見もの・読みもの日記

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官学アカデミズムの明治/明六社(大久保利謙)

2007-12-09 23:54:28 | 読んだもの(書籍)
○大久保利謙『明六社』(講談社学術文庫)講談社 2007.10

 明六社は、明治6年に設立された日本最初の近代的学術団体である。本書の底本は『明六社考』(立体社 1976)で、前半は明六社および明六雑誌に関する論考、後半は史料の翻刻から成り、さらに関連論文3編が付加されている。いろいろと情報量は豊かだが、1冊の図書としては、ややまとまりに欠ける恨みがある。

 初心者には、関連論文の1編「明六社の人々」が読みやすい。明六社に参加した森有礼・西村茂樹・箕作秋坪・福沢諭吉・西周・津田真道・加藤弘之・神田孝平・杉亨二(こうじ)・中村正直・箕作隣祥をひとりずつ紹介している。短い文章だが、人物像の切り取り方が鮮やかでよい。

 中心人物の森有礼は、高い文化的センスと日本人ばなれした果敢さ・剛腹さが同居していて面白い(いかにも暗殺で落命しそうだ)。東京大学の初代総長・加藤弘之と、慶応義塾の福沢諭吉は、もとをたどればどちらも幕臣だが、加藤が新政府に出仕し、生涯官学アカデミズムを離れなかったのと、福沢が在野にとどまり続けたことは見事な好対照である。杉亨二は、初めて知ったが、日本の統計学の開祖と言われる人物。こういう特定分野を極めた地味な学者もいるんだなあ。著作はほとんど残さなかったが、翻訳によって西欧の人権思想を紹介した箕作隣祥も慕わしい。

 機関誌「明六雑誌」は非常によく売れたこと、けれども明治8年、讒謗律・新聞紙条例の施行に伴い、足掛け2年で自主的に廃刊・解散したこと、その後、明六社の人々は東京学士会院に流れたことなど、初めて知ることが多かった。明六社の人々は(福沢を除き)藩士→幕臣→新政府の官吏という三段跳びをしたわけだが、「飛躍」はむしろ最初の段階にあっただろう、という指摘には、なるほどと思った。いったん中央官僚になってしまえば、幕臣→新政府って、変節でも何でもなく、単なる転勤(転職?)だろうというのだ。

 「明六雑誌」本体に印刷されている発行年月日は、新聞広告と対照させると、どうも信用できない、というのは、さすが実際に資料を見ている研究者の記述で、タメになる。また、明六社の結成事情には不明な点が多く、新出(当時)の加藤弘之日記が、それを補う貴重な資料であることも初めて知った。同日記は、1975年、加藤家から東大に寄贈され、現在は図書館の貴重書庫に収まっているはずである。

 このほかにも、演説の流行に果たした明六社の役割、漢学塾の意外な興盛など、興味深い話題が多かった。丸山真男による福沢諭吉論は、いつか読みたいと思う。
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