八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

続、サツキ

2018年04月30日 20時30分01秒 | Weblog

前掲の続き。なんか今年は、花の数が多いようだ。周りのサツキは、つぼみが見えない。昨年、枝を刈り込んだ影響のようだ。素人が、やたらめったら、時期を考えないて、刈り込むのだからだなぁと。ネットで、勉強してみっかぁと。別の話し。五月になる。早苗月と言うので、毎日食べている米の、田植えの季節になる。農家にとっては、大切な月なのだろう。五月五日は、こどもの日。端午の節句。菖蒲の節句。いろいろと、いわれがあるようだ。端午の節句には、柏餅を食べる習わしがある。なぜかしわの葉なのか。柏の木は見たことがない。かしわの木の葉は、新芽が出ると、古い葉が落ちるという。そんなことから、家系が絶えないという、縁起をかつぐという。節句で、なにかと考えさせられる。

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またまたサツキ

2018年04月30日 20時15分18秒 | Weblog

庭木の枝先のを、カシャッとした。古くから鑑賞用に栽植されていると、いうので、古くは、120年前に、祖父が植えたのかもと、推測している。樹のの高さは、150センチはある。根元から、二枝のなって古木のようで、枝先に花をつけている。背丈ばかり高くなってしまったので、低木にするには、接ぎ木の方法があるようだ。台木を、まず探す。素人の手で、できるのかなぁと。

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鉢植えのさつき

2018年04月27日 20時14分14秒 | Weblog

地植えしていたのを、鉢植えにした。花を待っていたが、咲きそうにもない。葉が緑緑して、生き生きとしている。これを眺めるのも、いいべぇなぁ。さつきは、五月、六月に咲くというので、種類によって、咲く時期があるのだろう。葉は、春から夏に出るものと思っている。夏から秋に出る葉もあるという。日照や風通し、肥料によっても、違いがあるようだ。古木の枝ぶりを、楽しむ手入れができないので、地植えしておくことにする。

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さつき

2018年04月27日 19時54分19秒 | Weblog

ちょっと離れたところに、二年前に、地植えしたのを、鉢に移した。かろうじて、一鉢花が咲いた。あと二鉢は、葉が緑緑している。花芽はみあたらない。手入れができないので、地植えがいいのだろう。見てきたら、古木だが、純白の花が咲く。さつきは、園芸品種が多く、葉の形もいろいろと多い。花の色も、白、赤、まだらのもの、基本は、紅紫色のようだ。園芸品種というのだから、交配によって、進化したのだろう。大分前だが、枝払いをして、その枝を、地面に刺しておいたら、根付いたが、雑草を刈り払いをしたとき、切ってしまった。、連休中に、除草することにする。

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初物七十五日

2018年04月23日 15時54分39秒 | Weblog

写経会の後、お茶と竹の子の煮物で、お接待をいただいた。柔らかく甘みがあり、ちょっとの「いごみ」があって、まさしく、旬のものだ。「いごみ」は辞典には載ってない。「渋み」と「苦味」が合わさった薄い味と、表現したらいいのかも。聞くと、いのししと競争で、朝早く、堀り起こしにいったという。「いただきます」と、二口、三口なのだが、朝早くの作業、皮を剥いで、糠を入れてゆでる。味を付ける。いろいろの苦労を思う隠しあじで、ありがた味が増大する。今日の境内は、初夏の陽射しが、若葉を鮮やかに照らし、参詣の人々の話し声が、重なって賑わっていた。小さい子どもさんの、はしゃぐ声も響いて、梵鐘は、わぁんわぁんわぁんと、余韻が少しずつ消えていった。また、「ぐおぉぉーん」と、木々をふるわせて、響いてくる。安産の祈願と、誕生の報告、薬師如来様に、体の快癒を願えられる。多くの参詣でにぎわった午後のひと時だった。写経会で、またまた、七十五日、長生きが出来る。別のことだが、「たけのこ生活」という言葉がある。在宅のばあちゃんは、戦時中、終戦後、嫁入りの着物を一枚、また一枚と売り、三人の子供を育だてたという。八月には、百四歳になる。

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年々歳々

2018年04月19日 14時50分42秒 | Weblog

路地に、咲いていた。昔し言葉に、「年々歳々、花相似たり、歳々年々、人同じからず」がある。意味は、花は、年ごとに同じように咲くが、人の境遇は、年ごとに変わって、同じではない、ということ。この歳になると、二年前、三年前とは、さほど、変わらないが、徐々に体力の低下を感じる。考えることは、昔かぁーしから、支離滅裂。これより劣化すれば、なんて、考えないことにしている。家族は、一応元気でいる。しかし、八月に、百四歳になるばあちゃんが、近い将来旅立つ。いつまでも、元気でいてほしいと、思っている。花に、「君の名は」と、問うてみても。

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一落千丈

2018年04月19日 14時27分24秒 | Weblog

新聞、テレビは、セクハラ発言で、官僚が辞任と報じている。記者に、音声を取られているというので、大多数の記者に、録音されていると、思っていた。なんか、そうではなく、相対しての、飯を食う席でのことのようだ。仕事上の取材では、なかったんだぁ。「鬼の首を取ったよう」なのか。取られた方は、地位など一気に下がってしまう、「一落千丈」だぁ。間違っていたら、ご容赦を。下衆の小生は、どうでもいいこと。

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昨年のディナーショー

2018年04月18日 20時04分51秒 | Weblog

机の引き出しにあった。兄弟会と称して、集まった。コメンテーターは、テレビの朝の番組の、ゴルフの時に「屋根裏の解説」で、登場している。トークは、アメリカのトーナメントは、なぜ盛況なのか。会場は、自治体が整備して提供をする。主催者は、集客をマネジメントすると、役割分担をしているとか。間違って記憶していたら、ごめんなさい。前置きが長くて、飲みも食べも遅れてしまった。素人の、パターの練習は、ゴルフ場に行ったとき、練習グリーンで、まず15メートル先のカップを狙って、3球パターをする。次は、目をつむって、同じく、パターをする。これの繰り返しで、ちから加減を知るという。これから、ゴルフシーズンだぁ。行ってみつかぁと、考えている。

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雅印

2018年04月18日 19時20分47秒 | Weblog

ちょつと思い出して、取り出してみた。印泥も使えた。習字の教場に行っていた頃は、一番大きいのが、軸装や額装の作品に押印をしていた。気分によって、朱色にしたこともある。関防印と陰刻印と陽刻印で、一組になっている。関防印は、引首印と言って、作品の右肩上に押印をする。作品を書き終えてから、署名や年月を書き、陰刻印と陽刻印を、押す。この押印も、作品の一部となるので、押印の位置や、印の色も、考えなくてはならない。画像のなかの、朱色の二種は、色紙に押印する。陰印か、陽印の、一つを押印することもある。これは、かれこれ十年前かなぁ。旧知の女性が、刻字の作品で、ある展覧会で、入賞したと知り、それならばと、篆刻を頼んだが、駄目というので、ならば、プロに依頼して篆刻をしてもらった。一時、夢中になったころを、懐かしがった。

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積ん読く本

2018年04月15日 14時57分08秒 | Weblog

昭和51年に、中央公論社からで、全巻揃えた。当時、塾で習字をしていた。下手の横好きで、書いたものが、所属をしていた書道会の、大、小の展覧会に、支部展へ、公募展へと、出品していた。知識を膨らませるには、配本のたびに、目を通していた。後になって、書道検定の、審査を受験をすることになって、役にたった。実技に、中国古典の臨書があった。日本の古典は、例えば、紀貫之が書いたとされる「高野切」は、書風で、第一種、第二種、第三種とある。それぞれに別人が書いたのが、書風に現れていると。実技検定には、これらの特徴を臨書する。最近役に立ったのは、「空海」のこと。巻頭には、「書人の伝記」、「わが空海」と題して、司馬遼太郎が書いている。これがまた、読み応えがある。積ん読くしていたものが、役にたった。

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毛筆書写技能審査

2018年04月12日 19時28分59秒 | Weblog

普通には、「書道検定」。はるか昔ーあしの、昭和51年の第五回に、受験をして、合格をした。上から、1、2、3、4級。2級の実技は、1、漢字三文字を、楷書行書で。2、漢字かなまじり十文字を。3、臨書で漢字を。4、臨書でかな十文字を。5、自由作品を。6、掲示文を。半紙に書く。臨書は、中国古典の18種から一つ。日本の古典の9種から一つ。受験会場へ行ってから、出題がわかる。3と4の、この臨書のための、漢字用に、剛毛、軟毛を数種、かな用にも数種を、準備する。臨書するものの特徴で、筆を使い分ける。仮名の臨書は、書きなれている漢字とは違う筆使いで、その特徴の表現を見極める。一つの実技に対して、半紙が2枚て、検定の提出は一枚。練習用は、持ちこめたが、時間の制限があった。理論も、四項目あり、旧字体と書写体。草書を読む。文字の歴史、筆順。当用漢字の字体などだった。同じ塾にきていた高校出たての女性が、将来子供たちに教えたいというのに、付き合って、ペン字検定会場の、高校生にまじって、受験をした。懐かしい老いの繰り言。

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三體千字文

2018年04月08日 19時39分07秒 | Weblog

ちょっと古い昭和六年初版とある。書道をしている方は、「三体千字文」は、承知している。「書道基本用語詞典」を、あらためて、調べてみた。それから引用します。「書の学習と、文字を覚えるために、作られた、四字からなる韻文」とある。「王義之」の書跡より、集字した千字文を「智永」が、「真草千字文」、楷書、草書の二体を並列に書いたのが始まりで、以来普及したとある。書家は、必ず一度は、千字文を書いたという。画像は、昭和の初期の書家のもの。書を学ぶ入門書というより、書を学ぶ者の、バイブルといえよう、とある。仕事で必要だからと始めた習字が、下手の横好きから、展覧会に出品して楽しんだのを、思い出している。

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手六十

2018年04月06日 21時09分13秒 | Weblog

筆字を、習い始めた、はるか四十五年前に、書いたもの。今、あらためて眺めると、書きこんでない、ほんとに素人のものだぁ。でも、その時は、それなりに、努力していた。上達は、書いて書いて、書きまくるだ。昔し言葉に、「算用十八、手六十」というのがある。意味は、算術は、若いうちに上達し、十八歳で一人前になるが、書道は長い修行が必要で、六十歳までかかるということ。なるほど、なるほどと、今頃、納得をしている。

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街中の桜

2018年04月06日 20時49分23秒 | Weblog

この桜は、枝の先は、若葉になっていた。周りのある柳も、みどりみどりしていた。「花」の二番を、ちょっと唄ってみっかぁ。「見ずやあけぼの 露浴びて われにもの言う 桜木を 見ずや夕ぐれ 手をのべて われさしまねく 青柳を」ってがぁ。小生も、はるか昔かぁし、尋常小学校の一年生になった時の、教科書は、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」だったのかも。桜が終われば、もうすぐ、青葉の季節になる。「光陰は、人を待たず」を、実感している。

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街中の桜

2018年04月06日 20時36分36秒 | Weblog

幹の樹皮も、若々しい。枝垂れ桜が満開だった。ちょっと思い出して、唄ってみっかぁ。「さくら さくら 弥生の空は 見わたす限り かすみか雲か 匂いぞ出ずる さくら さくら 花ざかり」。弥生は、三月の異名。「桜三月、菖蒲は五月」という言葉がある。三月、五月は、陰暦のことという。季節の訪れの、早い遅いは、しょうがないこと。お客さん相手の商売の方は、大忙しと、報じている。季節の巡りは、ありがたいことと思う。

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