常磐自動車道を、仙台に向かって、北上をした。曇り空だが、秋の爽やかな風を、窓から入れていた。途中、二輪車通行不可の、案内板がある。そうかぁ、線量が多いんだぁなあで、窓を閉めた。この歳は、細胞が減少していくので、なんの影響はない。若い人は、成長細胞が分裂増加するので、注意なのだろう。海風、陸風で、拡散するのだろうと、思うのだが、そうはいかないのだろう。画像の、0.1の表示があったところは、原発から、20キロ離れていた、パーキングで、カシャッとした。もう一つの画像は、走行中にカシャッとした。右端の赤い数字が、2.6とある。このあたりは、帰還出来ないのだろう。でも、多々と、土木工事をやっている。放射線量の積算を見ながらなのだろう。
昨晩は、遅い時刻になって、ちらーっと雲の合間から、月が輝き、供えた団子も、光っていた。太陰暦の八月十五日なので、太陽暦の日付けは、毎年違う。もう一つ、九月十三日は、十三夜さまで、もう一回、お月見様がある。
在宅のばあちゃん、105歳に向かって。元気でいる。いわき市では、百歳以上が、165人居ると報じていた。104歳以上は、20数人かも。介護が始まって間もない、会話ができた頃のおしゃべり。「三千子ぉ、三千子ぉって、呼ばれたので、追いかけていったんだぁ。また、三千子ぉ、三千子ぉ、三千子ぉって、おっきな声で呼ばれたんだぁ。追っかけていったんだぁが、真暗らくて、分かねぇんだぁ。ずんずんずんって、行ってしまったんだぁ。おっかねぇがら、戻ってきたんだぁ。たぶん、のぶあき兄んちゃんだと、思もうょお」。小生は、ただ、「元気ですかぁ」って、「心配して、来てみたんだぁ」と、声をかけるだけ。その返事は、「バカぁ」だった。
画像は、小生が作った、きゆうりとみょうがの浅さ漬け。先日の写経会に、ちょっと遠方から来ている女性が持参して、お接待があった。その時の、きゆうりとみょうがの浅さ漬けが、鮮やかな赤茶色の平皿に、割りばしを添えて、「どうぞ」だった。たかが漬物だろうと見ていた。また「どうぞ」と、促された。一つまみ、手皿でいただいた。「うんっ」なんだ、この美味しさはと。もう一口食べて、この塩加減と、うま味は、なんだろうと。今度は、行儀悪く、皿を持って、無言で、味わっていた。「どうですかぁ」と、問われ、皿と箸を持った顔は、間抜けの面だったと思う。「きゆうりとみょうがが、柔らかくて、美味に、びっくりした」と、答えた。いつもは、スーパーで買い、浅漬けの素を、使っている。いつもの、出来合いの味に、なれてしまっている舌も、びっくりしていた。ジャンルを、男の料理としたが、切ってまぶしたものでも、美味にはならない。大量の、どんな隠し味を、使っているのだろうかと。されど漬物と、感心をした。にわか専業主夫では、漬物を語るには、十年早いのだろう。
今月の法話は、普廻向。写經会の始めに、經文の、懺悔文から般若心經、光明真言、最後に、普廻向の、「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」、を、唱えて終わる。今月は、お彼岸になる。お墓参りもある。手を合わせて祈る時は、般若心經の一部分を、唱えてるのも良し、または、普廻向を、唱えるのも、一番いいようだ。
八月の誕生日から、ひと月が過ぎた。先日、診察を待っていた向い席に、一歳くらいの、めんごちゃんが母親に抱かれて、にこにこ笑っていた。ばあちゃんに、「めんごちゃんだよ」と、耳もとに言ったが、ひとりおしゃべりで、反応がなく、迷惑をかけた。ばあちゃんも、こんな、めんごちゃんを、三人、戦中戦後の混乱の世の中で、育てたんだなぁと見ていた。いわき市史をぺらぺらめくって、当時は、米が十五日分、馬鈴薯が十日分、砂糖が六日分の、配給だったとある。不足分は、嫁入りの着物が、「ヤミ」で、食糧品に替えて、食べさせていたのだろう。現在は、食べるものは、十二分にある。でも、先立つものは、お金。ものの値段は、上昇しているようだ。
画像は、NHKの特番をカシャッ゜とした。再、再々報映のたびに、悲涙している。この特番をみて、今、在宅介護中の義母は、在宅死が、最善と判断をした。現在は、老衰させないよう、食事に気を使っている。老衰は、体の中が、何かが一つ一つと重なって、老化して、機能しなくなり、食べれなくなるという。枯れ木が枯れるように、老衰する。食べれなくなってから、長い期間なのか、短い期間なのか、知る由はない。在宅死は、大分前だが、実父の時に、経験をしている。この時は、肺炎の発症で、五日目に旅立った。今、在宅介護で、苦労をしているのは、妻で、万全な体ではない。一日一日を、がんばっている。どうにもならなくなった時は、その時に、考えるしかない。それにしても、十一年かぁだ。
暑い暑いと言っているが、日の入りは早くなっている。またまた、ことわざだが、秋の入り日と年寄りは、だんだん落ち目が早くなる、というのがある。年ごとに衰える年寄りの健康状態を、沈みはじめると、あっという間に、落ちていく秋の日没にたとえたことばとある。今は、まあまあの状態。大震災の前は、残暑厳しいなかで、ゴルフをしていたなぁと、思い出している。二ホールごとに、ペットボトルを飲み干しながらだったぁ。寄る年波はしょうがないと、こころしていれば、いいべぇだ。画像は、JRいわき駅の北口からをカシャッとした。
ことわざに、秋茄子、嫁に食わすながある。嫁いびりのことわざと、思っていた。が、体を冷やすといけないからとか、種がすくないのでということもある。そういえば、去年の、菩提寺のお施餓鬼法要の時の、法話にこのことがあった。男の料理のジャンルにしたが、味噌汁を作っただけである。たかが味噌汁、されど味噌汁。猛暑から残暑が厳しい昨今、熱々の味噌汁が、これまた美味。暑化を追い払うには、一番だぁと、またまた、手前味噌をしている。
七月の始めに、赤井嶽常福寺の、大僧正の葬儀に、末席のその端で、参列をした。ちょっと小雨まじりの天気。お寺さんの葬儀は、始めてだった。多くの僧侶さんが、列をなして、本堂への長い石段を登って行った。本堂の中から、読経が、列席へ、響いていた。僧衣の色は、尊厳もなしている。別のことだが、あと二週間で、お彼岸の入りになる。「暑さ寒さも、彼岸まで」といわれる、季節の変わりめになる。勿論、お彼岸は、お先祖さまの供養のことでもある。秋分の日は、太陽が真西に沈むので、西方極楽浄土に鎮座している阿弥陀仏を、礼拝するのに、ふさわしい日と、ものの本を読んで、書きました。