私が産まれてから今日まで、我が家の〇〇家の墓というのはない。
子供の頃は盆になると提灯を持って、家族で近くの墓参りに行った
それは母の実家の墓で、先祖代々の墓だった
母の実家はずっとこの地域に続いている家で、東京から流れて来た父とは違い、地元に親戚も多く根を張っている。
もっとも、母の実家(Y家)も母の両親の時、それまでのY家の血が絶えている。
母の母(外祖母)が嫁入りして間もなく子もできないうちにこのY家の主である亭主が亡くなった。
それから外祖母は明治時代の人でもあるから、この家を守っていたが私の外祖父になる人が、地元の山間部から婿入りして、私の母など4人の子が出来た。
二男である兄さんは天寿全うしたが、他の二人は幼くして亡くなったそうだ。
「らんまん」の万太郎の長女、園のように昔は子供が育つのは難しかった、それゆえに何人も子を作ったのだろう。
Y家にもどるが、そんなわけで先祖代々のY家の血脈は絶えたが、家は続いていて、新たな「シンY家」になった。
今の人は、子孫繁栄だとか、家がどうだとかいう人はほとんどいなくなった
生活様式も、家族や家の考え方も戦争で負けてからまったく違ってしまったから仕方ない。
私は今や希少な種になりつつある家系にこだわりをもつ「嫌な父であり、嫌なおじさんなのだ」
我が家もこのままいけば血脈が絶えてしまう、弟のところだけ長男が結婚して娘もできたので未来へ僅かな希望がある
それでも、昔は家名を残すために一人娘は「婿を取る」ことが普通だったが
現代は長男さえ家を出て親と暮らさない時代になったから、弟のところも期待はできない。
まあどうでもいいことだ、そういう時代なのだから
ただ言えるのは、地球上で暮らす生物、昆虫、植物は人間以外ほぼ全て、子孫を残す、子孫繁栄の為に生きている。
そのためにメスを巡る、オス同士の激しい戦いあり、犬や猫はなわばりを巡回して歩くし、侵入者が居れば戦う。
もっとも家猫、家犬の時代だから、犬猫はペット化して野生は失われつつある
昆虫や野生の生物をテレビで見るが、まさに生きるために食べ、なぜ生きるかと言えば子孫を残すことそれだけの為のように見える。
植物も子孫を残すために様々な生き方を考え、目立つように工夫している
人間だけ、どうして種の保存をあきらめたのか不思議だが、世界の人口はまだまだ増え続けている
日本人や韓国人が際立って減っている、インドなど毎年数千万人も増えるらしい、中国も一人っ子政策をしてから、減少傾向になったが、それは国の政策で国民の一人一人は日本人とは考え方が違うと思う。
いつも話は、書いているうちに思わぬ方向に行ってしまう
子供の頃の墓参りを書いていたのだった。
我が家は、父の時に子孫から墓参りしてもらうことは無くなると予測して、共同墓地を選択して、私もそれに従った。
今年も先日草刈りと墓掃除に行って来たし、14日には地元の住職にお願いして共同の墓参りを行う。
今は盆踊りもすたれてしまったが、共同墓地の前で(狭いか?)盆踊りをやれば楽しいのではないだろうか。
我が家のように、何世代にもわたって定まった墓を残さない家は珍しい
栃木県に先祖代々の墓があったはずだが、私の4代前に破産して茨城県古河に移ったので、栃木の墓を守る人はいなくなって百数十年になる。
古河の墓には父の祖母、祖祖母、祖母の再婚相手、その息子の4人が眠っている、祖母の再婚相手が建てた墓だった。
ところが、その墓も戦争を挟んで、父が今の地で必死に生活をしていたため、気が付いて寺へ行ったときには無縁墓地として処理されていた。
(寺院内の無縁仏墓碑に再埋葬)
父の人生での痛恨事の一つであった、生涯悔やんでいた。
毎年、墓も無いのに供養を願って寺に必要以上のお布施を毎年、盆近くなると
送っていた。
父が亡くなる前に私に頼んでいったので、私も父の金額は無理だが少しは送っている。
そして東京大空襲で死んだ私の祖母と、その再婚相手の墓も無い
戦後、父と祖母の再婚相手(父が養子になって継いでいる今のわが姓〇〇家の当主)の弟(父の叔父さんになる)の二人で浅草日輪寺で両親の葬儀を行った
(遺骨などは残っていないが)、その時、戒名をいただき、その位牌が今我が家の仏壇にある、これが墓がわりである。
父の母の再婚相手〇〇家が東京へ出てきたのは江戸時代で、その先祖は浜松に住んでいた、父も母が再婚して間もなく浜松へ法事に行ったそうだ
その時、商売をやっている親戚のAさんを頼りにして、私にも「〇〇家のことを知りたければ浜松のAさんを訪ねろ」と言ったのを覚えている。
その浜松の〇〇家、先祖代々の墓も、戦争でアメリカ軍の艦砲射撃で寺ごと爆破されてしまって今は亡くなってしまった。
わが一族は、本当に墓に縁が無い家なのだ。
珍しく、妹と弟が古河の寺へ墓参りに行きたいと言ったので、9月に行くことに決めた。
兄弟三人で旅行をするのは、子供の時に親が連れて行ってくれた以外では初めてのことだ。
帰りは日光で一泊して帰ってくる予定だが、兄弟三人で同じ部屋で寝るのも子供の時以来、60年ぶりくらいになる。
これが最初で最後の兄弟旅になるのか、はたまた癖になるのか?
行ってみるまでわからない。
富山平野
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