画像は、昨年の1月から、今年の6月中旬までの、気温表。グラフの緑色の斜線は、日中の最高気温の旬毎の平年値。赤色の凸凹線は、記録した旬の気温。水色の斜線は、日中の最低気温の旬の平年値で、赤の凸凹線は、記録をした旬の気温。一番下の棒グラフは、最低気温の旬毎の平年値を、上回ったのは、0の線ょり上。下から二番目の棒グラフは、日中の最高気温が、平年値を上回ったのが、0の線より上になる。要は、ほとんどが、平年より上回っている。へぼ予測では、梅雨の時期は、肌寒い日が多いかもだったが、見事にはずれ。ラニーニャ現象が冬まで続いていて、以後ラニーニャ現象が、発生したと思われるという。二つの現象が、季節の異常を発生させるという。季節の寒暖を考えるのは、仕事をしていた時のことで、今は、必要としない。錆び落としに掲載したので、ご来訪の方々には、迷惑と思う。ご容赦のほど。
十日ほど前に、追加で、「やそぢおりおりに」を、20冊を仕上げた。そのあとは、所在無しの日々で、すごしている。来年は、拙なくてもいい冊子を、作れるかなぁと、考えてみた。作れるかなぁなんてでなく、作ってみっかぁの方がいいべぇと。原稿は、三月以降のブログから、拾い出す。あと半年間に、どんのようなブログを書ければ、なんとかなる。ブログのジャンル別に振り分ける、その仕切りをどうするかで、また筆字にするかぁと思い、「下手の道具調べ」をした。まずは、筆を並べてみた。ここ数年、面相筆と写経用の筆だけは使った。筆字を習っていた頃に、年老いてから使うかもと、羊毛筆のや、馬の尾の筆や、獣毛の筆を、買い求めていた。これらの筆を活用するにも、ちょつとやそっとの時間ではダメ。基礎からになるなぁ、これではダメだなぁと、所在なしをして、ながめている。所在なしの時は、座布団を二つ折りして枕にして、うたた寝状態。ぼけぇーっとしているその時間に、先々には、どうなるのかぁと、何かと思い巡らしている。結局は、「なるようになるさぁ、先のことなど、わからない」になる。週に一度、食料品の買出しにスーパーに行くだけ。出歩くこともない。ブログに書きこむ材料もない。無いなぃ尽くしでは、しょうがなうなぁと、ぼけっーとしている。毎日毎日ぼけーっとしていれば、そのままぼけーっとなるのかも。これではダメだぁと気付けは、何か前向きになるのかも。空腹になれば、ない物を食べたがっている。
持っているふりをした。小生の現在は、買い入れしたときの価格の、約20%減少になっている。五、六年ほど前は、約20%の上昇だった。ある株が額面を割っている。これが、減少額を大きくしている。株価は、毎日毎日動いている。前々から、塩漬けすると決めて、配当を楽しむとしていた。よぼよぼ脳みそで、株価の値上がりを、見極められるはずはないべぇです。株主総会招集の通知は、様変わりしている。総会での、決議事項の内容の掲載に変わっている。届いても、ぺらぺらとめくるだけ。利益金の処分の件が、有るか無いかを見るだけ。ニュースで、とある会社の株主総会の事を報じている。ニュースをみていると、株主提案があり、それを、可とか否とかの、説明もあるのだろう。総会は、なにかと大変だなぁと。思い出したのは、城山三郎著、「総会屋錦城」で、カセットブックで聞いていた。「平幹二郎」の朗読。「人斬り錦之丞と呼ばれて恐れられていた大物総会屋、内藤錦城が病身をおし、自らの命と引きかえる覚悟で、人生最後の総会に挑んだーー。株主総会のからくりと財界を陰で牛耳る総会屋の生き方を描いた。--略。宣伝文からです。懐古は、この年なので、ご容赦。今の時代は、「ハゲタカ」なのかも、これもまた、面白ろかった。いつかまた、DVD を視聴するかなぁ。「事実は小説より奇なり」の時代のようだ。
今日は、梅雨寒。聞きながしていたラジオで、今日は、旧暦の端午の節句で、浴場で菖蒲湯のサービスをしていると、報じていた。ずうーっと昔に、野菜を売りに来ていた時は、時期になると、菖蒲とヨモギを束ねたのを、売りにきていた。風呂に入れる分と、屋根へ飾るのと、二種あった。菖蒲は、香りが強いので、邪気を払い疫病を防ぐといういわれがあると読んだ。こんな風情を、楽しめる余裕がないと、自嘲をしている。画像は10日ほど前のもの。昨日見た時は、熟して落実していた。梅の実が熟するころ降る雨、昼前から降りだし、ちょっと強めの降雨で、外気温は、19度のようだ。当地方の日中の最高気温の平年値は、23度くらい。梅雨寒はありがたくない。今日は、旧暦の端午の節句なので、雨の季節が続くのかも。日本の季節区分には、六月二十九日頃は、梅雨の 大雨とある。 梅雨末期の大雨があり、七月の十五日ころは、出梅になるとある。残暑厳しなぁと嘆く期間が長いのかも。
拙い冊子を追加で、20冊を作りだしたのが、先月の始め頃だった。安易に始めたが、用紙が足りなくなったり、だらだらと印刷をしているので、日数がかかっていた。やっぱり、手順を踏まなくてはダメ。画像は、前回の頁設計を、プリントアウトした。これで、印刷済みを確認をした。段取りをはじめると、仕事は早い。前回の頁設計で確認、普通紙か、発色のいい片面の用紙と、その裏側が普通紙状の用紙と、両面とも発色のいい用紙が、必要枚数になる。これらの用紙で、モノクロの文字の頁と、絵図のカラーの頁と、写真と文字の頁と、印刷をする。プリンターに負荷がかからないように、普通紙から印刷を始めた。事前にプリンターも、ノズルも正常、インクの補充、給紙ローラーの手入れもした。インクの補充時に、ボトルを振るなの注意を忘れ、ボトルを振ってしまい、インクの吹き出しで、辺りをインクだらけ。余計に時間がかかってしまった。暑い最中に、プリンターに熱がこもってはと、クーラーの風を扇風機であててたりだった。何事も、事前の準備だっぺーと、自嘲している。
21日は、夏至なる。画像は、当地方の、日の出の時刻と、日の入りの時刻のグラフ。今日のお天気は、薄曇り空、時々太陽が照り、蒸し暑い。退屈凌ぎに、日の出と入りの時刻の表を印刷をした。日の出は、午前四時16分で、日の入りは、午後七時で、七月の七日から、一分ずつ早くなり、折り返す。気温の事は、日中の最高気温の平年値は、八月の10日前後が、28.1度で暑さのピーク。夏至の頃の、日中の最高気温は、23.1なので、これからが暑い。夏至が過ぎれば、七夕と思うが、旧暦での七月七日は、今年は、八月の22日になる。昨年は、八月の4日だったので、18日遅くなる。七夕は、初秋になり、澄み渡った夜空に、七日月の暗さに、星か瞬いているころ。夏至から、まだまだ、梅雨の期間が続き、梅雨明け後の、暑い、暑いが、長く続くのかも。我が家での、猛夏関係で消費する額は、過大になるのかなあ。特に電気の使用料金は、高額になる。室内の照明は、夏至を境に点灯する時刻が、ちょこつとずつ早くなる。「爪に火を点す」、これしかないと、何度も言っているだけ。「武士は食わねど高楊枝」をしてみても、旬の物でないものを、ついつい買ってしまう。またまた、あつちゃこっちゃです。
この画像も、江戸紋章集からです。文字のこと知らないのに書くのは、知ったかぶりです。紋章集の最後の頁を、ぺらぺらした。勘亭流というのを、思い出した。勘亭流から、歌舞伎文字、相撲文字が、できたようだ。歌舞伎や相撲の看板の文字は、楷書とか隷書と違って、目に着きがいいと、考えだされたようだ。歌舞伎も相撲も、本物を見たことはない。相撲の放送の時に見る、力士の名や、満員御礼の垂れ幕の文字は、へえーと、ながめている。テレビで、歌舞伎の演場の看板を、ちらっ見している。それぞれに専門に書いている人がいるのだろう。ほぼ、三十五年ほど前の、NHK趣味講座の「榊莫山」、「書道に親しむ」をぺらぺらめくってみたので、目についたこと、かきました。
画像は、「江戸紋章集」の「亀甲」の頁からです。我が家の紋の確認のために、積ん読く本から拾い出した。今の世の中は、ネットで閲覧できるので、いずれは廃棄をする。あらためて、家紋はといつても、現在は必要がない。普通の人は、和服を着る機会がない。たまぁーに街中で、見かけられるのは、お茶会か、お花会か、謡いの会なのかも。亡くなったばあちゃんが、娘のために、慶事用に、三着。仏事用に、羽織付の、夏用の紗織と、冬用と、タンスに入っていたが、体形の変化で、着れなかった。小生は、浴衣と、夏用の白絣と、久留米絣の羽織付と、ウール生地の羽織付がある。紋は無し。老後は、着物を羽織って、老後なりの日々と、思った時期もあった。着用すれば、後始末で苦労をする。何十年もタンスの中なので、しみがでているかも。大分前のことだが、親戚の葬儀のあと、精進落としの会食の席で、その家のお嫁さんが挨拶にきた。初対面で話題も無く、「どうもどうも」だった。喪服に紋が付いていた。隣の席の年配の人に「家紋をみると、この方には、たやすく声など掛けられないねぇ」なんて、冗談をした。家紋が、テレビで、「静まれ、鎮まれ。この紋どころが、目に入らぬかぁ」だょと、はなすと、冗談の意味が分かって、お嫁さんが笑った。家紋の事は、ネットで、あぁそうなんだぁと、読んでいる。
昨年の夏に、長い介護が終わったばあちゃんの新盆がくる。盆棚に飾る盆提灯に、家紋を書き入れる。先日、盆棚はどうしますかぁと、問い合わせがあった。その際、盆提灯はと問われ、家紋はというので、確たる文様は無いと返事をした。ならば、お墓へ行って確認をしてくると、担当の方が言った。小生も急ぎ行き、念のために、カシャッとしてきた。今も家紋は全く使わない。しいて言えば、女物の黒の羽織に、刺繍してある。「この紋どころが、目に入らぬかぁ」なんていう、威力は無い。テレビの時代劇を、ながら見をしていると、お侍の羽織に、紋が付いている。あちらこちら、めくってみると、だいぶ古い時代からあつたようで、江戸時代になり、日本各地の藩それぞれが、我が藩は、これだぁと、なったようだ。家紋の文様の基々は、170から200種あり、その基々を、ちょっと変化させたり、丸で囲んだり、白の所を反転して黑くしたりし、ちょこつと書き加えたり、大きさを替えたりして、「我が家のは、これだぁ」となったようだ。それで、五千数百の文様があるとか。間違っていたらゴメンナサイ。内閣総理大臣が、記者会見する際の卓には、「五三の桐」の文様が見える。これは、登録をしているようだ。「俺の家の家紋は、これだぁ」なのだから、たどれば、ルーツが分かるのかも。でも、そんな古臭いことでの交流はできない。逝ったばあちゃんは、来月、家族で一年忌、そのあと新盆の供養で、ようやく、長かった介護後の、肩の荷を下ろされる。
お天気情報で、エルニーニョ現象が発生したと読んだ。画像は、はるか昔かあーしのもの。気象庁の、エルニーニョ現象とラニーニャ現象の、発生期間の表です。赤色は、エルニーニョ現象の期間、水色は、ラニーニャ現象の期間。エルニーニョ現象が発生すると。お天気に影響があるという。お天気に影響があるというのは、農産物の収穫にも、影響があるという。日本だけではなく、世界の各地の、お天気にも影響があるという。農産物の収穫にも影響があるという。お天気の事は、今年は、春の気温が高かつたので、冷夏にはならないかもという。梅雨寒が、多いとか。暖秋のようだ。雨の量は多い。台風の発生は、少ないようだ。でも、雨量は多いとか。暖冬とか。お天気が不順になるようだ。みみっちいことだが、冷夏ならば、エアコンの電気料金が少ないのかなぁ。暖冬ならば、暖房費が少ないのか。ありがたいことですがね。長いスパンで、寒暖が繰り返すのと同じく、好況と不況が、繰り返すようだ。この歳には、細々と生きていくだけでいい。
画像は、鉢植えの白梅の梅。もう一個付いている。盆栽だったので、数年は結実していなかつた。植え替えてから、屋外にほっぽいてあるる。前に載せたと思うが、色ついてきた。どうなるのか、見ているだけ。別のことだが、ながら見をしているTVで、「Z世代」とか、「アルハァ世代」と報じているの見た。なんか若い世代のこと。デジタル機器の進化に合わせて、その機器を使用して、成長している世代なのかも。20年後、30年後は、どんな世の中になっているのは、知ることが出来ない。しょぼくれなので、今を生きるだけ。迷惑をかけないで生きる。そして没する。これが願望なのだか、そんな甘くはないと、承知をしている。今のところ、これといった異常のところはないが、臀部痛が、二か月続いている。体の向きを変えようとして、膝の痛みをかばってせいか、臀部が、ちょこっと痛みだした。ここかぁと、ぐりぐりと揉んのが悪かった。そこが痛みだしてしまった。歳にはかてないなぁと、後の祭り。体のどこかが、悪くなり。また別のところが、悪くなりの繰り返しで、老いていく。我が身の変化も、どうなるのか分からない。世の中が、どんのような、時代に動いているのは、知る由もない。種々の若い世代が、それぞれの時代を形成していくのだろう。表題の「歳歳年々」は、「人おなじからす」。「人の世の移り変わりの激しくはかないことをいうことば」と、読んだ。
画像の紙幣は、たまーぁにぺらぺらする本の栞にしている。日本銀行券なので、現在も使用できるのだろう。番号が5桁。発行数量が、少なかったのかも。当時に、五円で買えたものは、なんだろう。それが価値のあるもので、今の世の中で通用すれば、ありがたいのだが、そんなものはない。五円紙幣から、経済を考えることは、できない。何十年も前の紙幣を、ながめて分かることは、インフレだったのかも。五円が、ありがたかつた時代が、価値のない五円になって、残ったのかも。「一銭を笑う者は、一銭に泣く」という。大事に残しておいても、価値がない。「金は天下の回り物」というのがある。「いま貧しいからといって、くよくよするなということ」と読んだ。「周り物」を期待するが、細々と、振り込まれたものから、引き出してくる。お金の現物は、目の前で、支払いするのに使う。回ってこないのだから、節約倹約しかない。とは言っても、便利さに、つい忘れる。またまた、みみっちいこと、書いているなぁです。
毎月の始めに、神棚の榊を供える。榊は自前。先祖様が、猫の額ほどの土地に、屋敷神の祠の前に、植えてある。若葉が伸びて鮮やか。寒い時期に、花屋さんから購入していたものと、比べると長持ちする。画像の神棚には「雲」の字が貼ってある。はるか昔に、神官さんにお祓いをしてもらった時に、神官さんが、半紙に「雲」の字を書いて、貼りつけた。二階で、居住しているので、神様に失礼が無いようにだったと思う。ある知人の話しで、はるか遠くの、出雲神社へ参詣をした時、お土産店から、「雲」の字を板書したのを、意味がわからず購入をしてきたという。「二階建ての家ですかぁ」と聞くと、「そうだぁ」というので、「神棚の天井に貼るもの」と、伝えると、「そうなんだぁ」と、納得をしたようだ。画像の「雲」の字は、数回目のもので、数年前、部屋をリホームした際に、あらたに半紙に書いたが、何かダメ。以前からの劣化した半紙の文字を、ソーメンが入っていた木箱の蓋が、半紙大でもあり、薄い板でもあり、やってみっかぁで、板に貼りつけた。いたずらに、色を塗布。無信心ものがと、神様も呆れているかも。先の大震災のあと、社屋の解体と終業も有って、社の神棚の廃止のお祓いをしてもらった。その時の神官さんは、当時元気だったばあちゃんをみて、「あれぇ」と、思ったという。「ばあちゃんとは、ちょっと血筋がつながっている」と、伝えたので、顏がまりにも似ていたことに、代替わりの神官さんも、納得していた。あちゃこっちゃです。
画像は、我が家の電気料金のグラフ。1月の支払い額が、最高の額だった。使用する量も多かった。電気料金の軽減されている額は、1キロワット当たりで、7円かな。軽減されているので、二月以降は、支払い額は少ない。でも、六月から値上げになるというので、節約節約をするしかないが、使うものは、使うしかない。エアコンを使うようになれば、使った分が支払いになる。ばあちゃんの介護が始まった当時に、高機能のエアコンを物色していた。家電店と代理店が扱っている型番が、下一桁記号が違っている。何が違うのかとみると、使用する電力量が、違う。わずかな電力量だが、長い年月になれば、差が大きくなる。エアコンの本体の価格以上に、差が出るのかも。高機能にしてよかったのは、お掃除機能があり、換気機能がありで、除湿機能がありで、夏も冬も、雨の時期も、使い勝手が良い。設置以降、故障もないので、一度も交換はしていない。リモコンだけ、交換をした。高額のことはあったなぁと。今回も、退屈凌ぎに、グラフばっかり書いているなぁと、自嘲している。
画像は、五月の気温のグラフ。ピンク色に塗布してあるのが、日中の最高気温が、平年値より高い。緑色に塗布してあるのが、日中の最低気温が、平年値より高い日。日中の最高気温で、上旬は、19.7度。中旬は、21.4度。下旬は、21.5度。月の平均は、1.5度平年値より高い。黒丸の点線は、移動平均をしてみた。必要ではないなぁと、ながめている。今日は、何か怪しげな風が吹いている。南の方に、台風が襲来している。手元に残ってあるのをぺらぺらめくると、過去の六月に、「二つの台風襲来」があった。そのほか、「後半梅雨らしく」、「陰性の梅雨」、「早い梅雨入り」、「日照不足情報四回」、「北冷西暑傾向」、「梅雨前線不活発」などなどが、あった。「日本の季節区分」を読むと、梅雨入りが、六月十日頃で、梅雨明けは、七月15日頃とある。今年は、入梅が早いと報じていた。梅雨の期間が長いようだ。どんな六月になるものやら。梅雨寒の日が多ければ、しのぎやすいので、電気料金は、少なくなる。でも、梅雨明け後は、残暑厳しいのが続けば、電気料金が増大する。それにしても、二十一日は、 夏至だって!!。ぐうたらぐうたらしていても、歳月人を待たず。