八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

2010年05月29日 21時22分33秒 | Weblog
画像とは関係のないことだが、最近の報道で、拒否、罷免、暴走、離脱、影、解消、苦慮、批判、悪化、お詫び、末期症状とかの、文字が目に入る。平穏が一番なのだか、それぞれが、主義主張があるのだから、しかたのないことだ。なんか、ごたごたしているときは、何か悪いものに、突きさされてしまうように、思える。自分の頭の上の蝿を追わねば、しょうがあんめいっと、またまた自嘲をしている。
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月いちゴルハァ

2010年05月24日 21時17分53秒 | Weblog
なにげなく書いている「光」。天体からででいるもの。目の光とか。光りのない生活とか。光りに関する言葉がある。この歳になると、先々は光がない。いかに処していくか。それだけを考えている。後ろむきを改め、前向き肯定的すごす。そう言えば、以前にも自分を戒めることを、ブログをしたっけっと思いだす。画像とは関係のない、草刈りゴルフを昨日してきた。今にも泣き出しそうな曇天。でも、汗かきがない分助かった。OUTは三っのパ-があり、OBが一回と、まずまずだった。昼食のあとの、INは、パ-オンしても奥へ転がって、返しが駄目と、散々だった。ベントなのだが、下が固かったせいでもあるっと、「たら」とか、「ればぁ」っとか。あとのまつりだ。日頃使っていない筋肉が痛い。でも心地よい疲労でもある。間もなく、後期高齢者と、区分される身でもあるが、若い人にまじってのプレ-は、楽しみでもある。
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飛行機雲

2010年05月17日 21時31分34秒 | Weblog
飛行機雲とは、大樹林より。寒冷で多湿の大気中を、飛行する飛行機の航跡に発生する、細長い雲。主として、排気ガスが心核となって、水蒸気が凝固して生ずる。とあった。夕暮れの空を見上げたら、二筋見えた。真上ははっきりとした二筋が、西に向かってだんだんと薄くなった。この画像のあとは、二筋とも折れ曲がり、西の空に沈む太陽のひかりとで薄くなった。同じ方向に飛行しているので、お互いの飛行機との距離は、どのくらいなのだろうか
。同じ方向に飛行するには、高度とかのきまりがあるので、素人が心配することもないが。太陽の光りによって飛行機が輝きが、大きさの違いが見えた。初夏の爽やかな一日の、夕暮れ間じかの空だった。
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世道人心

2010年05月14日 21時07分08秒 | Weblog
せどうじんしん-世の中の道徳とそれを守る人の心。新明解より。二、三回ブログした変な人は、あの後何度か来たがお金はやらない。軽のマイカーで来た。本当に困窮しているのかどうか解らない。来る毎に態度がすうずうしくなつてきた。はじめに来たときは、かわいそうだなぁっと思ったのが、間違いだった。今の世の中は、年金もあれば、生活保護の制度もある。病苦で困る事もあるだろうが、あとは自分で解決すべきだろう。昔あぁぁし読んだ、文学小説のなかに「乞食のなかにも人格者がいるかも」というのが、又、「総会屋錦城」に「乞食の子を気ずかう--」が頭にあったことだった。同じお金のことでも、天と地ほど違う「国民へ説明する」と報道されている。「天定まって、人に勝つ」とか。国のまつりごとをするにも、徴税によりで、小生の貧困生活も、みいぃ-んな、金、金、金で、「浮世の沙汰も金次第」である。アメェバ-が考えたって、所詮しょうがないと、自戒している。
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九十六歳のばあちゃんの感謝

2010年05月08日 13時28分32秒 | Weblog
左手足にマヒが残り、ベットで暮らしているばあちゃんが、時々口にする。介護でヘルパーさんが、看護師さんが、お風呂サービスさんが、お医者さんが帰る時、頭をもたげて礼を言っている。遠い遠くの昔の、子どものころを、思い出しているのか。「めんごい、めんごいって育てられたんだぁ」とか。ばあちゃんは五人兄姉の末っ子。「待ってろよぉ、待ってろよぉっていっても、ずんずんずんって行ってしまったんだぁ」って云う。二人の兄も、二人の姉も、もう遠うの昔に死んでしまっているのはわかっている。「淋しいぃんだぁ」って、右手のパジャマの袖で、涙を拭いている。夢の中でのことか、「みいぃぃちやぁぁ-ん」って、呼ばれたんだが、「誰だかわかんねぇがった、あんちやゃ-んだったと思うよぉ。追っかけたんだがぁ、わがぁんねぇがった」っと。淋しげに話す。ちょっと介助して「またねぇ」って言うと「ありがとありがとありがと」って、「どういたしまして」って言って、その場を離れる。身につまされるおもいがする。
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有頭無尾

2010年05月06日 17時20分11秒 | Weblog
画像とは別のこと。新聞やTVの報道で、「うそつき」と、ののしっているのを見た。一国総理大臣には、失礼な言葉だと思う。怒り心頭になっているのは解る。「皆様と約束したことは---」と、呼びかけたのだから、それを信じて、一票を投じたのだから、やるせない気持ちなのだろう。「絵に描いた餅」を、食べようとした国民も悪いのか。数の論理で、議員様を多く当選させて、権力を握り、独裁的な存在になっているのかも。権力を手に、踏絵をさせてみる。まさかこんなことはないだろう。「うそつきは泥棒のはじまり」なあぁ-んて、教えられたかなぁ。今の世の中は、泥棒のイメージとは、ほど遠い。豆絞りの手拭をかぶり、鼻の下で結び、抜き足差し足で、物色する、愛嬌がある。今は、殺してしまい、切断をしたり、火を放ったりの、凶悪になったのかも。今回も支離滅裂だなあぁぁ-って、自嘲をしている。


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