バイパスのところどころに、現在の気温が、0度とあった。雪とはなんぞやと、辞典をみた。気温が0度以下の大気の上層で、雲中の水蒸気が、凝結し氷の結晶が集まって、地上にふるものとある。上空は、マイナス15度より低温の時とある。夕方から雨になった。お天気予報は、明日は晴れ。今日は洗濯物が、乾いていない。表題は、昔からの言い伝えだが、今は、洗濯機を使う。明日は、いい天気になる。
車の走行は、視界が悪い。ワイパーを早いのする。道路は、シャーベット状になっている。バイパスの走行車線は、50キロくらいの速度で、流れていた。追い越し車線は、それよりも少し早い速度で、流れていた。タイヤーが、冬用になっていないのかも。左から合流の車も、安全運転で、ゆっくりと走行していた。大型の車も、走行車線を走行していた。スリップするのは、シャーベット状の時、タイヤーと路面の間にできる水膜が危ないという。今日は、どの車も安全運転。
案の定、雨から雪になった。ちょっと前に、新品の冬用タイヤで、雪の道を走行したいと、ブログに載せた。しかし、実際に走行すると、滑るのが恐ろしい。雪が積もった時は、車が走行しない裏道で、ブレーキを踏んでみる。滑る具合を試してみる。今日は、裏道は、みぞれなので、積もらない。そのまま、車道に出て、走った。画像は、交差点で、信号待ちの時、カシャッとした。
数日前に、カシャッとした。デジカメも、セットをしておくと、カシャッ、カシャッと連射をする。動画も撮れる。SDメモリーカードは、2GBを入れているので、画像だけを記録している。動画を撮るには、4GB以上のに、入れ替えなければならない。かなりの高額になるのかも。別の話しになってしまった。「氷雨」は、気象の用語ではないそうだ。文学的な表現と、ものの本にある。車のタイヤは、新品の冬用に替えてある。一度でいいから、雪の道を走行してみたい。チエーンも、準備をしている。チェーンを巻いて走行したのは、かれこれ、十年前のことだ。雪で苦労をしている方々には、にがにかしいブログで、ご容赦を。
大寒の最中、北風が頬を刺す。車の中から、冬景色を見ている。「冬ざれ」という言葉がある。荒涼とした景色の意味。ガラス戸からの、陽射しは、少し春を感じる。でも、旧暦では、十二月の十日なので、まだまだ、寒さが続くと思う。
唱歌から。からす啼きて 木に高く 人は畑に 麦を踏む げに小春日の のどけしや かえり咲きの 花も見ゆ。前掲と同じく、遠く水石山をのぞむ。吹き下ろしのからっ風もやみ 穏やかな午前中。市街地から、少し離れると、季節を感じる景色がひろがっている。冬の雨だった先日は、水石山の山頂が、雪で白くなっていた。穏やかな日が、二日間続いて、暖かい。あと十日も過ぎると、立春になる。春はすぐそこまで、来ているのかも。でも、寒さは、まだまだ 続くかも。
前掲のバイオリズムのプログラム。古い機種のパソコンから、フロッピーに写し替えして、4年前に、パソコンを購入した現在のものに、読み込ませた。外付けのフロッピーディスクは、メーカーにも、家電店にも無く中古品店に一台だけあった。パソコンの、導入時の記憶媒体のフロッピーは、一枚2500円だった。高額だったパソコンを立ち上げるのに、フロッピー三枚。基本システムを読み込ませ、次にプログラムを読み込ませ、次に辞書プログラムを読み込みが終わると、使えるようになった。読み込むのに、時間がかかった。すぐに、一発で立ち上がるハードディスクのものを、購入して、二台を使いはじめた。古い話です。でも、導入時の業務のソフトは、今も活用している。
ここのところ、無力感があった。まぁ歳のせいだっぺぇでいた。バイオリズムでも、見っかぁで、打ち出した。なるほど、低調期だったんだぁ。やんねっかぁなんねぇなぁとしていた、65年前の、中学校の同級生の交流誌は、月末に一気に仕上げて、郵送することにした。バイオリズムの低調期には、あれこれと思案しているのがいい。高調期になったら、さっさかさぁで、ルンルン気分で、物事が進む。話は別のことだが、パソコンが珍しい初期の時代に、パソコンで、バイオリズムの計算をして見せたことがあった。その時、学生が、十二カ月分を、打ち出していいかと言った。学生が、自分で、自分のバイオリズムを打ち出した。打ち出しか終わって、その学生に、「なぜ」と聞くと、高校受験なので、試験当日のバイオリズムを知ることができた。また、毎月の高調期と低潮期が解って、ありがたいと、言っていた。
明治14年とある。これの裏側には、50枚で、1円に交換すると、刻してある。その頃は、この二銭銅貨で、物は、どのくらい買えたのかなぁ。戦争に敗れた昭和20年の兵隊さんの、ひと月の給料は、15円だったとか。翌年の米一俵の価格は、60キロで、18円80銭だったという。10キロは、約3円。現在は、ピンからキリまで、いろいろの種類がある。仮に、10キロ、3000円だとすると、物の値段は1000倍になった計算になる。だからと言って何になる。現在の生活を、如何にするのか。難しいことを考えても、しょうのないこと。この歳になると、入るものは、定まっている。その範囲で、生きていくとする。
交流誌の、一ページは、賀状の一部を、切りとり、継いだもので、クラスメイトへあてたところだけなので、文脈が整っていない。同級生は、理解してもらえるだろう。左側の絵は、二年前に、届いていた。東京在住なので、「国立西洋美術館」を、訪れた時のものだ。交流誌に載せると、催促をしたものだ。ちょろちょろと、描いたものだという。それでも毎号、二枚づつ、綴り込んだ。「おれので、いいのがぁ」と、送ってくれた。学生時代は、頭の良さは、抜群、東大卒業。中学校時代は、クラスの委員長。悪がきどもと一緒に遊んでいたので、怒られ役でもあった。ずうっと前のクラス会に、女性の恩師が、出席していただいたとき、「この委員長を叱っておけば、このクラスはまとまるなぁと思い、委員長だけを叱った」と、言っていた。「こらぁっ」と怒られ、廊下に立たされた列の先頭にいつも居た。当時は、生徒の数も多く、校庭は狭く、昼休みには、向かいの公園まで、遊びに行き、午後の授業の始まりに、間に合わない。それで、「こらぁっ」だった。
いわき市立平第一中学校の、第四回卒業。三年七組、三G会と称して、交流誌を作っている。今回は、第五号。「ことほぐ」を冊子の名にした。同級生なので、「傘寿」になる。それで、「ことほぐ」、祝福する。一昨年、クラス会の幹事をした。その報告を兼ねて、小生の宛に、手紙が寄せられていた。それを綴りこんで、作ったのが最初だった。趣味にでも、「俳句」か、「短歌」でもと、誘ったか、三人から、寄稿があった。もっとあるかなぁと思ったが、恥ずかしいのか、それとも、気力がなくなっているのかぁなぁ。またまだ、老け込む歳でもないのになぁと。今回は年賀はがきの図柄をまとめてみた。
三巻目。子どもが、小学生の時に、見ていた。筋書は、何とかわかる。アニメーション映画になって、テレビで見た覚えがする。本で見るのと、映像で見るのでは、感じるのが違うかもしれない。懐かしく思うだけで、「古くさぁい」と、云うのかもしれない。