画像は、昭和34年刊の、「概説 平 市史」より。いまから、60年前のころ。右側は、常磐線と、当時の平駅。蒸気機関車の煙が、写っている。左側には、親が子どもの肩に、手をのせて、見下ろしている。城跡と思う。時代は、変化をしている。
ある日の夕食。時間を持て余し、冷蔵庫にあるもので、作った。この歳になると、戦さはない。ひもじいければ、あるものを食べる。体力を維持するには、食べることだと思う。いま、体重は、75キロくらいだ。めまいで苦労をしていた55歳ころは、65キロだった。めまいで、食事ができないときは、5キロはすぐに、痩せてしまった。体力がなくなる、動きがにぶくなる。めまいに悩まされた数年は、病院で、めまいを止める薬の服用と、注射をする。これの繰り返しをしていた。ある時、かかりつけの内科のお医者さんで、めまいと話すと、注射で、めまいが止った。その内科のお医者さんは、安静が第一だ。とにかく、眠れだった。それかよかった。それからは、とにかく食べて、眠る。体力をつける。今は、食べすぎないようにと、注意されている。
梅雨空の曇りの日が、続いている。雨の画像は、だいぶ前のもの。それでも、昨日は、セミの鳴き声が、風にのって、聞こえていた。今日も、耳をすませば、弱弱しく、鳴いていた。例年この時期は、暑い日が続くのだが、「冷暑、混在の夏」という、旧暦五月閏年の、特徴通りのようだ。あと、半月あまりで、いわき市の平の七夕飾りで、街の中がにぎやかになる。いわき各地で、夏祭りが行われる。雨降りに、ならなければいいがなぁと、思っている。旧の七夕は、八月の28日になる。昨年より、20日遅い。
前掲のブログに、明日が、丑の日と書いたが、その日だった。夏ボケ?。否、いつものボケ。丑の日は、8月6日も、「土用二の丑」とある。画像は、選り抜きサザエさんを、ぺらぺらめくっていた。左端の四コマは、駐車違反のこと。描かれている車のような形のに、当初運転をしていた。運転歴、59年になる。もっぱら、最後は、ハイエースを、長年運転をしていた。ギァの入れ替えが、手についている。今、使っているオートマが、低速になると、ニュートラルにするよう、手が動いている。先日の運転免許更新時の、実車運転時には、教官が、「動かすなぁ」だった。でも、低速になった時の、アクセルとブレーキのペタルの踏み違いの、予防になる。
いまどき、「ウナ電」はない。至急電報のことだった。電報というと、弔意電報かな。画像の四コマ漫画に「ウナ電」を、「うな重」と、聞き違いして、お昼時に訪問をしていて、うな重をご馳走になった漫画がある。明日は、「土用の丑」の日とかだ。今夕食は、うなぎになるようだ。「土用」は、春夏秋冬にあるようだが、夏の土用だけ、残ったようだ。土用とは、陰暦で、立秋の前の18日間で、処暑から立秋までの、もっとも暑い時期という。また笑われると思うが、旧暦の五月がダブルである閏の月だ。五月雨の月が終わり、水無月という六月が、始まった。日本各地、大雨の被害が、報じられている。1998年も、閏五月だった。故小林弦彦氏の予測記には、「長雨、冷暑混在の長い夏」とあった。画像の「よりぬき、さざえさん」は、小箱に入っていた。
初版の、複刻本。もう一段ある。まあ、読むというより、眺めている方がいい。「吾輩ハ猫デアル」は、ページの耳が、断ち切られてないので、読めない。初版本そのものが、ページの耳が切ってないと、なんかで読んだ記憶がある。昭和50年刊行と、奥付けにある。複刻本として、何回も、刊行したようだ。
これは、捨てない。昭和50年ころのもの。42年前かぁ。全巻揃っている。いまどき、必要な人はいるのかなぁ。習字を教えている知人が、もしかして、欲しいかもと、連絡したが、いらないだった。最近、弘法大師のことを、読んでみた。ちょっとでも、何かを知ろうとしたときは、必要になるのだろう。
この中から、不要のものを、捨てることにした。まだまだある。雑読だなぁと、あらためてみている。小説関係は、遠の昔に、捨てた。居場所が変わったときも捨てた。仕事関係のものも、捨てた。すこしずつ、古紙回収のときに、二束ずつ出す。これで、かなりの冊子が無くなる。残っているのを、ぺらぺらめくってみると、やはり、面白い。捨てるに捨てられずだが、整理する。
いただきもの。もりとか、かけとか、遠いあっちのほうで、議論をしていると、テレビでみている。「信州信濃の、新そばよりも、わたしゃ、あんたのそばがよい」、なぁーんて、粋がる歳でもない。近々、さるにして、食べることにする。茹で加減に注意だなぁ。
ジャンルを、男の料理としたが、ありあわせの物を、皿に盛っただけ。至極簡単なもの。「男伊達より小鍋だて」は、暮らしの方を大切にせよと、いうことだ。たまぁーに、こんなことをしている。まあ、ひまになったからだが。
画像は、いわき民報より。地元のいわき光洋高校が、惜敗。甲子園への常連校を相手に、立ち向かっての敗退は、至極残念だ。いとこの子が、野球部に所属していると、聞いた。いとこの葬儀に体格の大きい子がいるなぁと思っていた。
軽井沢へ行ってきたと、お土産にもらった。唄い文句のパッケージ通り、甘い餅菓子だった。仕事をしていた時は、信越本線の横川駅で、釜飯で、ゆっくりと登る車中の昼食をし、食べ終わるころに、軽井沢駅に着いた。当時、年に一回だが、軽井沢セブンツーの西コースで、ゴルフをしたことがある。18ホールが、3コースあった。9ホールプレーして、20分の休憩、軽食で、空腹を満たして、9ホール戻ってきた。ある時は、女子プロのトーナメントがあった数日後で、デポット一つ無いので、キャディさんに聞くと、芝を休ませていたとかだった。大分前のことなので、記憶違いがあったら、ご容赦のほど。
ここのところ、暑い日が続いている。涼んでいたところから、出ると、汗が吹き出る。でも、風があって爽やかだ。いわき市の気候の事を、ぺらぺらめくっていると、図のような区分があると知った。数日前に、震度4が、ぐらぐらぐら、がたっ、がたっがたっって、ちょつと、肝が冷えた。強震があった時は、連動しないように、願っている。図を見ながら、地震地帯の区分を、思ひ出していた。世の中、変なことが多いように思える。自然災害が、変なことにならないようにと、思っている。
「うおっ、リードしている」。「ありゃっ、同点になっちゃったぁ」。「うぉっ、勝ちこしたぁ」って、ながら見をしていた。最後は、テレビの前に坐して見ていた。平成五年に、文理科の高校として、開校したという。単位制というので、自分が受講する科目の時だけ、出席すればいいのげぇ、なんて聞いたことがあった。明日は、甲子園常連校を、相手に、壁を突き破って、突き進むことを、応援しょう。「がんばれぇ」。
NHKのテレビの、再放送の、一場面。不沈艦といわれていたのが、どうして、沈んだのかだった。画面とは別のことで、戦艦同士の戦いに、「一か八か」の戦いに日本が出たようだ。アメリカに誘いこまれてようだ。アメリカは、艦船の戦いは、不利と判断をして、航空機による戦いをしたようだ。古い言葉だが、「敵を見て、矢をはぐ」だなぁと。遠い遠い昔の戦時の事だが、興味はある。