前掲の楷書体と同じ日に書いた。行書も、下手の横好きにしては、まあいいかぁ。これも、収まりがいいと思う。前にも書いたように、披露するには、100枚書いて、その中の一枚は、いいのがあるかもだ。楷書は、三枚目のものを、載せた。これは四枚目のもの。紙が二種あって、中細の羊毛筆を使った。「自書自賛」するほどではないと、承知はしている。閲覧している皆様には、大変失礼なこととも、承知はしている。でも書くと、面白い。
ある朝食のおかず。お見せするには、お恥ずかしい。玉ねぎとソーセージを、塩味でにして、炒めた。浅漬けのきゅうりも、浅漬けの元を使って、美味。もう一つは、味噌をつけて食する。この味噌は、二月に仕込んた物を買い、熟成が終わって、食べれるようになった。今が旬と思うきゆぅりは、スーパーの棚には、数多く並んでいる。生産者の似顔絵が付いているのもある。今の時期は、地元農家のものが、美味と思う。
下手の横好きで、30年ぶりに、書いてみた。剛毛の穂先が長い筆が、未使用で残っていた。楷書を書くにはいい。収まりはいいと思う。展覧会に出品する目的はない。30年前だったら、ここから、書きこむ。墨の色や、紙も、考えて、100枚も書けば、その中の一枚は、なんとかいいものになるかもだ。
2009年の、NHKのドラマ、「ハゲタカ」、を、数年ぶりに、再生した。いつもの、ながら見しているTVも、この歳になると、あまり興味がなくなる。オープニングは、「腐った日本を、買いたたく、買いたたく」で、始まる。TOBとか、ホワイトナイトとか、当時の言葉を、思いだす。お金を稼ぐのは、体を使って、働いた成果と思っている。お金そのものので、利益を上げて、稼ぐことができる世の中のようだ。終わりは、「金のない悲劇、金のある悲劇」だったと思う。ドラマなので、見るだけで、面白いでいい。ハゲタカは、はげわしのことで、屍肉を食するという。「ハゲタカ」という題名も、なるほどなるほどだった。
今日は、晴れたり曇ったりで、夕方、ちょこっと、夕焼けだった。すぐに、雲が多くなった。太陽の折り返し点で、昼間の時間が、一番長い夏至。明るい時間は、16時間くらいかなぁ。暗い時間は、8時間くらいかなぁ。お天気予報では、暑くなるという。明治以前の時刻は、「不定時制」といわれ、夏でも、冬でも、日の出時刻の約35分前を、明け六つ、日の入り時刻の35分後を、暮れ六つという。夏至の頃の昼の、一時は、2時間39分で、昼間は約16時間。夜の一時は、1時間21分で、夜の時間は、約8時間という。難しいこと考えてみたが、時代小説は読まないので、明け六つ、暮れ六つとか、子の刻ということを、知らなくてもいいべぇです。
古いノートに、はさんであった。平町職業別明略圖の表題。今は、平驛は、いわき駅になり、駅前は、30メートル幅の道路になっている。近代的な、ペデストリアンデッキの交流スペースなど、公共空間として、整備されている。見ただけで、また、ノートにはさみこんだ。
拙いブログに載せたものを、拾い出して、小冊子を作ることにした。書道塾に通っていた、50歳頃の、展覧会に出品したのと、パソコンを導入した当時に、文字を描いた頃のものと、色紙に書いていたのを、ブログのネタにしたのとに、振り分けて、綴ることにした。趣味と言うほど、高尚ではなく、「下手の横好き」のたぐいのものだ。んだらば、今は、書けるのかぁと、まずは、筆を並べてみた。そのなかに、まだ使用していない、剛毛の長い穂先のものがあり、楷書を書くのには良いようだ。かなりの高額、¥8000の値札が付いていた。もう一本は、羊毛の筆があった。これは隷書用なので、今回は使わない。これも、ちょっと高額だった。はるか昔に使っていたのは、使いこなすことで、手になじませることだった。今は、展覧会に出品する目的がない。目的がないと、気が進まない。今回、小冊子に綴り込むという目的があって、楷書と行書のものを書いた。近々、カシャッとして、ブログに載せようと思っている。
かれこれ四十年前に、いただいたもの。写経会に行くようになって、使いはじめた。案内書によると、「秀衡塗」。岩手県、平泉の東方、大泉町のうるし[朱と黒と金]のもつ艶やかな地に、雄勁然も、格調高い春秋の草花紋をあしらいとある。遠い平安のむかし、みちのくに絢爛たる文化をもたらした藤原氏が、京より招来した工人に創らせたたのが始まりとある。写経は、月に一度だけだか、蓋をあけて、硯で墨を摺ると、気が引き締まる。今回は、小冊子の「ヘボ筆字ぽつぽつ記」を、まとめる。それに、載せようかなぁだった。
画像は、昨日のNHKのBSのテレビ番組の、エンディング。いわきFCの選手のトレーニングを、伝えていた。選手ひとりひとり毎の、トレーニング方法を、紹介をしていた。個人個人の、体力を測定をして、そのデーターの分析によって、より効果的に、トレーニングするという。なるほどなるほどと、見ていた。いわきFCは、地域との交流にも、力を入れているという。そういえば、昨年の、赤井嶽薬師常福寺の、夏大祭りに、必勝祈願を、選手揃って、火渡りをして、参詣の人たちが、応援をしていた。
午前中は、高くもり空。夕刻近くになって、雨が降りだした。当地方も、梅雨入りになるのかも。日本の季節区分によると、梅雨入りは、6月10日頃。梅雨の大雨は、6月29日頃。梅雨明けは、7月15日頃とある。旧暦の五月を、梅雨の期間とすると、6月14日から、7月12日まで。昨年は、旧暦の五月が二回あって、5月26日から、7月の22日までだった。梅雨明けは、昨年より早いのかも、はたまた、どうなるのか。画像は、鉢植えのサツキ。一幹、一幹が、順ぐり咲いて、これが、最後になる。よく見ると、葉の形、大きさ、光沢が、違うようだ。鉢植えの、枝ぶりを楽しむことはできない。地植えにしょう。
福島民報の新聞記事より。期末の決算で、業績が悪いと言っていた。ちょっと前の報道では、同業他社から、社長ともう一人を、招聘するとのことだ。金融庁から、業務改善命令というから、銀行としては、大変なことなのだろう。かれこれ20年前になるのか、倒産のうわさが広がり、預金の引きだしで、大騒ぎがあった。銀行の株価は、100株単元で、680円前後のようだ。ちょっとばかり持っている。10万円弱の欠損をしている。塩漬けとしている。
この車を、仕事で、二年間、使たことがある。古い話しでは、洗濯板道路。車が、ポンポンはずんだっけなぁ。こんなの事は、笑い話し。これの前は、同じ、マツダ製の、軽四輪車を、二年間だったと、記憶している。小生、もうちょっと、運転するつもりでいる。アクセルと、ブレーキの、踏み間違いには、注意だ。交差点に差し掛かった時は、アクセルから足を離すようにしている。
昭和11年四月発行の、絵葉書。日本橋記念碑竣工記念とある。日本橋由来記によれば、明治44年3月に新装成りとある。意味は解らないが、「お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり 行列そろえて アレワイサノサ コチャ 高輪 夜あけて 提灯けす コチャエ コチャエ」、でしたかなぁ。最近、日本橋のことが、報じられているので、載せました。明治44年というから、107年前。びっくりと思いきや、在宅のばぁちゃんは、八月で、104歳になる。
またまた、サツキの花。幹は古木状で、数輪しか、咲いていない。近々、地植えにする。季節は巡って、五月雨の時期は、今月半ばから。梅雨明けは、早いのかも。二、三日、爽やかな日が続いている。五月晴れというようだ。梅雨の季節に、爽やかに晴れるのも、五月晴れ。いずれにしても、気持ちいい、お天気だ。