近所からいただいた。毎年、いただいている。咲き始めたころ、いただいたのだが、急いで、カシャッとした。そういえば、「立てば芍薬 座ればぼたん 歩く姿は百合の花」を、思い出す。「立てば芍薬」は、芍薬は知らない。「座れば牡丹」は、膝をくずして、ちょっと横向きに座る姿をいうのかも。「歩く姿は百合の花」は、すらっとして、和服が似合う姿のことかも。在宅介護であと二か月で、百歳になるばあちゃん。若いころのことは知らない。認知症で、「森の石松」のように、どうしょうもない時もある。脳が正常になっている時は、上品な顔をしている。拙いブログの、「美人画の団扇」と、「ばあちゃんは間もなく、98歳」で、手に持っているうちわの絵の顔だちは、ばあちゃんに似ている。介護といつても、小生は、夜のご飯の時だけ、食べさせている。ヘルパ-さんが、午前と午後、看護師さんが、週に二回、お風呂が、週に一回。ひとりの看護師さんは、帰り際に、「また来るよぉ、元気にしてんだょぉ」って、頬すりしていくという。「森の石松」の時でも、ヘルパ-さん、看護師さんは、「元気だ、元気だぁ、」と、慰めているようだ。
咲きそうだぁって、何度もブログをした。つぼみもふくらんだぁだが、だいぶ前に咲いたのを見たことがあった。手のひらを、大きく広げたくらいの大きさだったと、思う。つぼみの大きさは、中指より、少し大きい。「咲かぬなら 咲くまで待とう 月下美人」ってがぁ。
暑かったが、湿度はあまりないのか、さわやかだった。梅雨の合間の、爽やかな日を、「さつき晴れ」。「五月雨」は、梅雨のことか。季節区分では、例年の梅雨入りは、六月十日ころ。お天気予報では、ここ一週間、暑い日が続くという。エルニィニョ現象も、発生するかもと、報じている。勝手な予測だが、早く暑くなり、暑さは、早く終わり、早く、秋の気配がして、長い秋、冬の訪れは、遅いと思う。「仲秋の名月」お月見は、今年は九月九日。去年は、九月十九日。一昨年は、九月三十日だつた。いずれにしろ、暑い、寒いの、季節は、めぐってくる。画像は、つぼみがふくらみ、色が、濃くなった。今夜かなぁ、咲くのは。
先月、水道料金が、かなりの額だったので、再検針を依頼した。読み取った数字の入力間違いだった。この機会に、家計費は、どんなんだろうと、計算してみることにした。始めると、現金支払いがあり、振替支払いがある。食料費と日用品費、光熱費、医療費、保険料も、税金もある。表に、レシ―トや、納付書、振替領収書、引き落とし額の通知の金額。支払をした先などの、表への入力は、コ―ド表を作った。これらのことは、まぁ、たやすくできる。そのあと、支払った先の名前別の、合計金額。家族の総額と、ひとりひとり別の家計費の項目別に、金額を合計する。これらの作業は、180回くらいの、テンキ-の数字を押す。これらのことを、フアンクションキ-に登録をした。それが、この画像。キ-のF1からF8へ、順に押すことで、簡単に終われた。昔ぁ-し、仕事でこの手順を、考えてやっていたので、助かった。スカスカの脳だが、まだ使えるようだ。
十日前に、つぼみを見た。さっき見たら、つぼみがふくらんだようだ。月下美人かも、月明かりの下で、咲くのかと思ったら、今夜か、明日の夜咲けば、お月様は、まったく見えない。咲き始めたら、数時間で、花はしぼむというから、見逃してしまうかも。いわきも、暑かった。この暑さで、咲くのかも。
先日、JRいわき駅前のラトブヘ、買い物に行った。入るとすぐ、「落語をどう思うか」と、問われた。何度も、「落語ね」「落語ですかぁ」と、たずねた。「一口に言えば、どうですか」と。「むずかしい」と、答えだ。「むずかしい」は、なんか、古典というのがあるようだ。また、新作落語というのがあるのかも。噺家さんが、語るのに関西と、関東では、語り方が違うのかも、しれない。テレビのリモコンを、ちょこちょこと押して、「あぁぁ、落語かぁ」って、視聴する。とりたてて視聴しようとも、思わない。ラジオも、「あぁぁ、落語かぁ」で、聞く。たまあ-に、「真打競演」を、「ながら聞き」している。語りの中で、「間」というのか、その「間」に、語りの情景を、感じることもある。貨幣が「一分」とか、「銭」、「円」が出てくる。「一分」が、語られると、現在では、どのくらいのことかなぁ、なんて、暇なときは、考えている。落語は、むずかしく聞くのではなく、気楽にあっはぁはぁと、笑えばいいのたろう。「むずかしい」ではなく、「気楽に」が、一言だなぁと、今頃思っている。質問を受けたときは、クラス会の小冊子の第四号の仕上げと、在宅ばあちゃんのおしゃべりのこと、今晩のおかずは何にすっかなぁと、頭の中が、ごぉちゃごぉちゃして、そのうえ、小雨だったのて、はぁはぁしながら、せかせかと、歩いて行った。呼吸定まらない時のことだった。画像は、その時に、いただいたもの。
原発事故発生当時の、三月十五日。急きょ、福島市の妹の所へ、世話になることになった。いわき市平を、午後三時30分頃に出発。何回かの、のろのろ走行で、倍の時間がかかっていた。国道49号の、郡山方面が、平田村の手前で、渋滞。夕闇が迫ってきていたが、停車したまま。とうとう、暗闇になってしまつた。仕事で使っていた車なので、運転席が高い。前方がよく見える。車の燃料も心配。停車中は、エンジン切っていた。今は、原発事故があっても、避難をしないと、きめている。二度と、事故は起きないと思う。駄句だが、当時を思うと、ぞおぉぉつ、背筋が寒くなる。
原発事故が発生した当時、三月の二十日ころ、「放射線は、いわき市は安全」と、広報で、お報せがあった。その「お知らせ」を、隣組に配布していて、「放射線は」と、聞かれても、わからなかった。そんなことを、メモっていたのを、書いた。当時、関東圏に住んでいる知人が、電話で、「大丈夫かぁ」と、問い合わせがあった。町の中が、空っぽになったように、車も消え、歩行する人もなく、避難したり、家の中に居たりだった。テレビは、昼夜、連日、原発からの火柱の映像だった。どうになるものかと、不安は、重なっていた。今、福島には、住めないとか、話題になっている。六日間、避難して、世話になった。電気、ガスは、使えた。水道は、給水場が準備された。豊かさのありがたさを感じた。「住めない」には、苦々しく、思っている。
たまぁ-に、水をやっていた。さっき、ひょいと見たら、「つぼみ」。夜に咲くのかと、思い出して見たが、まだ。「月下美人」なのだろうか。だとしたら、咲き出してから、数時間で、しぼむという。ちょっと一杯なんて、やっていたら、見逃がしてしまうかも。花の香りが、部屋に漂ようのだから、鼻を「くんくん」させていれば、咲き出すのが、わかるのだろう。花を愛でる風流は、持ち合わせていないなぁと、自嘲をしている。
初夏の緑を、目の保養にとね眺めていた。はるかの海を、見ていて、あの、福島第一原発の事故を、忌々しく、思い出していた。前回と同じ日に、カシャッとした。俳句の、「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」。山ホトトギスの鳴き声も、小鳥のさえずりも、聞こえない。静寂。若い女性が、拝受したお札を抱え、迎えの人に、手をふっているのを、ぼんやりと、見ていた。「安産」を、祈祷したのだろう、小走りに、迎いの車には、若い女性の父親なのだろうか、窓から手を振っていた。にこにこ顔は、孫の誕生を、待っているのだか。