年末の挨拶を、数家済ませて、書き出した。どの家も正月飾りがあり、つつがなく越年の様子。同年代で、足腰の不具合や薬の服用のことを、玄関口でお喋りをしてきた。表題の「往事渺茫」ーおうじびようぼうーは「過ぎ去った昔のことがぼんやりとかすんで明らかでないさま」と読んだ。徒然草からで、「年のなごりも心ぼそかれ」ー注は、「過ぎゆく年との別れも心ぼそかれ」とある。画像は、後にも先にもない一枚。暇を持てあましていたときに描いた。今日は、除夜の鐘のこと。百七回の打鐘は、煩悩が年内に去ったことを、百八回目は、新年を迎え、煩悩に惑わされないように過ごすことを願って、新年になった時刻に、打鐘すると、読んだ。「百八煩悩」ー「人間が過去、現在、未来にわたって経験する多くの心の迷いや苦しみのこと」と、読んだ。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「アオキー若く美しい」。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「時間が経過して次の新しい年、日や季節が始まる、年が○○〇とかけて、容器の中身を外へ出したり消費したりするので、蓋を○○〇ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーあけるー明けるー空けるーです」。毎々、知ったかぶりです。宜しかったら、年明けても、ご来訪をしてください。今年一年ありがとうございました。皆様方、よいお年をお迎えなさってください。
今日の誕生日の花と花ことばは、「ベ二ベンケイ」ー「幸福を告げる」。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「熱が加わり程よい温度まで上がるとかけて、この温泉は、体が○○○○〇ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらも、あたたまるー暖まるー温まるーです」。画像は、ささやかな鏡餅。この歳になると、無事に越年できるのが有難い。ご来訪の皆様も、つつがなく越年のことと、推測を致しております。「三度の飯も強し柔らかし」ー「ものごとは、なかなか自分の思うとおりには、ならないというたとえ」ーですね。「待てば海路の日和あり」と、いうこともありますね。表題の「寒煖饑飽」は、「寒さ、暖かさ、餓え、満腹といった日常生活の、苦しみや楽しみのこと」と、読んだ。またまた、あっちゃこっちゃです。ご来訪を感謝致しております。皆様方、よりよい、お年をお迎えなさってください。
画像は、若かりしの時。前回の動きのある写真の続きで載せた。昔の写真は、「はぃチーズ」で、静止のものだけ。今になって惜しいのは、ゴルフのスタートホールでの、ティショットを、連続写真で撮ったのを、廃棄してしまったこと。これは、軽井沢72ゴルフ場で、親睦コンペの時、ドライバーが、スライスしてOBで、打ち直しは、アイアンの二番で、ティショット、恥ずかしながら、二つの連続写真を購入した。破棄したしまったのを、惜しむのは、「自慢、高慢、馬鹿のうち」で、ご容赦。表題の「優悠閑適」ー「ゆったりとして、心静かに楽しむこと」と、類義語は、「悠悠自適」がある、と読んだ。なかなか、こんな心境にはなれない。「貧にして楽しむ」もある。「貧乏に花が咲く」は、すでに終わっている。あれこれ考えても、「ケ、セラセラー。なるようになるさぁ」は、毎度のこと。別のこと。今日の誕生日の花と花ことばは、「カトレア」ー「優雅な人」。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「鉢植えにした鑑賞用の草木とかけて、平凡な才能の人ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーぼんさいー盆栽ー凡才ーです」。お天気は、年末も、年明けも、大荒れにならないようにです。明日は、正月飾りをします。では、また。
前回の「栄枯休咎」に続いて、表題の「栄枯盛衰」は、言わずもむがな。我が身を振り返えれば、「栄」も「盛」の、「イケイケドンドン」から、今は「枯」と「衰」の状態になっている。画像の頃は、「栄、盛」の時代から、世紀の変わり目に差し掛かり、五年十年で、世の中は、がらりと変化をすると、勉強会やセミナーで聴いていた。平穏無事などは、当てにするな!と、聞いていたので、覚悟もした。結果的には、良しとしている。「枯、衰」の後はと、一応は、考えてはいる。どうなるのかは、「なるようになるさ」でいる。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「ロウバイ」ー「自愛心」。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「海路によって、人、物を運ぶとかけて、運をいいほうに引き寄せるととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーかいうんー海運ー開運ーです」。今朝の未明の地震は、揺れが大きく長めに続いていた。夢うつつに、この揺れぐらいは、大事にはならないなぁだった。お天気のことは、年内にひと荒れあるという。ほどぼとにと、願っている。
画像は、前に愛車だったトヨタのマークⅡ。某テレビ番組の愛車遍歴に、登場したことがある。懐かしく番組を楽しんでいた。左側の女性の事を、CDにあるのを、探しながら見ていた。すると、画像があった。運転席から降りかかっているのが小生で、まるで別人。その頃は、よく遊び、よく遊び、よく働いていたなぁと、懐かしがっている。よく遊びは、草刈ゴルフで、営業で訪れると、「明日ひまかぁ」と、誘われたりした。このマークⅡを購入した時は、これと、次の新型のマークⅡのカタログと見比べて、あえて旧マークⅡに決めた。鮮やかな紺色は、誇らしがった。このマークⅡの流れで、クレスタを使っている。表題の「栄枯休咎」ーえいこきゅうきゅうー「人の物事の繁栄や衰退と、禍福のこと」と、辞典で読んだ。類義語は「栄枯盛衰」とある。今日は「仕事納め」「国際疫病対策の日」。今日の誕生日の花と花ことばは、「ナンテン」ー福をなすよき家庭ー。誕生日の方、おめでとうございます。「ナンテンー南天」は、薬草とか。今の時期、真っ赤な実を採集するのがいいと、読んだ。粉末にするのかなぁ。突然ですが「物質が酸素と化合して、熱、光を出す現象とかけて、一年間の売上高と、また、年齢が少ないととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーねんしょうー燃焼ー年商ー年少ーです」。今の時期の七十二候は、「しかのつのおつる」で、今年も終わる。今年の正月に、大地震に遭われた方々、一年になりますね、お見舞い申し上げます。年末、年明けが、大荒れにならないように願っています。
表題の「枯木朽株」の意は、「年老いた人のたとえ」とある。小生の如きは、ただただ歳を重ねていく。前回の「枯木寒厳」続きで載せた。クリスマスとかで、ケーキを三回食べて、今日は残りの一つを食べる。明日からは、新年を迎える準備で、正月飾りをスーパーへ、仏壇の供え花も、正月用に赤いぼんぼつっこついたセンリョウと、菊、松、榊などを買いに花屋さんへ行く。供え餅も買いに行く。一昨年までは、菓子店へ、玄関と神棚への供え餅と、井戸、屋敷神、台所、洗面所などへの小さな供え餅を、注文をしていたが、昨年からは、スーパーに搗き立てのが、並べてあったのが知ったので、それを買うことにした。一応、新年を迎えるが、この身になると、「門松は冥土の旅の一里塚」が気になる。何事も無ければ、一里塚にたどりつく。何事も無いのが、何時までになるのか、なんて湿っぽいことを、考えている。考えてみても、最終的には、「ケ、セラセラ、なるようになるさぁ、先のことなど分からない」で終わる。ほとんどの皆さま方々は、夢も希望も「来年こそは」と、願望のことと思う。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「クリスマスローズ」ー「追憶」。誕生日の方。おめでとうございます。突然ですが、「感情が外にあらわれたものとかけて、氷の上ととく。そのこころは」。「どちらもーひょうじょうー表情ー氷上ーです」。画像は、「枯れ木も山の賑わい」ですね。
表題の、「枯木寒厳」ーこぼくかんげんー「世俗に超然とした悟りの境地」、「仏教、特に禅宗で情念を滅却した悟りの境地にたとえる」と、読んだ。難しい言葉で、下衆が載せるものではないと、承知をしているが、今の寒さを表現する四字熟語を、文字だけ読んだ載せた。お天気予報で、クリスマス寒波、年末寒波、年明け寒波と、厳しい寒さと報じている。冬の季節なりの厳寒のようだ。旧暦の12月1日は、大晦日なので、昨年より、11日早い。春の訪れも早いかなぁです。へぼ予測は、季節の巡りは早いと載せた。画像は、寒厳の風景と思い、再掲載です。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、シャコサボテン、ー美しい眺めー。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「地球の両極のうち南の極とかけて、めんどうな場面、情勢ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーなんきょくー南極ー難局ーです。またまた別のことで、今日は何の日と、書いていた。冬至を過ぎてからは、「納め」がある。「納め大師」「納め地蔵」「クリスマス」「終い天神」「仕事納め」「納め不動」「大納会」「年越し」「大はらい」「除夜の鐘」で、今年も終わる。「もういくつねるとお正月ーーー」なんて、口ずさみながら、今年はと振り返るのもいいかなぁ。皆さま方、風邪なと召さぬように。
画像の右は、年賀の挨拶のはがき。画材は、墨絵年賀状素材集からを使った。例年このパターンを使っている。表題の、「一往一来」ーいちおういちらいーは、「行ったり来たりすること」。ここ十年単位で顔を合わせてない人もいる。受け取った方は、「おっ、未だ生きているかぁ」と、思われるほどの歳になっている。同級生、三名ほどとは、数年前に終えている。画像の左側は、昭和27年と29年の、お年玉郵便切手。年賀用としては、昭和11年に新年用切手として発売されたという。でも、発売は、年をあけてからだったので、新年には使えなかったとかです。昭和29年用からは、12月に発売されたとです。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「ポインセチア」ー「博愛、祝福」。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「競争で、相手を圧倒的に引き離して走ること、とかけて。有毒な成分をもつ草ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーどくそうー独走ー毒草ーです」。お天気は、予報通りに、北風がふき荒れている。ちょこっと見た、北西の方の空は、鉛色、雪雲なのかも。寒いですね。
当地方穏やかな冬至。お天気予報では、明日から明後日にかけて、荒れるかもと、報じていた。日本の季節区分に、「年末の荒れ」という特異日が、記載されている。大荒れにならないことを願っている。前回も書いた日の入りの時刻で、冬至を過ぎれば日暮れの時刻が遅くなるのが、実感する。「冬至冬中冬始め」で、これから寒くなる。「一陽来復」は、冬至とか、新年の時とか、立春のころとかで使うと、読んだ。画像は、小生の平成28年の年賀はがきに、「一陽来復」を使った。画は、「墨絵年賀画材集」からです。物の本をぺらぺらとめくると、「冬至」は「湯治」とかけ、柚子湯に入る。「柚子」は「融通」とかけて、「融通をきかせて世の中を渡る」いう、語呂あわせがあると、読んだ。「桃栗三年柿八年柚子は九年でなりさがる」といわれ、長い年月をかけて実を結ぶ柚子を尊重をするのだと、読んだ。「桃栗三年柿八年○○の大馬鹿十ハ年、俺は一生」ー俺は実を付けることはないだろうと思いー、なんて、いつぞやに載せた覚えがある。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「ケヤキ」ー「重厚」。誕生日の方。おめでとうございます。突然ですが「塵やごみを掃き集めて掃除をする道具とかけて、投げ捨てるととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーほうきー箒ー放棄ーです」。今の時代、箒は、大相撲の土俵の回りを掃いているのをみている。またまた滅裂です。
画像は、午後2時頃の廊下に差し込んだ陽光。明日は冬至になる。当地方の、冬至の日の入りは、午後四時23分で、月始めころから、四分遅くなっている。冬至は太陽の折り返し点。その昔、太陽の位置の測定に棒を垂直に立てて、太陽からの光で、棒の影が一番長くなった日を、冬至にしたと読んだ。先走って、「一陽来復」ーいちようらいふくーは、以前に載せた。冬至を「年の始め」にした時代もあったと、読んだ。地球が、太陽の光と熱が一番少ない頃を吸収して、それが反映されるのが、立春ころになると読んだ。冬至を過ぎれば、少しずつ太陽の光と熱が、地球に吸収され、暖かくなると、読んだ。表題の「履霜堅氷」ーりそうけんぴょうーは、「霜を踏んで歩く季節がくれば、やがてさらに寒くなり氷が張ることから、災いは一気にくるのではなく、少しずつ段階を追ってやつてくることをいう」と、読んだ。「履霜之戒」の類義語で載せました。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「アロエ」ー「復活」。誕生日の方、おめでとうございます。また、「東京駅開業の日」とある。突然ですが、「商店の使用人のなかのかしらとかけて、冬の末、陰暦12月の別称ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーばんとうー番頭ー晩冬ーです」。向寒のおり、ご自愛のほど。
画像は、またまたのひけらかし。捨てられずに、はるか昔しに書いたもので、「不急不息」の出典は分からない。ことわざの「急いては事を仕損じる」と、同じ意と思っている。表題の「閑雲野鶴」ーかんうんやかくーは、「世俗に拘束されず、自由にのんびりと暮らすたとえ」と、読んだ。「閑雲」は、「大空にゆったりと浮かぶ雲」。「野鶴」は、「野に気ままに遊ぶ鶴」と、読んだ。「井の中の蛙大海を知らず」ー考えや見分の狭いたとえーなのでと、言い訳をしている。が、もとよりないのです。今日の誕生日の花と花ことばは、「シクラメン」ー内気なはにかみ、理解ーとある。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「神や仏が乗り移ったような感じとかけて、恥ずかしくてひやあせが出たととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーれいかんー霊感ー冷汗ーです」。画像の「急」の「心」は、誤字に見えるが、一画目が、筆が動いているので、いいかぁです。またまた「舌先三寸」です。
またまた、枯れ木も山の賑わいで、載せた。画像は、守屋洋著「中国古典の名言録」からで、持続的に努力をすることの意になる。仕事をしていた時分には、大事なことだつた。画像とは別の意味で、何かあったなぁで、載せた。人生百年時代と言われるので、我が身に当てはめると、あと十年ちょっとで百歳になる。九十年間、生きてきたのを振り返っている。終わりは不定なので、これから先は、不安することが多いと、覚悟はしている。別のことで、表題の、「人事天命」は、「人間としてできうる限りの努力をし尽くしたうえで、その結果は静かに運命にゆだねること」と、読んだ。ことわざにある、「人事を尽くして天命を待つ」と、同じ。大それたことを書いたが、七十歳過ぎまでは、まあまあそれなりに努力をしたつもりだ。別の事。今日は、「国際移住者デー」「国連加盟記念日」とある。今日の誕生日の花と花ことばは、「ハタバアオイ」ー細やかな愛情ー。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「選挙で、その職であることを表すとかけて、色で、赤、黄、青の、三色のことととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーげんしょくー現職ー原色ーです」。前述べの「フタバアオイ」の、「あおい」とやらは見たことがない。時代劇で「この紋どころが目に入らぬかあ」で見ている。家紋は、徳川、松平、尾州、紀川、水戸、会津、等々、一見同じに見えるが、ちょっとずつ違っている。今では、家紋のことは時代遅れのこと。またまた、あっちゃこっちゃです。
画像は、はるか昔しに書いたもの。「枯れ木も山の賑わい」ーないよりはましーと、思い載せた。上手下手はともかく、表題の「自負自賛」です。「うぬぼれて、自分で自分の行為を褒めること」ーと、読んだ。「うぬぼれて」の方の、たぐいです。類義語に「自画自賛」がある。今年の四月から、写経会に出席をして、筆を使う。筆を持つと不思議に気持ちが落ち着く。「文房四宝」ー筆、墨、紙、硯は、一応手持ちしてある。取り出してみても、基本の基を疎かにしるのでダメです。古いのを眺めている。画像の「至誠」は、諸兄の皆様には、言わずもがなです。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「ビワ」ー「ひそかな告白」「温故」とある。誕生日のかた、おめでとうございます。突然ですが、「庭木で今の時期、赤い実が付いている樹とかけて、難しいところととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーなんてんー南天ー難点ーです」。南天の実は、漢方薬に使うとか。葉は、抗菌作用があるという。またまた、あっちゃこっちゃです。
当地方、冬の好天が続いている。雪国は、表題の如く、「飛雪千里」ー吹雪の激してことーで、苦労のことかなぁ。季節季節の事は、ほどほどで願いたいものです。日本の季節区分に、「年末の悪天」が特異日とある。ひと荒れは覚悟で、これも、ほどほどにとですね。画像は、万両の鉢植え。大分前に撮ったもの。五、六鉢があったが、手入れが悪く枯て、小さいの二種は地植えして、葉が生き生きしてきた。鉢植えの時、よく見ると、葉の大きさやとげとげの間隔が違うのがあったようだ。樹類があるのかも。画像は、今の時期に何かあったなぁと、拾い出したもので、「無用之用」ー「役に立ちそうもないものがーー」でした。撮ったその頃は、在宅介護中で、ヘルパーさんや看護師さんが出入りするので、玄関先に掲げて置いた。今日の誕生日の花と花ことばは、「センリョウー富ー可憐ー」とある。誕生日のかた、おめでとうございます。「マンリョウ」は、12日の誕生日の花だった。「千両」と「万両」とも、赤い実が付くところが、葉の上と葉のしたに付く場所でわかる。お正月の縁起花として添えるのは「千両」の方。突然ですが、「ある場所を独り占めにして、他の人を入れないこととかけて、原発事故のあと、放射能の量を報じている値ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーせんりょうー占領ー線量ーです」。またまた、あっちゃこっちゃです。
画像は、大分前に書いた駄筆の披露。「冬来幽興長」ーふゆきたりてゆうきょうながしー。漢詩の一節と思う。人里をちょっと離れた静かな所で、何かを思い巡らしをしている情景かなぁ。今の小生の情態、背中から温風ストーブの音を、北風がガラス窓をゆする音を聴きながら、週明けからの、多忙の段取りを、どおするかなぁの様のようだ。表題の「冷暖自知」ー「水が冷たいか暖かいかは、飲めばおのずとわかる意」から「他人から言われなくても、自分のことは自分でわかるという意ー」と、読んだ。以後の自分の事は、知る由もない。「いつまでもあると思うな金と健康」と、いうこともある。「窮途末路」ー窮地にあって困りはてることーということもある。湿っぽいことで、ご容赦。別の事。今日の誕生日の花と花ことばは、「フユザクラ」ー「冷静」とある。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「家の正面の入り口とかけて、厳しい寒さととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーげんかんー玄関ー厳寒ーです」。またまた、「月夜の蟹」ー中身がからっぽーです。「月夜にとれる蟹は、甲羅ばかりで、身が少ないとされることから」と、読んが、本当ですかねぇです。