またまた過去の思い出話です。 中学 2 年生の夏休みに ( 昭和 37年 7月末 )、叔母 2 人と富士登山をしました。
小学 6 年の頃、小児喘息で修学旅行 ( 昭和 35年 11月 ) も危うかったのですが、修学旅行には、どうにか無事に参加出来ました。 当時はそれぞれが自分で食べる米を袋に入れて旅館に渡していました。 忘れもしません。 福岡の 日蓮上人 の銅像を見学している時に、社会党の浅沼委員長が講演中に壇上で山口二矢に刺殺される事件が起きました。 引率の先生たちが大騒ぎしていましたね。
そんな訳で ( 小児喘息 ) 、富士登山は無謀だと周りから言われていましたが、私が強く希望したのです。 富士吉田登山口から五合目 ( 標高 2300m ) まではバスで、八合目 ( 標高 3400m ) までは徒歩で、八合目の山小屋に一泊です。 付き添いの叔母の 2 人はここでギブアップ ( 軽い高山病 )。 翌朝 ( 深夜 3 時 ) 私一人で出発し約一時間で山頂へ。 金剛杖を頼りに、胸突き八丁を 「 六根清浄、六根清浄 」 と唱えながら登り切り ・・・ 無事にご来光を拝む事が出来ました ( ご来光は 4 時半頃 )。 気温は 4°C 、万年雪は火口だけでした。
八合目の朝食 ( 夕食? ) はワカメの味噌汁でした。 人力で資材を運ぶため軽い乾燥ワカメなんだそうです。 気圧が低いためご飯も地上と同じ炊き方ではうまく炊けないとか。 いろんな経験をしました。 頂上から小さい溶岩を数個お土産に持ってきました ( 現在はこの行為は禁止されています )。 帰って来たら親、親戚などから 「 良くやった 」 と褒められました。 私は純真な紅顔の美少年だったのです (笑)。
この事は後の人生に大いに役に立ったと思います。