時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

大空欠乏症

2009-07-14 | essay
空と雲の写真がすきだ。

今、暮らす家から見える空は、コマ切れ。
マンションの乱立で年々空が小さくなった。
ときどき、「大きい空をみたーーい」
と堪らない気分になる。欠乏症だ。

夕焼けを観るにも、坂の上まで登らなきゃ。
いつだったか、久しぶりに
空が見事な紅色に染まっているのに気づいて、
鍋の火を消して、エプロンを投げ捨て、
カメラを持って、自転車で坂の上まで急いだ。
けれど、そんなに時間をかけてちゃ駄目ね。
もう紅はグレーの雲の向こうへ。。。

  先日、The BoomのBig Fan、Kさんに
  宮沢和史氏の写真展に連れて行ってもらった。
  彼は凄い詩人だ~!と以前から思っていたが、
  凄い写真家でもあったのね。
  吸いこまれそうな写真がたくさんあった。
  溜息の出るような素晴らしい空の写真も。。。
  しかもブロックごとに、素敵な抒情詩が添えられていて
  写真がよりいきいきと深みを増すようにみえた。
  写真展、行けてよかった。
  kさん、ありがとう!

空を切り取るのが上手なひと。
たいせつな友達のひとりが、奄美に暮らしている。
彼の撮る空の写真がとてもすきだ。
ただ美しいだけでなく、
空がある一瞬に見せる素の顔を、ちゃんとわかっていて
さっと切り取って撮っている。ような気がする。
写真って、ちゃんと人柄が出るんだよね。
励まされたり、なぐさめられたり。
時には、あまりにきれいな夕焼けの一枚に泣きそうになったり。

空を自由に見れない人々のために
ありのままの自然を発信し続けてね。青おにくん。

( amaminmin で探して観に行ってみてください ) 


BLUE TRAIN

2009-07-13 | essay
夏になると思いだすもの。
ブルートレイン。

子どものころ、夏休みに入ると
母の実家のある鳥取へ毎年帰省した。
大阪駅~鳥取駅。引っ越してからは、東京駅~鳥取駅まで寝台車の旅。
母の兄が当時ブルートレインの車掌をしていたので、
高学年になると、子どもだけでぽいっと乗せられることもあった。

懐かしい、あのアナウンスのメロディ。。。
真白い車掌の制服を着ると別人のように眩しかった伯父さん。
赤ん坊だった弟の大きな泣き声に、はらはらした晩。
姉といつまでもふざけていて、よそのおばさんに叱られた晩。
真夜中に目覚めて、車窓から見た、月夜に過ぎゆく景色の美しさ。
たくさんの思い出がブルートレインの中に詰まってる。

朝になると、制服のお兄さんたちが、手際よくベッドを座席に変えていく。
ガシャンガシャンという音が近づくのを順番に待つ、あの儀式的な時間。
マジックのような作業を見ているのがすきだったなあ。

いつか子どもたちも乗せてやろう!と思っていたのに。。。
もう、いなばも出雲も廃止になっていた。
その後、他の線も次々と廃止になり、とうとう東京駅発の
ブルートレインは消えてしまった。

いつか、そのうち、なんてのんきに構えていてはダメなこともある。
こうやって、機会を逸してしまう。
ふと気がつくと、子どもたちも大きくなっている!

今できること。
今しかできないことを、ちゃんと見極めよう。
さあ、もうすぐ夏休み!
親には長~~い夏休み。がんばりましょ~!


廻る時間

2009-07-12 | essay
  「 Mother 」

   いつでも そこで 微笑んでいてくれた
   太陽のようなひと

   黙って そっと 光を届けてくれた
   泣いているときも 笑っているときも

   どんなときも 私を励まして道を照らしてくれた
   太陽のようなひと

   あなたをなくした私は
   影のように 薄っぺらになって
   黒い地面に吸いこまれそうになる

   必死に色を取り戻そうと
   上を向いて 探してみても

   光のないところに
   色は存在しない

   ならば

   自分が光になろう
   あなたがそうしてくれたように
   黙って光を届ける太陽に
   今度は 私がなろう

   あなたが教えてくれたように
   泣いているときも 笑っているときも
   温かな陽射しを
   惜しみなく降りそそごう

   そうだ
   今度は私の番なんだ

   時間は廻る
   こうしてここに
   そして未来に  
              


ゆく河の流れは。

2009-07-11 | 本 のこと

「ゆく河の流れは絶えずして
しかももとの水にあらず」    方丈記の冒頭。

この言葉がすきだ。

行き詰まった と感じるとき、
この言葉を唱えると
自分が浄化される気持ちがする。

何一つ変えられず、もどかしく思ったとしても、
今の自分はもう、さっきの自分ではない。

そのまんまでもいい。
まるくても、とんがってても、
その時その時のかたちが本当の自分。

こころのままに
立ちつくしたり、走ったり、
泣いたり怒ったり笑ったり。

「馬鹿」がついたって、こころに正直でありたいな。


こころを緩める日。

2009-07-10 | essay
子どもの時のまま、今でもすきなこと。

一つ、長い坂道を自転車のブレーキをかけずに駆け降りること。

一つ、雨上がりに大きな水たまりの上を、自転車で両足をあげて走り抜けること。

一つ、原っぱに寝ころがること。

一つ、雲を眺めること。

一つ、コンデンスミルクを舐めること。

一つ、歩いたことのない路地を見つけること。

一つ、遠回りでも沈丁花の咲く道を通ること。(早春限定)

一つ、大きい犬を撫でること。

一つ、さんずいの付く場所(海・河・湖・池 etc.)にいること。

一つ、くちぶえを吹くこと。

あとはなにかな。まだまだありそうだなあ。

自分が何をしたいのか、模索している時は
子どもの時に、自分が好きだったことを書き出してみると
糸口が見つかることがある。と、心理学の先生が言っていた。

なるほど。なるほど。

すきなことって、大抵、ずうっとすきかもね。
「オトナの暮らし」をしていると、忘れちゃってるだけなんだな、きっと。

久しぶりに、原っぱに寝転んでみると、
いろんなことがわかったりする。
空の青さ。動く雲。渡る風。草の匂い。小さい生き物たちの動き。
太陽の下でまぶたを閉じると、こんなに赤い色だったんだっけ。とか。
忘れていた感覚が呼び覚まされるような気がする。
いつでも望めばそこにあるのにね。

次のお休み、晴れたらぜひお試しを。


グラン・ブルー

2009-07-09 | 映画 のこと

映画好きな女友達三人、昔観た映画の話で盛り上がる。

「ほらほら、アレ。イルカの」
「海がキレイな!」
「ジャック・マイヨールの潜るハナシ?」
「えーとえーと!グラン・ブルー!!」

三人寄らば文殊の知恵(?) やっと映画の題名が出てくる。
友達のひとりが「あたし観たっけなあ・・、エンゾが出てるやつ?」
彼女は、役者名を言うつもりで、映画の役名を言っちゃってる!
一同「観てるじゃん!!」と大笑い。
エンゾを演じてるのはジャン・レノ。
でも、彼は「エンゾ」そのままのイメージが強い。
わたしも、彼の他の映画を観ても、本名より「エンゾ」って思っちゃう。

「グラン・ブルー」はだいすきな映画。
(「THE BIG BLUE」1988年イタリア・フランス合作
 監督リュック・ベッソン)
夏になると、また観たくなる映画だ。
グラン・ブルーは、この他に完全版もあるが、
わたしは、この公開版ってほうがすき。
完全版って、大抵タネ明かし的で、興醒めしてしまう。

昔、男の子の友達に、主役の恋人役・ジョアンナに似ていると
言われたことがある。おおっ!そお?って思ったら、
「顔じゃなくて(!!)、ガムシャラなとこ。」と言う。強調せんでよろし。
でも、彼女の生き方はとても素敵だ。
ありがとう。そう言われたことは一生の宝としておこう。

そういえば、別の男友達には、
「バグダッド・カフェ」のジャスミン(でぶっちょの可愛いおばさん)に
似ているとも言われた・・・。
5本指に入るくらいだいすきな映画だけど。。。
「見た目じゃないよ!、中身が。」ってあわてて言っていたけど。
ちょっと、フクザツだ。
でも彼女の、不器用だけど真っ直ぐな生き方もすき。
褒め言葉だったことにしておこう。

最近は、また別の友達に「マンマミーア」のメリル・ストリープに
似ていると言われた。
おいおい、今度こそ、体型なの~?? 



2009-07-08 | essay

   「 波 」


    よせては かえす

    あの娘のこころ

    ゆきつ 戻りつ

    ざぶるん ざぶるん


    波の間に間に

    揺れる 泡のよう

    いったり きたり

    ざぶるん ざぶるん


    彼の入り江に とどくまで



和の言葉

2009-07-07 | 本 のこと

「 秋風に たなびく雲の 絶え間より
    もれいづる月の 影のさやけさ 」

百人一首の中でこの歌が一番すきだ。
なんて美しい日本語なんだろう。

こんなにも美しい情景を、
1000年経った今も、鮮明に目の前に映し出してくれる。

中学生の時、文芸部で何故か百人一首のかるたとりをよくやった。
読み上げるのは恥ずかしくて苦手だったけれど、
とるのは結構楽しかったなあ。
その頃は深く意味も知らずにいたが、
のちに、かなり恋情の歌が多いことを知った。

今も昔も、人間って変わらない。
1000年前の人だって、恋に身を焦がしたり
恨んだり、嘆いたり。よく読むとたいへん人間臭い。

部の男子の先輩達が「妖怪 相模」と名付けた札がある。
(しかし、今思えば女子より男子部員が多かったのはフシギ。)

  「恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
       恋に朽ちなん 名こそ惜しけれ」

お~~怖い。簡単にいえば、
「心変わりしたあのひとを恨みます~。涙で袖も乾かないほどです~。
捨てられたなんて、世間に顔向けできないわ~」(演歌調)ってところ??

そこまで、哀しい妖艶な恨みを詠んだ歌とは知らずに、
恨めしそうな長い黒髪の女性の絵柄をいいことに、
坊主めくりならず「相模めくり」なる遊びまで作って興じていたわたしたち。。

化けて出てこなくてよかった~。

今日は七夕さん。
悠久の時に生きるおふたりがちゃんと出逢えることを祈って。。。


夢日記

2009-07-06 | essay
夢日記をつけていたことがある。

以前、不思議な夢をよくみた。
覚えておきたくて、目覚めたら書き留めるようにしていた。
夢日記をつけ始めたら、なぜだろう??
より鮮明な夢を多く見るようになった。

夢って、きっと科学で説明のつく現象なんだろうけれど、
「予知夢」はその範囲ではないだろう。
以前、時々予知夢を見た。
あれ??と思って、夢日記をめくると、ほらほらこれ!
ってことが、続けて起きた時期があった。

あれって、なんだろう?
精神力が研ぎ澄まされ過ぎて、何かをキャッチしてしまうのかな。

スピリチュアルな世界のことは、よくわからないけれど
謎めいている出来事はすき。

宇宙人がいないなんて、地球人の思い上がりだと思うし、
もしかしたら、サンタクロースだって
どこかで暮らしているかもしれない。眼にはみえないだけで(笑)

先日、お会いした高校時代のT.Teacherが
フランス語をもう一度勉強しようと思ってる とおっしゃる。
ん? 「先生+フランス語??」デジャブ?
と思ったら、そうだ、前に夢で見ていたのだった。
先生がフランス女性とフランス語で話していて、
わたしには理解できない! って夢。
夢も、言葉に置き換えて記すと、記憶の引出しにちゃんと納まるものだ。

これを、「ただの偶然だよ。へっ」ととるか、
「繋がっているワ、神秘的!」ととるか。

ロマンチストだって笑われても、わたしは後者をとりたいな~。
う~ん。夢の謎は深い。

この先、技術が進歩して、夢が録画できるようになったらいいのにな。
きっと面白い映像が撮れることだろう!

いや、ちょっとマズイかな 
 

夜汽車

2009-07-05 | essay

   「 冬の夜 」

   あの冬の夜
   何処へ向かっていたのだろう
   夜汽車に揺られていた ふたり

   酷く寒い夜だった

   何を話していたのだろう
   ただ楽しくて 楽しくて
   くすくすと 顔を寄せ合い
   いつまでも笑っていた

   耳を澄ませば
   ガタゴトと いまでも響く

   瞳を閉じれば
   色のない車内に
   マフラーの鮮やかな赤い色だけが
   やけにはっきりと浮かんで揺れる

   いつまでもくすくすと
   肩をよせる ふたつの影

   何処にも 終着駅がないと
   知らずにいた ふたり

   とおい とおい
   お伽話のように
   ちらちらと雪の舞う夜空を
   夜汽車は走り続ける



新宿の井戸

2009-07-04 | essay
新宿の、街の真ん中に井戸がある。
「天龍寺」の水汲み用井戸。
ここの片隅に父方の祖母とその祖先が眠る。

新宿に用事があるときは、素通りできずに
つい手ぶらでもお参りしてしまう。
一歩お寺に入ると、ここだけ静かな時間が流れている。
そして、いつも井戸のポンプを押して水を汲み上げる。
このポンプを押す手応えが、好きだ。
冷たい水に触れながら、昔、祖母に連れられて来た子どもの頃を想う。

祖母は「私がここに入ったら、お線香はなくていいから
フィンガーチョコをお供えしてね」と、お茶目に笑った。
わたしは、想像もつかない先のことと思っていたのだろう。
にっこり、約束したように記憶している。

チョコが大好きだった、ハイカラなお婆ちゃん。
小さくなったわたしの服をほどいて、人形の洋服を
いくつも作ってくれた。
長い間、異国で暮らし、激動の時代を生き抜いた祖母。
わたしが小さい頃、よく「女学校時代」の写真を見せて昔の話をしてくれた。
そして、ロシア語の手遊び歌で、わたしをくすぐって笑わせてくれた。
いつも笑っていた想い出ばかりだけれど、
たくさんの苦労と、辛く哀しい記憶を笑顔の下に隠していたのだ。

今、ひとりの女として、母として、
祖母の人生を想う時、本当に強い、強い人だったんだと気づかされる。
自分も、もっと強く生きられるはず、と励まされる。

今は四方をオフィスビルに囲まれてしまったこのお寺。
以前、フィンガーチョコをお供えしていたら、
墓参に来ていた、よそのおばさんに
「カラスが荒らしに来るから食べ物は駄目よ!」
と叱られてしまった。以来、一瞬だけ供えて持ち帰るようにしている。
おばあちゃん、ごめん!

このお寺は、江戸時代からここにこうして建っているという。
ここの鐘は江戸の三銘鐘のひとつだそうだ。
立派な鐘つき堂の鐘の音で、かすりの着物の子どもらが、
夕焼けの道を家に駆けて帰っていたのかな。
今のこの喧噪とはかけ離れた、のどかな時間が
かつてこの辺りに流れていたのだろうなあ。

一歩お寺から出ると、行き交う車の流れに、
時間までもが突如スピードをあげる錯覚に落ちてとまどってしまう。


オートマタ(AUTOMATES)

2009-07-03 | 展覧会・アート のこと

                         1875年ランベール作

二十代の頃、ヨーロッパを列車で
チープにチープに、旅をして回った。

途中、フランスをパリから南へ下ってニースへ。
滞在中にバスでモナコへぶらり。
モナコはひとつの国だが、パスポートなどは
ノーチェック。ヴァチカンと同じだ。
モンテカルロと言えば、ラリー!?
わたしはまるで興味がないのだが、
そういえば、TVでこんなくねくねした街中を
走り抜ける映像を目にしたなあ・・・と思いつつ歩く。
有名なカジノも、もちろん貧乏旅行には無縁。
前を通るだけでスルー。

わたしのモンテカルロの目的は
国立人形博物館(MUSEE NATIONAL DE MONACO)。
「オートマタ」が見てみたくて。
オートマタとは、からくり時計から派生して、
独自の芸術品として発展した、機械じかけの、
いわゆる西洋のからくり人形だ。
ここには、19世紀のオートマタや、
精工に作られたドールハウスなど、
18~20世紀前半の西洋の文化の香りが満ちている。

ガラスのケースに納まっているオートマタを
一通り堪能した時、
近くにいたフランス人母娘が、館長さん(?)に
お願いしたらしく、急遽動かして見せてくれることに!
居合わせた7~8人、一同大喜び。
突然、旧知の仲のような団体さんに早変わり。
お互い、顔を見合せて微笑みあう。

ただでさえ、生きているように表情豊かな
人形達なのに、館長さんがゼンマイを巻くと、
途端にまるで息を吹き込んだみたいに生き返る。
まばたき、肩の動き、胸が上下して息遣いまでもが
とてもリアル。あの動きは言葉では表せられない。
こんなものが200年も前に作られていたとは!
あまりに精工に出来ていて、もはや人形とは呼べない。
なるほど、国立博物館!正に美術作品だ。
コンピュータの入ったロボットより、
よっぽど人間らしい、たおやかな動き。
アナログ、バンザイ? 

この館長さんが、とてももったいぶった前口上で
芝居がかって面白く説明してくれるのだが、
何しろフランス語なのでお手上げ。
けれど有難いことに、側にいた親切なおばあさんが
ところどころ英語に通訳してくれて、とても助かった。

古い人形用の馬車なんて、フェラーリと同額位
プレミアがついているそうだ。

すっかり満足して館を後にして、
お庭を歩いてみると。。。
以前、大阪の長居公園のバラ園で
初めて見てから、ずっとこころに残っていた、
可憐な品種のバラ Princess de Monaco が咲き誇っていた。
さすが、本場モノ~。
 (故グレース・ケリーに捧げて作られた品種

モンテカルロ駅までの道のりは
エメラルドグリーンの海の潮風を
胸いっぱい吸い込みながら、ゆっくりゆっくり歩いた。

また行きた~~い!


夜空

2009-07-02 | essay

   「夜空の星」


    夜空を見上げて 歩く

    あの星が ふと動いて見えたのは

    流れる雲のせい


    時の狭間に浮かんでいる

    正体のない なにかを

    追いかけてゆきたいと

    感じている


    川の流れに逆らって

    泳ぎ疲れたなら

    そのとき 岸辺に上がればいい


    いつまでも

    遠巻きに 遠巻きに

    螺旋を描いて

    届くのは 果てしない明日




きゅんとくる唄

2009-07-01 | MUSICのこと

ひとそれぞれに
なぜか知らねど切なくて
胸がキュンとする曲って
あるのではないかな。
ツボにすぽっとはまっちゃうような。

以下、わたしのツボMUSIC

  J.D.Souther 「The Last In Love」

  Sarah Vaughan 「A Lover's Concerto」

  Bread 「If」

  Gilbert O'sullivan 「Alone Again」

  Daryl Hall & John Oates 「Wait For Me」

  久保田利伸 「MISSING」

  佐野元春  「SOMEDAY」

  Andrea Bocelli 「con te partir`o」

  Mal Waldron 「Left Alone」


他にも切なくなる曲は多々あれど、
胸にキュンとくるってところがたいせつ。

「生活」に埋没して、いちばん置いてきぼりに
なりがちな感情だから
忘れずに、大事にしたいなあ 


メッセージ♪

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