時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

THIS IS IT

2010-01-16 | 映画 のこと

マイケルの映画「THIS IS IT」を
遅ればせながら、ともだちと観に行った。

あの全盛期にはよく聴いていて、すきではあったけれど
大ファンってわけではなかった。

それなのに。。。号泣。自分でも驚くくらい。
ともだちにも笑われるくらい。

ジャクソン5の中で一番すきだった「I'll be there」
オトナのマイケルが昔の映像をバックに唄う。

どんな気持ちで唄っていたのだろう。

そしてマイケルが兄弟の名を、そしてあんなに
確執を噂された父と、母の名を呼び、
「I love you」とささやく。。。

彼は神のようでありながら、
どこまでも人間らしさを持ち、
全身が愛 [L.O.V.E]で出来ているんだなあ。

この「THIS IS IT」のなかで
何度彼が「I love you」「God bless you」と
皆にささやくのを聞いただろう。 

彼を愛する人々が一体となってひとつの場所へと向かっていた。
皆が希望に輝き、すべてを懸けて高みへと登りつめてゆく。。。

そんな中、突然マイケルを失ってしまった彼らは
どれほどの喪失感と絶望感を抱えたことか…。
その想いを想像するといたたまれない。

誰の目にもスーパースターとして映るマイケル・ジャクソン。
強い光と影のコントラストしかいままで伝わってこなかったが、
この公演の総監督であり、急遽この映画を監督し、
そしてマイケルの長年の友人でもあったというオルテガ氏は
彼の本来のピュアな人間性を全世界の人々に
知ってほしかったのかもしれないね。。。

実際、自分も含め、この映画でヒューマンとしてのマイケルを
本当の意味で初めて知ったひとは多いのではないだろうか。

月並みなことばだけれど、
ほんとうに、ほんとうに惜しいひとを失くしてしまった。
素晴らしいメッセンジャーを失くしたことは
全世界にとって大きな損失だ。

それにしても、マスコミとファンへの公演発表時に
彼はなぜ、「この公演が最後のカーテン・コールになる」などと
言ったのだろう。

音楽の神がいるなら、なぜ彼にちゃんと幕を引かせて
あげなかったのだろう。

なぜ彼が、なぜこの時に?

「Why,why....」

マイケルの「HUMAN NATURE」を唄う声が
こころの中で、まだこだましている。


文を綴ること

2010-01-15 | essay
このエッセイ・ブログを姉もいつも読んでくれていて
「あんた、相当溜め込んでたんだね~」といわれた。

そうなのだな~。いろいろ想うことが溢れそうになって、
文章を綴ることがちょうどいい突破口になったみたいだ。

母を亡くしてから数年経つものの、
時間が止まったままでいるわたしと
生きている者のために頑張っているわたしとの
ちょっとした時差みたいなものを感じはじめていた。
こういう隙間が広がれば広がるほど、何か良くないものが
入り込んで病気になってしまうのかもしれないね。

この微妙な時差を埋めるには、自分の中のいろんな自分と
ちゃんと向き合わなきゃいけないな、と気付いた。

そう気付くまでは、くじけたら簡単に鬱になりそうで
本当は怖かった。しかるべき機関にカウンセリングを
受けに行くべきなのかなって思ったこともある。

でも、頭でシュミレーションしてみても、
プロとはいえ赤の他人に、時間制で話をすることで
こころが解かれるとはどうしても思えず、
その方法はわたし向きではないなと自分なりに結論を出した。

こうして、自分の過ごしてきた時間を辿り、
記憶の引き出しをひとつひとつ開いて
眠っていた想いを文章に綴ることが
わたしにはちょうどいいセルフセラピーだったようだ。

それがわたしのこころに風を通し、陽に当てることとなり、
徐々に自分の本来の歩調を取り戻すことが
できてきたように思う。

母の死はわたしにはあまりに大きい出来事だったから
歩調が乱れるのは自然なことだよねって、
自分に納得できるようにもなった。

そして、文を綴るうちに、母の歩いた道を
わたしもまた歩いていることに気付かされた。
いつかわたしの三人の子どものひとりでも
わたしの歩いた道のりや、何を想って歩いてきたかを
懐かしんで読んでくれたりしたなら、
こんな嬉しいことはないなあと思うようにもなった。

ともだちに、「ブログ、時々遺言みたいでコワイし!」
って言われた
日々はびゅんびゅん過ぎゆくから、
こころを言葉に置き換えて残しておきたくなったのだな。
それは確かに遺言に近いのかもねエ!

光陰矢の如し!
たいせつなものは今たいせつに。

ひとつぶひとつぶの時間のしずくを慈しみながら、
拙い文章ではあるけれど、
これからも想うままに綴ってゆけたらいいな

赤ちゃんの名前付け

2010-01-14 | essay
子どもの名付け。
責任重大な作業にして、たいへん楽しいひと時でもある。
その子の人生最初のたいせつな贈り物選び。

とっても楽しかったなあ。三人分の名付け。
もっと付けたいくらい!

呼びやすく覚えられやすいことを第一条件に
練りに練って考えたものだ。
ちょうど家に「新字源」という漢字の辞典があったので
その漢字の持つ深い意味をその都度調べた。
漢字によっては、メインの意味の裏に
マイナスな意味を持つものも結構あるのだ。

どこから照らしても悪い意味を持たない漢字であること。
そして、同じ音を持つ言葉にマイナスな意味はないか。
など、吟味していくと候補はおのずと絞られていく。

あとは、赤ちゃん本人とご対面してから
その子の顔を見て最終決定。
最後までいつくかの候補で迷っていても
不思議と顔を見れば、ぴったりの名前は
ひとつに決まるのだなあ。

一生、何万回も名乗る、たったひとつの名前。
奇抜な名前であれ、伝統的な名前であれ、
親から想いを込めて贈られた
たいせつなひとりにひとつの名前。

自分が付けた子どもの名前を、
初めて郵便物の宛名に活字で見た時の気持ち。。。
あれはなんともくすぐったい。
ひとをひとり世の中に送り出したことを実感する眩い瞬間だ。


絵本「たいせつなこと」

2010-01-13 | 本 のこと

絵本「たいせつなこと」

何年か前に本屋さんで出逢って
まず絵に惹かれ、ひらがなのこの
「たいせつなこと」という題名に惹かれた。

マーガレット・ワイズ・ブラウン 作
レナード・ワイズガード 絵
内田也哉子 訳

1949年アメリカで書かれたこの本。
半世紀以上も経って2001年にはじめて日本で出版されたそうだ。

たいせつなこと。
それは本当はとてもシンプルなんだよね。

内田也哉子さんによる「あとがき」がまたすてきなんだ。
なんていうかな、音もなくしっとりとしずかに、こころに沁みこむ。

ちょっとおとな向けな絵本だけれど
子どもたちにも伝えてゆきたい、たいせつな一冊。


ブラッドタイプABO式

2010-01-12 | essay
血液型をこんなに気にするのは日本人くらいだそうな。

わたしもそれほど左右されることはないけれど
いろんなひとを見ていると、
性質や行動にやはりある種のパターンがあるように思う。

以前ぱらぱらと読んだ血液型の本に
血液型別の子育ての秘訣みたいなことが書いてあった。
B型の子どもを育てるには、一にも二にも忍耐!だそうな。
これは、わかる~。

O型のわたしが産んだのは…!揃いも揃ってB型三人。
どんだけ忍耐力が必要なんですか~~??

そしてもちろんその父、B型。
忍耐にも限度ってものがあろう!
五人家族中、夫もまとめてB型4人。
翻弄され続けるわたし
これも試練か???

しかし、B型の一番良き理解者はO型だそうな。
よかったねえ。4人とも、たまには感謝しておくれよ~

「おかえり」の札

2010-01-11 | essay
二十歳過ぎくらいかな。まだ家族と暮らしていたころ。
わたしの帰宅が夜遅くなっても、頭ごなしに叱ったりは
しない母だったが、ある夜遊んでいてすっかり遅くなり、
マズイなあ・・・と思いつつ静かに鍵を開けて入ると、
玄関でポツンと待っていたのは。。。
その頃お気に入りだったわたしの犬のぬいぐるみ。

ちょこんと座った犬の首輪には、
 「おかえりなさい」と母の字で書かれた札がさがっていた。

二十歳を過ぎたら自分のことは自分で責任を持ちなさい、と
言われてはいたが、ちょっと後ろめたい夜でも(?)
母はわたしを信用してくれているんだなあ、と
そのユーモアのなかに痛感。。。

うるさく言われるよりも効果大。
以来、電車の走っている時刻内には帰ろうと努力したものだ。


成人の日
二十歳なんてついこの間!?なわけないのだけれど、
こころには年齢なんてないもんなんだね。
せめてこころだけは柔軟に弾力を保っていようっと


カンユドロップ Now and Then

2010-01-10 | essay
肝油ドロップ。
小さい頃、いつでも家にこの缶があって
子どもは一日一粒って決まっているのに
こっそり食べちゃったりしていた。

奈良に住んでいた1970年頃のこと、
幼稚園では毎日ひとり一粒づつ支給されていた。
まだ栄養不足の時代だったのかなあ??

近年、なんだか食べたくなって買ってみたら、
案の定、子どもたちもお気に入りに。
「薬だからこっそり食べたりしないように!」と
経験上言ってあるけれど。

何度目かに買ってびっくり。
いつのまにか、缶の子どもの顔が変わっているよ~!
色もデザインもそのまんまだから気付かなかったよ。
「肝油ドロップ」は変わらずこの缶、このデザインでなきゃね。
製造元さんもよく顧客の気持ちをわかってらっしゃる。
すばらしい!
でも、なんならお顔ももとの昭和の少年でよかったのよ~?
もうご本人は立派なおじさまでしょうけれど!

ちなみに、うちの子どもたちはこの肝油ドロップを
「かおのついた缶のやつ」が略されて
「かお」と呼ぶようになり、うちでは皆「かお」で通じてしまう。
面白いねえ。もうすぐ「かお」なくなるから買ってこなくちゃ!

猫の道

2010-01-09 | essay
わたしが猫なら、毎日でも通りたい。
猫が歩いたら似合いそうな塀の屋根だ。

小学六年の時に書いた、猫の詩を
母が大絶賛してくれたことがあったなあ。
塀の上に寝そべる猫の詩だった。
母が、家庭訪問にみえた担任にまで読ませたりして
ちょっと恥ずかしかったけど何だかとても嬉しかった。
母は、褒めるのが上手なひとだった。
母に褒められると、すごく自信が湧いてきて
すぐその気になったものだ。

その猫の詩以来、詩をたくさん書くようになって
中学では文芸部に入部。(新体操部に入ろうと思っていたら
その部の中三だった姉に断固拒否されたせいもあるのだが!)
詩や物語を書くのがすきな子どもではあったけれど、
母のあの大絶賛なしには、長くは続かなかったはず。

能天気でポジティブな親にして、この楽観的で単純なムスメあり。
粘土オブジェの仕事をしていた頃もそうだ。
母の賛嘆のおかげで、仕事を取れるところまで
自分を鼓舞して突き進むことができたのだと思う。

親馬鹿でもいいんだな。
コトバだけじゃなく、わが子を信じる姿勢、
いつでも味方なんだよって解らせてくれる姿勢が
安心感に繋がるんだね。
いつだって、わたしは母の心根のやさしさに
支えられて歩いていたんだなあ。

つくづく、こころのおおきなおおきなひとだったなと思う。
自分も母となり、近年になってから
母の本当の大きさ、優しさ、強さを知った。

母が他界してもう四年。。。
逝くには早すぎたよね、おかあさん。
幾つになってもまだまだ聞きたいこと、
聞いてもらいたいことがたくさんある。
そして未だに、褒めてもらいたい時だってある。

同じ「母」だというのにわたしはまだまだ甘ちゃんだ。
今のわたしの年齢の彼女を思い出すと、
わたしより遥かに大人だ。
母として、大人として、揺るがず凛としていた。

あんな時、母ならどうしたか。
こんな時、母ならどう言うか。
わたしのなかの母に尋ねながら、
この先も彼女を道しるべにわたしは歩いてゆくのだろう


レトロな千代紙

2010-01-08 | essay
幼稚園から小学校低学年ころ
かわいい千代紙がとても流行った。
魔女っ子メグちゃんやフランダースの犬、
ムーミンなどのちょっと怪しい絵柄や、
内藤ルネのパンダや亜土ちゃんのイラストもの、
フルーツの香りつきとかもあって、
ともだちと交換するのも女の子にとって楽しみな遊びだった。

たいせつにたいせつにしていた宝物。
とても気に入った柄は、折り紙にして遊んだものを
また開いて皺を伸ばしてまで大事にとっておいたものだ。
しかもこのケース、おもちゃの指輪セットが入っていたもの

こんな先まで持ち続けているとは
あの頃もちろん思いもしなかったし、
30余年後に我が娘にちょーだいちょーだいと
せがまれるとは誰が想像したでしょ~!?

この千代紙も千代紙冥利(?)につきますな



こどもの哲学

2010-01-07 | essay
小さい頃、といっても大阪にいた時代だから
小学校低学年くらいの頃、夜布団に入ると何故か
「死」とはなんだろう。と夜な夜な考える時期があった。
だいすきだった伯母が病床にいたせいかもしれない。

「死んでしまうってどういうことなんやろ」
「体がなくなると、こころはどうなるんやろ」
「今じぶんがこうやって考えてる気持ちも消えてしまうんかな」
「そしたら、mikoはmikoじゃなくなってなんにもなくなるんかな」
「でも考えてるmikoはかたちがないんやから死んでもなくならへんはずや!」

って、自問自答しているうちにとても怖くなって
考えるのをやめようと努めて眠ったのをよく覚えている。
子どもは子どもなりにいろんなことを考えているものなのだ。

今思えば、あれが自己の確立のはじまりだったのかも。
哲学者デカルトの有名な言葉「我思う、ゆえに我あり」
あの夜な夜なの自問自答はまさに哲学の入口の第一歩だったのね。
(哲学の道には進まなかったけれどね!)

  「“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が
   自分が存在する証明である」-我思う、ゆえに我あり-

そういえば、長男も小学一年生の頃、
夜になるとやたらと「こわいこわい」と不安を訴える時期があった。
末っ子が産まれたばかりだったから赤ちゃん還りの一種かもしれないけれど、
「お母ちゃんはまだ死なない?」
「お母ちゃんがいなくなったらどうしよう」と泣く夜もあった。
どの子もそれなりに、自己形成に伴って
「死」や「自分」についておぼろに考える時期があるのだろうな。

ひとのこころはとても複雑で繊細にできている。
子どものこころも、同じなのだ


美しいことば

2010-01-06 | 本 のこと

昔からうちにある世界文学全集を
一冊づつ選んでは読んでいる。

昔の本は、翻訳も少し昔の日本語の言い回しが
使われていることが多く、それがかえって新鮮なのだ。
日本語の忘れられかけている美しさがそこにはある。

装丁も丁寧な、ずっしりと重みのある本は
開くだけでもう魔法の力が放たれて、
そこに詰まっているたくさんの美しいことばが
わたしを物語のなかへと一瞬にして運んでいってくれる。

訳者のセンスも問われるところだが、
さすがに読み継がれる名作だけあって
惚れ惚れするセリフにたくさん出逢うことができる。
名作の文章の持つパワーって本当にすごい!

本は、宝箱。そしてどこへでも行けるタイムマシーン&どこでもドア!
開けば広がる別世界。
とっても手軽な、両手に収まるエンターテイメントなのである


古い建物の魅力

2010-01-05 | 古い建物 のこと

古いビルの写真を撮っていた。
新宿のどこかの昭和初期のビルディングだった。
薄暮の町によく似合うそのビルを
わたしは一心に撮っている。という今年の初夢!!

暮れに訪れて、しっかりこころに焼き付けられた、
銀座の奥野ビルの強烈な印象のせいかもしれないなあ。

古い建物は、奥深い魅力を持つ。
昭和初期ころのビルは特に魅力的。
街を歩いていて、趣のある古い建物に出会うと、
個人宅でも細部を見せてもらいたくなっちゃう。
ぴょんぴょん背伸びして見るだけだけれど!(不審者?)

銀座の西五番街にあった古いビル。
ビルの名前は覚えていないけれど、
かつてはアパートメントだったビルに
お店が数店舗入っていたようだった。
ここにあった小さなBARに
昔のコイビトとよく行ったものだ。
入口をはいると、当時のままの郵便受けも風情があって、
冷たい石の手すりが光る重厚感のある階段を上っていくと
タイムスリップしてかつてのここの住人になった気分。
ここの持つ空気がとてもすきだったな。

数年前、通りがかったらそのビルは取り壊されてもうなくなっていた。

いつまでも存在するものなんて、夢でしかないのかもしれないけれど、
時代独特の空気を持つ建物が消えていくのは本当に忍びない。
昭和初期といえば、築70余年ほど。
ヨーロッパの建物に比べたらコドモみたいなものなのになあ。
建築方法や地盤条件とかにも大きな違いがあるのだろうけれど、
古くて良い建物を、もっと国をあげてたいせつにしてほしいものだ。

過日、火災で焼け落ちてしまった、
「斜陽」の舞台となった「雄山荘」。
保存の声が上がっていたのに届かず、
放置されて荒廃し、このようなことに。。。
国がもっとこういう文化的な部分に力を注いで
保護してくれていたら…と残念でならない。
無くしてからでは取り返しがつかないのに。

古い趣のあるビルや邸宅を
今のうちにこの目で見ておきたい。
初夢の暗示通りに、カメラを向ける自分を
そこへ連れてゆこう。

古いものが、わたしの中に何かを伝えてくれるはず


みかんとおふろ

2010-01-04 | essay
冬の風物詩といえば、
おふろでみかん。

寒い冬の夜。
みかんを湯船にぽんと浮かべる。
ぷかぷか浮いてほんのりと温まったみかんを
お風呂に浸かりながらおもむろにいただく。
これが美味しいのだなあ。

小さい頃、母とこうして湯船で食べたみかんの味は格別だったな。

今はわたしが子どもと食べる。
特別な冬の夜のこころがほかほかになる秘密の味。

スケートセンター

2010-01-02 | essay
元旦そうそうなぜかスケートセンターに行くことに。

長男は、寒くていやだと留守番。(反抗期は今年も続くのね…)
わたしは外反母趾の為にスケート靴が痛くて、
かなしいかな、棄権で見学。

滑ったのは夫と次男と末娘。
さすがに元旦。空いていて気持ちいい~。
次男は何度か滑ったことがあるけれど、
娘はおととしの幼稚園の頃に一度行ったきりだというのに
滑る滑る、しかも早い早い!怖いもの知らず!
我が家でただひとり、運動神経がちょびっと良い子なのだ。
普段一輪車を足代わりに乗りまわしているだけあって
いつのまにかバランス感覚が養われていたのねえ。

夫が転んだら怪我しそうだなあとヒヤヒヤ。
昔よく品川プリンスのスケートセンターで(今でもあるのかな)
一緒にスイスイと軽やかに滑っていたものだが。。。
う~ん、今は…滑るアザラシか???

今年の目標は体力強化だね!
わたしも今年は身体と脳をこころして鍛えようっと

あたらしい月

2010-01-01 | essay
いつでもそこにいてくれるお月さん。
まんまるに雲間で輝いて下界を照らしていた。

あたらしい一年のはじまり。
みんなが笑顔でいられますように!

あけましておめでとうございます

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