神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

人の心の光と闇

2023年08月17日 08時57分40秒 | 心 思い
今日のエンゼルス対レンジャース 履正社対仙台育英 どちらを見るかと聞かれれば、迷わず「大谷の打席以外は、甲子園を見る」と答える。
力の差が歴然の捨て試合同様のメジャーの試合より、ベスト16で戦うのは勿体ない緊張の甲子園のカードの方が見て楽しいに決まっている。
一球一球に目を離せない
履正社の森田くんの3試合連続ホームラン期待は、大谷選手の42号への期待同様だ。

今見ているが、2回に互いに下位打線のチーム初安打から2点ずつ取った
3回は仙台が予想外の1イニング3失策をしてしまい、これは大差か?と思ったが失点1で終わらせるところはやはり全国制覇の力だ。

今のところ3回で3対3のがっぷり四つの横綱相撲、ただ仙台の失策が4回にもあり気になるところだ。
このような試合はエラーと四球と一発が試合を決めるだろう
だがどちらも攻守に隙が無い、黙って見ているより仕方ないだろう。


無職業になって1年半が過ぎた
無職で当たり前の年齢なのだが、90歳まで肩書があった父と比べてしまう。
私は別の意味で、あと10数年、80歳過ぎまで働かざるを得ない状況に陥っていたが、思い切って「やめた」

このごろ、自分の生活に対する感じ方が少しずつ変わってきたことを実感している、それは即ち「無職業」に慣れたからだろう。
最初の半年は、ただただ必死に生きて来た 次の半年もやはり心にゆとりなど無かった。
そして三回目の半年になって、ようやく自分の為の人生の形づくりに取り掛かることが出来た。
今は4回目の半年が始まっている、新しい人生の楽しみ方にいろいろチャレンジしている。
詳しくは言えないが、本当は無謀なこともしているのだが最近は「ケセラセラ」が身につき始めている。

結構人生を考えてしまうタイプである
私の相互フォロワーさんの中には、私から見れば無謀と思えるような積極性に富んだ方々が多くみられる
私の周りにも、そんな人たちが時々いる、そんな人から見れば私のやっていることなど「ふふ~ん」かもしれない

私は人生を考えてしまうタイプであるが、幸いなことに考えが続かない
飽きっぽいのだ
だから、いつまでも悩み続けることも無い、忘れてしまうのだ

結構躁鬱が繰り返し来る人間でもある、ただ気持ちが躁鬱なだけで態度として現れることはない
人によっては、今まで良い人だったのに、あるきっかけで突然不機嫌になって周囲まで嫌な気分にさせてしまう人がいる
それも一日ならよいが、二週間も続く人がいる
ありがたいことに私には、そういう症状はない
躁の時は積極的に人と交わり、ドライブなどを楽しむ
鬱の時は、家の中でものを書いたり、調べ物をしたり、料理を作ったり、畑をやったりして過ごす
まあうまく生きているのだ、多かれ少なかれ誰にでも躁鬱はある。

人間は地位や名誉があるから幸せかと思えば、そうではないようだ
芸能人やスポーツマンが自殺することは珍しくない
あれほどもてはやされ、新聞やテレビ、週刊誌に顔が出てくるのに
収入だって、私の生涯分を一年で稼いでしまうのにだ
幸せと不幸は、外に現れるものと中に秘められているものの二つがある

私が知っていた会長さんは、快活な紳士で親が始めた町工場を近代的な企業に育て上げて、地元経済界の次の担い手でもあった。
ふつうなら若造のわたしなど近寄れる気がしなかったが、毎年行われていた、ある団体の研修旅行で5年ほど一緒させてもらい
食事などをごちそうになったこともあるが、地元言葉で気さくに話しかけてくれた。

若いころの、この会長の姿も覚えている
ある奉仕団体に属していて、私はその団体の昼食を任されていて毎週顔を合わせていたが
いつも会場に一番にやってきて、インテリジェンスだが可愛い事務員さんと話をするのが楽しそうだった。
ある時、お土産を彼女に渡していたが
「〇〇さん、昨日関西へ仕事に行ってきてね、これお土産」と女子が喜ぶようなレアなグッズだか菓子だか忘れたが渡していた
事務員も満面の笑みで「わあ、いいですね嬉しいです」などと言っていたが
「これはねぇ、京都駅の〇番ホームにしか売ってないんだよ、それで京都で下車して買って来たんだ」とお土産に箔をつけることも忘れない。
それが嫌味に聞こえないところに、この会長のかっこよさがある
それを見て、私も(女の子の口説き方を)勉強させてもらった

勉強会は東京の台場と決まっていたが、東京に着くと一人でアジアの某国大使館へ行く、そこで大使に会うのだと言う
聞くと、会長は某国の支援友好団体に入っていて、某国ではビップ待遇なのだと聞いた。

そんな会長も、景気が下を向くとあえなく自殺してしまった
人間の快活さなど、たちまち霧散してしまうことをその時知った
心の内など誰にもわからない、人は誰しも明と闇を持って生きているのだと思った。