時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

おしえて!もんじゅ君

2012-03-10 | 本 のこと



ともだちのKさんが、「これいいよ!」って貸してくれた。

  「おしえて もんじゅ君」 平凡社 

遅読派のわたしでも、短時間で一気読みできるほど読みやすい。
推進され続けた原発のメリットのカラクリ。
東電の総括原価方式の内訳。
プルサーマル計画。高速増殖炉もんじゅ。。。

わかっていたつもりでも、どこかあやふやで、丸めこまれていた感のあった事柄が、
この「もんじゅ君」のゆるい語り口調の説明で、霧が晴れるように核心がばっちり見えてきた。
わかりやすい説明だけでなく、もんじゅ君の想うこともしっかり伝わるよ。
せつない想いに・・・泣けてきちゃった。

6年生くらいからなら読めるかな。
これから先、嫌でも放射能と共存してゆかなければならない子どもたちに
ぜひ読んでもらいたいね。

子どもたちに、大人が折にふれて教えてあげるためにも
ぴったりな教本になるね。

原発や放射能について、子どもに問われたら、これでもう何でも簡潔に答えてあげられそう。

良い本、貸してくれてありがと!Kさん。
わたしもコレ買いに行くよ~!



明日は、3月11日。
ことばでは何も言えないけれど、こころのなかで祈っています。

映像は凶器にもなる。。。
前に進むために節目は必要だけれど、
一年を追う特集番組では、もう目にしたくない映像もたくさん流れることだろう。

テレビ各局で特集を組んで、視聴率を競うより
全局、一時間でも皆で一斉に電源を落として、沈黙で哀悼の意を表すほうが
よっぽど伝わるんじゃないかなあ・・・ っておもうよ。









気遣いすぎる木

2012-03-09 | essay

自分のまちを歩くときは、なるべく通ったことのない路地を行く。
方向感覚の悪いわたしでも、さすがに行動範囲内では、大きな建物を見れば方角くらいはわかるから。
未知の古い路地をくねくね行くと、あたらしい発見があるものだ。

この日の発見物件は・・・この木!!
見事にぐるりと円を描いてえらいことになっております!
一緒に建つこのお家を気遣って、壁を突き破らないように曲ったのかな。
はたまた、昔々の成長中に家主さんによって方向を矯正されたためなのか?

いずれにせよ、見事な共生です。
相当年代を感じるこのお宅・・・。
いつまでも寄り添って立っていてほしいものです。


 

 


きもちの回線

2012-03-08 | essay

 

わたし、なにかが見える・・・というような霊感はないのだけれど
昔からなんとなく予感は当たる。といっても、予知というわけではないんだな。

ふいにココロに浮かんだひとから、久しぶりに連絡が入ったり、
しばらく逢っていないのに、顔がチラチラ浮かぶのでなんとなく連絡してみると、
身の回りに何事か巻き起こっていて、「なんでわかる~?」 ってびっくりされたり。

お店の、名前も知らないお客様でも、「あ。あの時計好きなご夫婦、お元気かな。また話したいな~」って
掃除機をかけながらぼや~と想ったりすると、その日、数か月ぶりにひょっこり来店されたり。

こういうのって、きっと誰にでも思い当たるはず。
でも、『 ただの偶然 』 で片付けるのは ちょっともったいない。

眼には見えないココロの通信回線で、呼んだり呼ばれたりしているのかもしれない。よね?

太古から本来ニンゲンに備わっていたココロの通信機能みたいなものを、本当は誰でも持っているのかもしれない。
ただ、この便利な世の中、その機能はほとんど深く深く埋もれて眠ってしまっているんだな~。
便利さから脱却して、本能を研ぎ澄ませたら、動物的な勘が取り戻せるのかも??

繋がるシアワセ。。。 つくづく、ひととひとの見えないエニシってやつは、不思議です。
わたしのラインはいつでも開放中~。

フシギなものは、フシギなまま 置いておくのが一番たのしいのです。





詩をつくるという授業

2012-03-06 | essay



今学年最後の授業参観。

第三子が4年生ともなると、授業参観にも慣れっこになってしまって、
我が子の姿に、ハラハラするということもなくなる。(手を挙げないのはよ~くわかってるし)

なので、近年は参観ではなく、気持の上ではオブザーバーとして
授業を一緒に受けるつもりになって聞いている。

小学校でも中学校でも、改めてちゃんと先生の話を聞いていると、いろいろ勉強になるんだな、これが。

今年度の娘の受け持ちの先生は、とってもベテランのお父さん先生。
やはり、たくさんの人生経験を積んだ先生って、親としてはたいへん安心感がある。
語る言葉も、なんだかとっても共感してしまうんだなあ。

受けてきた授業は「詩をつくる」という国語の授業。

昔から、子どものつくる詩ってとてもすきなんだけれど、
先生が選んでいらして黒板に貼った詩が、これまたなんともぐっとくる。

子どもたちに、詩の中からさまざまな感情を見つけ出させる という教え方で授業は進む。
いろんな読み取り方をする子どもたち。
なるほどなあ・・・!

小学校の先生って職業は、とても大変そうだけれどすっごく充実感があるだろうなあ。
子どもたちのピュアな感性って、底なしにスバラシイもの。

いろんな子どもの詩を紹介するなかに、
一遍だけ、詩人の詩を混ぜて紹介するあたりが、さりげなくてイイネエ!
混ぜこぜに出逢ってしまえば、難しい詩を前に、構えることなくすんなり入れる。
さすが、ベテラン先生!と感心してしまいました。
またまたそれが、得るものの大きい いい詩なのだなあ。

短い詩なので、(一部なのかもね) 載せてしまおう。

  無題

  貧しき人の子はどんな財産を相続するか
  貧しさのために学び得た 辛抱強さ
  悲しみを胸にいだいて 耐え忍ぶ勇気
  助けなき人を迎えて なお憐れむ深き情け

  こんな財産をこそ わたしは思う
  世の王様も相続したいだろうと

                         ジェームス・ラッセル・ローエル


この詩を子どもたちにもわかるように噛み砕いて、決して説教くさくなく説いてくださる。
オトナは、「貧しい」をより広い意味で「逆境」と置き換えて感じ取ると、この詩はより身近に思えるかも。

子どもたちに、人間としてたいせつなことをあらゆる機会に教えてくださるベテラン先生。。。

この詩にうっかり涙が溢れそうになり、
この子たち、10歳といういい時期に良い先生に出逢ったなあと、
しみじみ想う 昼下がりの陽の当たる教室の温かなひとときでした。

 
 


夜中のテリヤキ

2012-03-05 | essay



とりの照り焼き。おいしいよね。

近頃、料理でストレス発散する次男坊。
またもや突然、今度は「とりの照り焼き」を作ると言い出し
近くのスーパーにとりもも肉を一枚だけ買いに走って行った。こういう時だけは動きが早いんだな。
もちろん自分のお小遣いで。 
でも、もう8時過ぎ。。。

結局、側で手順と調味料の調合を指示。
こういう時だけは、素直に話を聞くんだな。

う~ん、初めてにしては上出来です。(指導がいい)

もう夜9時を過ぎているというのに、立ち上る照り焼きの良いかおり。(おいしかった。)

非常にトゲトゲ・クサクサしている反抗期次男坊。
面倒クサイけど、こういう何気ない時間が今の彼には必要なんだな・・・。

まあ。。。たまには料理は付き合うからさ、壁の穴はもう増やさないでよね~ 




世田谷文学館*1930年代の東京

2012-03-04 | 展覧会・アート のこと



先日、世田谷文学館で開催している「都市から郊外へ~1930年代の東京」を
観にいってきた。

1920年くらいから戦時色が色濃くなる前までの日本文化にはとても興味がある。
建築物や、書物、写真や広告物などから漂うムードとか、
風合いや色合いや佇まいが、なんだかすきなんだなあ。
(何とも抽象的な表現だな)

ここに展示されていた当時の写真家 桑原甲子雄というひとの作品の数々。
このひとの東京の写真とても良いですねえ!

この日行われた講演会もしっかり聴き、しかもこの日は夜はライブ♪があったので、
時間が足りずあまりゆっくり観れなかったのだけれど、
このひとの写真展があったら、きっとまた観に行ってみよう。

世田谷文学館を訪れたのは、今回が初めて。閑静な町に佇むとても気品のある文化施設でした。

この展覧会は4月8日まで開催中。







映画「ものすごくうるさくてありえないほど近い」

2012-03-03 | 映画 のこと

「ものすごくうるさくてありえないほど近い」 
原題「Extremely Loud and Incredibly Close」 2011年アメリカ映画 

先日、上映中のこの映画 ともだちと観てきた。

9.11のテロで父親を亡くした少年の 想像を絶する痛み。
そして、自分なりの方法で現実を受け止めようとし、再生してゆく物語。

これは・・・
一緒に痛みを感じすぎてしまって 参った。

うっかり声を上げて泣いてしまいそうで、思わず自分の手の甲に爪を立てて抑えたほどだ。

この映画は、9.11から一年を過ごした少年の心の内を描いている。

震災からも、もうすぐ一年。。。
震災の傷がまだ少しも癒えないひとが多数存在する今の日本にとっては
あまりにシンクロしすぎて辛い映画だ。

テロと自然災害という 状況は違えども、同じようにたいせつなひとを喪って、
この映画の少年のようにまだまだ苦しみに喘いでいる子どもたちも大勢いる。

素晴らしい映画だけれど、まだ、こころの準備ができていない、観るべき時期ではないひともたくさんいるはず。
余計なお世話かもしれなくても、十分気をつけて、考えてから観てほしい・・・と心配に思ってしまう。

それでも確かに、ひととひとの繋がりのたいせつさを描いた温かな再生の物語なので、
こころの準備が出来てから、ぜひ観てほしい映画です。。。









Davy Jones : The Monkees 

2012-03-02 | MUSICのこと



ともだちが、「モンキーズのボーカルが亡くなったね。」  ってメールをくれた。
教えてくれてありがと・・・。

ずっとだいすきな The Monkees

あの80年代初めのリバイバル・ブーム。
モンキーズ一色だった15歳。
目の前に「世界」を広げて見せてくれた彼らの歌。

モンキーズの歌なら全部、口ずさめるよ・・・。
あのリバイバルブームの時にすでに過去のバンドだったのに、
あんなに "寝ても覚めても状態" のファン熱に浮かされたのは
後にも先にも、The Monkees だけなんだもん。
わたしはマイク・ネスミスファンだったけれど、ともだちのほとんどはデイビーのファンだったなあ。

デイビーの復活来日コンサートも、補導覚悟で六本木で徹夜してチケットをゲットしたりしたものです。
彼の訃報を耳にして、あの稀有なリバイバルブームの特異な熱気を懐かしく想いだすひとは少なくないと思う。

そして、リアルタイムの彼らの全盛期を共に過ごした方々も・・・。

モンキーズは、ビートルズの猿真似バンドだとか、演奏は吹き替えだとか、
当時はバッシングも多かったという。
確かにTVショーのためにオーディションで集められたメンバーだったし、
マイクの自作曲以外は、ほぼ提供された楽曲だけれど、
ポップスバンドとして、たくさんのひとのココロにいろんな思い出を残してくれたのは事実。

こうして、結果的に長い間たくさんの人々に聴き続けられているってことは
やはりスーパーバンドだったと、時間が証明してくれたよね。

夕べから、「I Wanna Be Free」がずっとココロで鳴ってる。
デイビー・ジョーンズ。。。
2012年2月29日。まだ66歳だったのに、心臓発作のため他界されました。

「Daydream Believer」をはじめ、たくさんの名曲は
これからもずっと、たくさんのひとに親しまれて聴き継がれてゆくよね。

寂しいなア。。。
ご冥福をお祈りします。



レコードだって全部まだ持ってるよ。これは1971年ソロ・アルバムの復刻盤。
コレ、結構すきです。

 

 


言葉の綾

2012-03-01 | essay



文章は書き直すことができるけれど、口から出たコトバはもう消せない。

わたし、ときどきうっかり言葉を言い間違えて、図らずも笑われる。  (そこ、大きく頷かないでね)

合気道で、小学生たちと喋っていた時。
テレビのなんとかレンジャーの名前を言われ、

「あー、今やってる変態モノね」
と、戦隊モノって言おうと思いつつ言い間違えた。

子どもたち、ゲラゲラおおウケ。いやいや、ごめん、ちがうって。狙ってないって。

「ちゃうちゃうちゃうって!姿が様変わりすることも 『変態』 って言うんだよ~!ホント!」

って補足して言いわけしてみたけど、誰も聞いてないし。

子どもらのツボを押してしまった・・・。
ゲラゲラは収まらず、妄想は膨らんで盛り上がってゆくのでした。

 ぽつ~ん。

子どもにも笑われるオトナってどうなのさ。 もう少し、おとなになろうなあ、わたし。




 


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