時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

蝶と街に沈む記憶

2022-09-11 | essay

あまり見たことのない美しい蝶を見掛けた。
国立西洋美術館の外側の植込みにて。

よく見掛けるシジミチョウより一周り大きい。

以前骨董市で買った英国の蝶の本をぱらぱらめくってみたら、みつけた。
「The Chalkhill Blue Butterfly」
というシジミチョウの一種のようだ。

上野駅界隈は最近すっかりきれいになって、ちょっと別の街みたいで戸惑う。

西洋美術館の前庭も以前は木や草が多く、美術館に入らなくても散歩できるすきな場所だったのだけれど。
すっかり根こそぎ土ごと無くなって、無機質にガランとしてしまった。
ロダンの彫像はよく観えるようにはなったけどね。
ここに咲いていた沈丁花はどこへいってしまったのだろうね。。。

どこの街もどんどんその姿を変えていく。
そこに流れたたくさんの時間と歴史を呑み込んで、知らん顔してすましてる。

何十年か前、ここ上野公園は中東の外国人が集まる交流の場となっていた時代があった。
美術館へ辿り着くまで、大勢の異国の人々のグループの間を掻き分けて進まなければならず、まだうら若き乙女だった当時、確かにひとりで歩くには少々気まずい雰囲気があった。

しかし、気づいたらその光景は煙のように消えてしまった。
彼らはあのときどこへ移動させられたのだろう?
確かにあの頃偽造テレカ売買などの犯罪の噂も聞こえてきていたけれど、きっとそれは一握りの輩の仕業。

ほとんどの人はあの公園で、ニッポンという地にやって来た異国の者同士集って情報交換したり、束の間の休日を楽しんでいただけだったのだろう。
彼らが朗らかに笑い合う楽しげな光景をわたしは今でも覚えている。

だれが、どんな権限であの大勢の人々を動かしたのだろう。
心細い異国の地で旧知の仲間と集うささやかな時間を奪う…。
排他的な島国日本ならではの現象だったのではないか?

街に染み込む記憶は
それぞれのひとのこころから消えてしまえば、もうその土地からも蒸発してしまうのだろうか。

上野の草むらにひらひらと舞う蝶々が冬には消えてしまうように。










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