世の中はゴールデン・・・と称していますが・・・・
拙宅では、今回の連休前に両親が救急搬送で入院に重なり、10数回めの偽計業務妨害の被害者になり、忙しい連休の序章でした。
当地においては、今日は早朝から荒天でしたが、午前中にはピーカン晴れになりました。
以前から気になっていた、文京区の切支丹屋敷跡に行きたいと思い、配偶者を誘って出かけました。
切支丹屋敷跡というと、日本史の中では、新井白石の「西洋紀聞」と聴聞をしたシドッチの事が史実としてあります。
過日、切支丹屋敷跡で発見された遺骨がDNA鑑定でイタリア人ということが判ったことが報道されていました。
私自身は、地方の工業高校の日本史の授業の知識しかないのですが、還暦を越えた身としては、江戸時代の鎖国の中で、西洋との窓を開けた聴聞記録としては、非常に大きなターニングポイントであったと思います。
いざ、地下鉄丸の内線の茗荷谷駅を降りて、しばらく歩くと、大きな集合住宅の隅に切支丹屋敷跡の表示がありました。
今から300年前に、鎖国状態であった日本にイタリアのシチリア島生まれの宣教師が極東の日本に宣教とはいえ、来たことがなんということか・・。
以前にも書いたのですが私の年代で言うと大学受験の科目であったのですが還暦を過ぎて考えると、荻生徂徠が生まれ育った町内に居住していたとか、日本国内を測量した伊能忠敬が今居住している家の前を測量していたとか史実を考えると、妙に自分自身の興味に降りかかってきます。
いま、自分自身がいる日本のあり方、今までのあり方を考えると、300年前の出来事を考えることが一つのターニングポイントになるのではないかと五月晴れの住宅街の中でしばし考えてしまいました。