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新潟県と富山県と長野県 県境付近② 災害の歴史

2023年08月29日 05時58分12秒 | 地理
ここで紹介するのは富山県の西半分、即ち富山市から東部、新川郡と呼ばれる地域。 新潟県の西南部上越地方(上越線とは場所が全く違う)頚城郡と呼ばれる地域、長野県の北部地方、主に安曇郡、松本市、水内郡、長野市、栄村を結ぶラインの北側。


前回は三県の地形を書いてみたが、最初に三県の地形の特性と比較を書いてみる。
富山県と新潟県は端から端まで海岸線が続いている、長野県はご存じの通りで海なし県である。
だが海岸線が続く富山県と新潟県であるが、同じではない、上記の通り新潟県は上越地方だけに関してここでは記している
富山県のほぼ全域は平野が広く海岸から数キロは標高20m以下の部分が多い
一方新潟県上越地方は富山県境から上越市までの40kmは海と山がわずか100m足らずで接近して山が海に落ち込んでいるように見える、平らな部分はほとんどない。
市街地は川に沿って数km、狭い谷間に広がっているだけである。
上越市だけが広い平野が10数km広がっているが、大潟区あたりから柏崎市にかけては約20km、富山県境から上越市までと同様に、海岸と山は接近している。

長野県の北部、安曇郡と水内郡も国道148号、18号に沿って狭い谷間を行く感じである。
安曇郡は信濃大町(大町市)に至って、急に開けて安曇野の豊かな平野部に出る。これが松本市まで続く。
日本海から大町までの山間地は約60km、そこから松本市までの平野部は30kmほどである。

一方、上越市から長野市までの18号沿いは長野市に至るまではほとんど谷間を行く、但し裏街道となる403号、292号(飯山街道)は千曲川のおかげなのか比較的平らな大地が続き果樹園が連なるフルーツ街道である。

さて災害である、新潟県は昭和39年の新潟地震(M7.5&津波、死者26名)、平成16年の中越地震(M6.8、死者46人、家屋の被災約12万戸)、平成19年の中越沖地震(M6.8 死者15人、家屋被災4万戸以上)
昭和39年以降で大地震が3つ発生している。
新潟地震以後の2つの地震は中越が中心だが、上越地方に分類される柏崎市周辺でも影響は大であった。

地震以外でも山を背にした狭い海沿いの上越地域は、江戸時代から近年まで山崩れの災害が頻発している。
約270年前の名立崩れが地元では有名だ、今の上越市名立区で起きた海岸集落全滅の山崩れである。
山が数百mに渡って崩れ落ち、当時の名立の集落が全て埋まり、勢いで海の中にまで押し流されて、村民400名以上が全滅したと言うことだ
たまたま海へ漁に行っていた漁師だけが助かったともいう、海の中からは寺の鐘がしばらく鳴っていたとか。
名立崩れの後は、今でも国道8号線から見えるとか・・・

同じころ、1751年の高田地震で約2000人が亡くなったそうで、そのうち半分は土砂崩れによる死者だと言う。
また上越市高田地区、直江津地区を流れる関川は台風や大雨の度に氾濫を起こし、昭和39年以降でも7回の大災害を引き起こしている、都度1万戸近い家屋が被災している。

1963年(昭和38年)には現在の糸魚川市小泊地区(旧能生町)で山崩れが発生して、200mに渡って国道が埋まり、さらに日本海にまで到達した。
死傷者25名、家屋31戸が埋没した。

昭和53年には妙高山山麓の川で土石流が出て13名が亡くなり、鉄道も埋まってしまった。
妙高山2446mは大昔大噴火で出来た山だが、最初は中央部が溶岩や噴出物で富士山のように盛り上がり(私は通るたびに3000mの妙高山を空想する)
最後はマグマだまりが空洞になったため、中心部の火山が一気に陥没した。
その為、外縁が円形に残り巨大な外輪山となり、二重火山になった。
麓の川がせき止められて、野尻湖やいもり池が出来たと言われる。
山自体は普通の山だが、その山麓は富士の樹海のように広大である、溶岩や土砂によって出来た原野であろう。

火山と言えば長野県は浅間山、御嶽山、燧岳が代表的だ
木曽の御嶽山の大噴火で大勢の方が亡くなられたのは、近年のことで多くの人が知っている。
浅間山は軽井沢の北にあって、今も入山禁止の活火山である
江戸時代中頃、天明の大噴火では菅平高原の東、群馬県北部側(嬬恋)の村を火砕流が襲って全滅させて500名近くの村民が亡くなった
関東でも二次災害の土石流で1500名ほどの犠牲者を出した。
富山県は立山など火山があるが、目立った火山災害はおこっていない。

 平成7年7.11長野県小谷村で起きた姫川上流の大規模山崩れで川底が10mも浅くなって土石流がおこり、糸魚川市の平岩集落に押し寄せ、姫川温泉、白馬温泉の温泉街が浸水、一二を争っていた人気宿など多くの宿が流されて観光地は一瞬で、その繁栄が終わり、今も昔の繁栄を取り戻していない。
翌年には復興作業中の作業員が支流の土石流で押し流され二次災害で地元業者や秋田県などの季節労働者13名が亡くなっている。
この災害で国道148号は3年間にわたって交通止めとなり、富山県東部、新潟県西部の観光に大打撃を与えた。

昭和60年には富山県境の玉ノ木集落の裏山が崩れ落ちて住宅7戸を飲み込み10名が亡くなった災害が起きている。
このように新潟県上越地域は川の氾濫、山崩れ、地震で度々大災害を被っている、小松左京の「日本沈没」でもフォッサマグナ上の糸魚川市あたりは早々に飲み込まれる設定だとか?

自然災害では長野県北部も多い
日本海に流れ込む姫川は長野県白馬村の佐野坂に源流があり(遊歩道があり見ることが出来る)日本海まで約60kmである。
姫川には支流があって、しょっちゅう小さな土石流は起きている
新潟県で書いた7.11の水害も長野県側の大規模な崖崩れ、山崩れでおこったものである。
長野県の地震の特徴は群発地震が多く、その多くは長野県北部でおこっている
M6クラスの地震も1~2年から、10年ほどの周期で起きている。
新潟県境の山間部が震源であることが多い、栄村あたりの地震は新潟県の群発地震が多い、松之山と関連しているかもしれない
長野市、松代町も地震が多いところで、松代は群発地震地帯でもある。
大糸線沿いの小谷村でも近年地震があった、また明治時代に大町市が震源の地震もあったから油断できない。

2019年、長野市から飯山市にかけての千曲川が台風の影響で堤防が決壊、付近の集落が一階部分まで水没したのは記憶に新しい。

長野県特有の自然災害と言えば山岳県だけに雪崩事故だろう
今年の1月に外国人スノーボーダー(一人は世界的プロだとか)がバックカントリーで雪崩に巻き込まれて亡くなっている。
また、それ以前にも小谷村のスキー場で雪崩が発生、大学生が亡くなった。
もっとはるか前1975年には、スキー場へ行くホテルの送迎バスが冬の青木湖に転落、大学生ら24名が溺死(凍死)した。
定員過剰(2倍だとか)などの人災だったが、これも冬の凍えた山道という自然現象も多少は関連しているだろう。

レアな災害と言えば火山がある
新潟県上越地方では2400mの焼山が、今でもときおり水蒸気を噴き出しているが、昭和49年小爆発があった、火山灰は100km先まで到達したと言う。
運悪く、登山中の大学生3名が岩石の直撃で亡くなった。
私は昭和43年に登っているが、山頂付近はガラ場で、火口にも降りたが硫黄が激しい勢いで1mくらい吹き上げて激しい臭いがしていた。
あの時、爆発していれば私たちが犠牲になっていたかもしれない。



さて富山県だが、地震の無い県として有名だ、周辺の新潟、長野、石川(能登)は地震県なのに、なぜか震源地とする地震が起こっていない。
それだけでなく、台風被害、水害、土石流なども大規模なものは起きていない
全国でも自然災害が無い安心県の5本の指に入っている。
たしかに地形的にも全国でも珍しい特殊地形だから、何かがあるのだろう。
今後研究してみたい。

あらためて富山県の地形の特殊性を書いておこう
①目の前の海、富山湾は独立した深海になっている。
②すぐ南には3000mの立山連峰がそびえたって南からの風を遮っている。
③富山湾の向こう側(北、西)には能登半島が水平線を隠すように長く伸びている。
④魚津市の海には珍しい「蜃気楼」が5月ごろ発生する。
⑤日本海から3000mまでおよそ30km、その為、黒部川など富山県の川は急流である。
⑥立山連峰の天然水が富山の平野の各地に湧き出している(名水が多い)
⑦豪雪のイメージがあるが、平野部はわりと積雪が少ない。

終点「岩瀬浜」に停車中の富山市の「ライトレール」電車