見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

標準化と適応化/消費大陸アジア(川端基夫)

2018-02-05 22:47:27 | 読んだもの(書籍)
〇川端基夫『消費大陸アジア:巨大市場を読みとく』(ちくま新書) 筑摩書房 2017.9

 これまで多くの日本企業がアジアに進出し、消費の場面に食い込もうと努力してきたが、思うような成果が出ていないところも多い。著者は、その要因が「意味づけ」の違いにあると考え、豊富な事例によってアジア市場の意味を読みとく愉しさを紹介する。この実例がなかなか面白い。こんなの、誰でも気づくだろうというレベルの誤解や思い込みもあれば、現地の生活を知らなければ分からないなあと感心するものもある。

 たとえば、スポーツドリンク「ポカリスエット」は、日本では「スポーツの後」「風呂上り」「飲酒後(二日酔い解消)」などの場面で愛飲されているが、熱帯インドネシアでは、スポーツで汗を流す習慣もなく、湯に浸かる習慣もなく、イスラム教徒が大部分なので二日酔いになる人もいない。そのため、当初は全く売れなかった、というのには笑ってしまった。そのくらい事前リサーチしろよ、と思う。しかし、この話には続きがある。マーケティング方針を大転換し、インドネシアの風土病である「デング熱」患者向けの水分補給剤として医療機関に売り込む努力を続けた結果、次第に認知度が上がり、ラマダン(断食)明けの飲料として定着を果たしたという。著者はこれを「意味次元の適応化」と呼ぶ。

 牛丼の吉野家は、1970年代にアメリカに進出したが、うまくいかなかった。米飯食や丼という調理法、さらに牛肉の脂身の多さへの抵抗感などはすぐに理解できるが、「カウンター」で失敗したというのは面白かった。アメリカのバーやダイナーでは、カウンターの内側にバーテンダーや調理人がいる。カウンターに座るのは店員とのコミュニケーションを楽しむためであり、一人で静かに食べたり友人と会話を楽しむ客はテーブルにつくのである。そうだったのか! 日本式の、そさくさと食べるためだけのカウンターを当たり前だと思ってきた私には、目からウロコの落ちる発見だった。「カウンターこそが吉野家の象徴だと信じていた日本人スタッフが、実はそれが客足が伸びない原因の一つになっていることに気づくまでには、五年の時間が必要であった」という記述に唸った。こういう「思い込みに基づく損失」は、飲食業界だけでなく、また国境の外だけでなく、医療や教育など、実は社会のさまざまな局面で起きているんじゃないかなあ。

 吉野家は、アジア進出のさきがけとなる台湾一号店にもカウンターを設置したが、アメリカ以上に不評を買い、ほどなく撤去されたという。台湾は、比較的日本人と趣味や習慣が近いように思われているけど、こういうところはやっぱり違うのだ。一方、メニューに関しては、日本と同じ味付けの牛丼を提供しつつも、他はかなり柔軟に現地適応化を進めている。SNSで、台湾や香港の吉野家が提供するカレーハンバーグ牛丼や牛丼ハンバーガーの写真を見たことがあるが、こういうことだったか、と納得がいった。標準化と適応化の組み合わせこそが市場を拓くのである。

 また、中国人観光客が日本で医療品を「爆買い」していく背景には、中国の厳しい医療環境があるというのも初めて知った。中国では個人病院の開設が認められていないので、まともな診察や治療を受けるには、都市にある総合病院に行かなければならない。地方に住む人々が大都市の病院で診察を受けるには、ホテルに何日も滞在し、順番を待たなければならない。そのため中国政府は、なるべく病院に行かず、家庭薬で治すことを国民に勧めている。それなら日本のドラッグストアが中国に進出できればいいのだが、医薬品に関する規制が厳しいため、日本の家庭薬を販売できないそうだ。難しいな。今後、インターネット販売が解決の鍵となるだろうか。

 フランスの大型ディスカウント店「カルフール」は、2000年に日本に進出したが、定着できずに4年で撤退してしまった。ところが、こうした大型ディスカウント店は、東南アジアや中国・韓国では爆発的な人気を呼んで急成長している。それは、小売業であると同時に、農村部の零細小売店にとっては卸売業、現金問屋としても機能しているためである。これも面白かった。日本のように中間流通が整備されていない国々では、大型ディスカウント店の進出は、零細小売店にとって脅威ではなく、むしろ歓迎される一面もあるというのだ。もしかしたら日本も、今後、中間流通の仕組みが崩れていくと、アジア諸国と同じことが起きるかもしれない。

 このように、とにかく実例は非常に示唆的で面白い。ただ、それらを性急に理論化しているところは、上滑りな感じがしてあまり感心しなかった。まあ著者の専門は、煎じ詰めればいかに消費者をつかむか、売り込みに成功するか、という点にあるらしいから仕方ないのだけれど、私はこういう文化事情を黙って観察しているのが好きである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする