画像は、今月の四日の、池袋の市街地の夜景。ホテルの19階の窓からのもの。夜の九時過ぎ、いいデジカメだから、明るくとれたのかなぁ、って思った。しかし、その日の、日中は時々小雨、灯りが雨雲乱反射して,明るく撮れたのかも。節電節電と、いわれていたのに、あかるいなぁって、思った。昨日、取引先が、仕事のことで、都内から来た。原発事故の事を、気使っていたが、「高い電気代を払ってんだよぉ」ってだ。「福島原発の電気は、ここまで来てたのかぁ」なんて。原発を作る計画から、廃炉になるまで、50年、60年と、長い年月がかかるようだ。その間、陰に陽に、直接的に、間接的に、恩恵があったのだろう。電気を使う方も、恩恵があったのだろう。ぼんやりと、眼下の灯りを、「出会いもあまりない従兄の死と、久しぶりの長い距離の移動の疲れと、西部池袋線の事故で、車内で二時間ほど待機をしていた疲れとで」、ぼおぉっと、ながめていた。そういえば、画像もぼおぉっとしているなぁ、って、下らないことを見させて、失礼しました。
小生の卓上に、身分不相応な最新のが、鎮座した。ことわざの例えのごとくだなぁって、自嘲をしている。卓上を見まわすと、4台。95と98、XPに、今回、Win7だ。それぞれの使い勝手で、役割分担がある。ワ-ドやエクセルは、まだ、使っていない。95や98は、もう11年も使っている。小生の身体と同じ、よたよたしている。よたよたしていても、必死に仕事をしている。負担をかけないように、最低の仕事をさせている。この二台は、よく働いた。今では珍しくもなんともない、移動平均グラフや、田の字グラフ、帯グラフが、打ち出せた。使い勝手のいいソフト、マイツ-ルは、もう、ダウンロ-ドは、終了したという。でも、三種のマイツ-ルのソフトが、CDで持っている。このソフトから脱却すべく、悪戦苦闘をはじめようとしている。ワ-ドやエクセルを話せないと、時代に取り残されているようだ。欲張ってオフィスも入れたので、スカスカの脳で、大丈夫なのかなぁって、後悔をしている。本体は1.9キログラムと軽量、軽々と持てる。仕様書を読んでみると、導入済みのソフトや、説明にカタカナばかり、1500ペ-ジもある用語辞典を、めくりながら苦闘がはじまるのか、ちょっとうんざりだなぁ。画像の鮮明さは比べ物にならない。分からなければ、分からないとあきらめ、楽しむしかないと、思っている。まさしく、ことわざ通りと思っている。
昨日は、天候不順をかいたが、今日は、爽やかな秋晴れだ。画像は、磐越道を、郡山方面に走行中に、撮ったもの。朝陽が輝きはじめた瞬間だ。いい天気が続くように、願っている。所用で、仙台に向っていた。車に乗りはじめてから、目的地に到着するまで、約3時間かかった。以前は、6号国道を、約3時間かかって、北上していた。磐越道から、東北道を経由しても、時間の消費は、やや同じだが、ガソリンの消費は、多いと思う。走行距離の差は、約40キロメ-トル、一般国道の方が、少ない。自動車道路料金は、今は無料だ。通常ならば、往復で8600円が、必要だ。シルバ-ウイ-クなので、渋滞を覚悟をしていたが、早朝の走行で、すいすいだった。スピ-ドの出し過ぎに注意をするだけで、一般道路よりも、安心だ。途中で、トイレを使った。掃除をしていた係りのおばさんに、「いい天気になったねぇ」って、出口で、声をかけられた。
台風一過。晴れ間はちょっとだけ。曇り空と、時々ぱらつく雨の不順な初秋だ。今回の台風で、放射線は拡散したのかなぁって、思っている。放射線が、拡散したならば、ありがたいことだ。しかし、台風は各地に被害をもたらしている。当の市街地を流れている河川も、一時、避難判断水位を越した。ネットで、水位の情報が見られ、気象庁のレ-ダ-も見られる。もし、当の市街地を流れる河川が、氾濫した時は、2メ-トルの高さで、浸水するという。以前にも書いたことだが、もしもの時に、在宅で介護している老婆を、どうするか。二階にあげるか、避難をするかを、覚悟している。二階には、背負ってあげるので、背負う紐は、晒しの反物を、準備をしている。天候不順を、嘆くよりも、被害がなかったことを、感謝している。画像は、暑い盛りに撮ったもの。暑い盛りは、入道雲なのだろうが、こんな晴れの日を待っている。自分自身も、なにか不順のようにも、思う。日々の順調を、願ってもいる。人生、ままならないこととは、承知はしている。よけいなことだが、町内の防災会は、河川の氾濫が、予想されたときは、どうするのかなぁって、考えている。
画像は、エレべ-タ-ホ-ル。六基もあった。先日、従兄の通夜と告別式に行き、池袋駅前の、ホテルに宿泊した。徒歩三分の19階の一室だった。寝相悪く、180度回転しても、ベットからは落下しない。湯船は、足を伸ばし、立ちあがるのに、手すりを握って、よっこらしょだった。バスルームに、一間大の大鏡。張りのない、老体が、映るのかと思いきや、そうではなく、湯気で真っ白けだが、洗面台で我が顔が映る部分は、鏡そのものだった。醜体をみることもなかった。こんなことより、チックインのフロントで、、「いわきからお出でですか」って。記入した名簿をみているので、「みみずがのたばった字なので、読めぇねぇぇのかぁ」っと、一瞬思った。そうではなく、「私、久の浜出身なんです」って、言うではないか。「あららっっ、そうなんでぇすかぁ」って。「久ノ浜は、大津波と大火災、原発からの避難で、大変でしたねぇ」と。「叔父と叔母、三人亡くなりました」と。「三人とも見つかりました」と。「たびたびは、帰れません」と、ちょつと、涙目にみえた。「部屋まで、ご案内しますか」って、田舎者を気使ってくれた。フロントには、六、七人携わっていたが、その内のひとりが、「いわき出身とは」驚いた。大都会の真中で、方々の所から出きた人達にまじって、働く若いフロントマン。「もっと、ふるさとの話しをしてやれば」と思いながら、睡魔に襲われながら、眠りについたものだった。
パソコンの修理を依頼してから、三日目でなおった。出張修理を依頼して、翌日には、修理のサ-ビスがきた。故障の原因と、場所の確定ができなかったので、再度、部品の手配をして、今日で終わった。故障の時の、対応の素早さに、感謝している。ちょっと前に、別のメ-カ-のを、修理したことがあった。その時は、送る時と、返送の時と、修理の日とで、七、八日かかった記憶がある。今回のメ-カ-は、事業社を主にしているようなので、対応の素早さが、必要なのだろう。今月始めに、故障していたが、病院で検査の結果を聞きに、東京のいとこの、通夜と告別式に、11日にも、知り合いの通夜に行ったりと、ちょつと気ばかり、多忙だった。柄にもなく、JRス-パ-ひたちのグリ-ン車を使った。片側二列と一列、座席に腰を埋めると、周りの座席にそれぞれ着席しているのだが、頭部も見えない。車内の案内も耳障りなく、眠るのには好都合だった。長時間の移動には、ゆったり座って、こっくり、ぐっすり眠られるのがいい。前に戻って、半月振りのブログ、また、とりとめもないことを、書きはじめた。