豊かさへの、恩恵を忘れていたのかもしれない。
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原発の最悪の回避の仕事に感謝をしている。

2011年03月21日 21時31分45秒 | Weblog
未曾有の大地震と、大地震をもろに受けて、破損をした原発。最悪の事態が、回避されるのを、願っている。一刻一刻の時間との戦い、あらゆる総力での努力に、感謝をしている。このこととは関係のない画像だが、懸命に働いている姿が思い浮かぶ。今回の地震と、それによっての被害が、拡大しないことを祈るしかない。必ずや回避できるよっと、応援をするだけだ。あまりにもの豊かさを、享受していたことへの、慢心の諌めかも。豊かさの享受への、警鐘が、鳴り響いているのかもしれない。在宅の老婆を、親戚宅へ避難させて、留守にした日以外は、市役所から市民への、連絡事項のコピ-と、その配布をした。隣組といっても、普段は挨拶くらいだが、「給水所は--」、「原発は--」とか、声をかけた。あまり役にはたたないとおもうが、なにか、ちよっとだけでも、不安の声を聞いてやると、気がまぎれるように感じた。報道で、いわき市の悪い風評があるとか。市民に、安定ヨウ素剤の配布のことが、影響しているのかも。暗くなって走行してみると、人はぱらぱら、街路灯の灯りだけで、走行する車もぱらぱら。商品の散乱は、手をつけていない。ようやくパソコンを開いた。毎日毎日、時計の針のまわりが早い。原発の最悪が回避し、関係者の笑顔が報道されるのを、待っている。関係者の寝食を忘れての日々に感謝をしている。
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節供が過ぎたのに寒い

2011年03月05日 14時39分52秒 | Weblog
ちょっとばかりの仕事の多忙と、日々の雑事、体調不良で、ブログもできなかった。体が資本とは理解しているが、ちょっとの無理でも、無理がきかない歳になっている。節供が過ぎたのに寒い風。懐の冷風、政治の不景気風が、身にしみている。身にしみる風は、誰のせいでもない。自分の身は、自分で守るしかない。「わかっちゃいるけぇど---」だ。正月に授かった神札に、「喜寿」っとある。神様もちょっとは、案じてくれているのだと、思っている。あらためて、神札を見ながら、遠の昔の過ぎ去った戦中、長い戦後の貧の時代を、思い返している。大方の方々は、戦争の悲惨さは知るよしもないでしょうが。今、ぽつぽつぽつと、文を書いている手が冷たい。外は、これでもかぁっと寒そうに、風がうなっている。スト-ブの暖気を、押しのけて、隙間風か、首筋をなでている。何時になったら、懐の冷たさがとれるものやら。はかない望みを、またまたしている。後ろ向きにしか考えられない歳だなぁぁっと、自戒している。
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