:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(その4)

2008-02-05 13:20:09 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-02-05 13:20:09



           ロサト教授は誤りを教えたか?-(その4)

アンソニー大司教の場合

 わたしがグアムに行ったきっかけは、高松教区のサンチャゴ神父からの一本の国際電話だった。彼は、グアムのアンソニー大司教の要請に応えた深堀前高松司教によって、グアムに派遣され、チャランパゴ教会の主任司祭をしていた。 その彼が、故郷のエクアドルに里帰りする間を繋ぐ留守番の神父を探していた。ちょうど信州の野尻湖が雪に閉ざされる真冬とあって、二つ返事で引き受けた。昨年の1月のことだった。
 アンソニー大司教は、誠実で働き者のサンチャゴ神父を、ことのほか可愛がっていた。そして、彼の教会の留守番役、主任司祭臨時代行として来たわたしを、快く受け入れてくれた。
 グアム島はちょうど淡路島ほどの広さ(549平方キロ)で、人口もほぼ同じ(約17万人)で、16世紀初めにマゼランに発見されて以来、住民の75%がカトリック信者というお国柄である。
 第二次大戦後、主としてカプチン会(フランシスコ会系)のアメリカ人宣教師によって維持されてきた教会は、司祭の高齢化と数の減少に悩み、アメリカ国内の召命の低迷のあおりで、新しい宣教師の補充も絶望的であった。
 大司教は数年前にローマの「レデンプトーリス・マーテル神学院」の姉妹校をグアムに誘致した。日本のホテル資本が40億円かけて建設した120室余りの豪華リゾートホテルを、たった2億円で買い取り、神学校に改造した。もともとスペインの修道院をイメージして設計されたホテルだったから、まるで神学校への転用を予定していたかのようなおあつらえ向きの建物だった。

     
        グアムの「レデンプトーリス・マーテル」神学院 (上空のセスナから)

 今年、この神学校の初穂の3人の司祭たちが巣立っていく。神学生が30人ほど在籍しているから、順調に行けば、今後10年間に約30人の司祭が誕生するはずである。
 アンソニー大司教による神学校の誘致は、深刻な司祭不足問題に対する明確な解答であった。今後10年以内に、グアム大司教区の24の教会に十分な数の司祭を供給した後は、マリアナ諸島、ミクロネシア、ハワイ諸島へ、必要な数の司祭と宣教師を供給できる余力を持つようになるだろう。
 1980年代の後半に、前教皇ヨハネ・パウロ二世がローマ郊外にローマ教区立として新設した神学校(わたしは確かそこの3回生だったと思う)は、1965年に幕を閉じたカトリック教会の改革会議(第二バチカン公会議)の重要な決定、即ち司祭の養成の新しい指針、をはじめて実験する画期的な試みであった。
 わたしは、その神学校に受け入れられて3年目には、早くもローマのサンジョヴァンニ・ラテラノ教会でルイニ枢機卿から助祭に叙階されたが、同期生は20人ほどであった。その数は、伝統あるローマ教区立神学院「コレジオ・ロマーノ」の卒業生の数と拮抗していた。以来15年、ローマ教区に誕生する新司祭の二人に一人はこの新しい神学院の卒業生である。
 高松教区には、深堀前司教によって「高松教区立国際宣教神学院レデンプトーリス・マーテル」が1990年12月に設立された。教皇ヨハネ・パウロ二世がローマに設立した同名の神学院の7番目の姉妹校であった。
 ローマの第1号が設立されて20年以上たった今日、同名の姉妹校の数は全世界に70数校を数えるに至った。世界中で司祭職への召命が激減している中にあって、この新しいタイプの新学校だけが、常に若い神学生であふれている。アンソニー大司教が開設したグアムの神学校も例外ではない。
 この現代の奇跡のような豊かな召命の秘密は、新求道共同体という存在である。アンソニー大司教は、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世の歴代教皇が異口同音に高く評価し、全世界の司教たちに導入を推奨したこの共同体を、自分の教区に取り入れ、その一貫としてローマの神学校の姉妹校を誘致したのである。
 それだけではない。この共同体では、訓練された一般の信徒が、メンバーの回心と福音的養成の指導に当たるのだが、アンソニー大司教みずから、一人の信者として、そうした信徒に自らを委ね、その導きのもとに、回心の道の第一歩から謙遜に歩み始めたのである。
 グアムの教会の或る信者はわたしに、大司教はもともとは権威主義的で気難しくとっつきにくい雲の上人だったが、その彼が、新求道共同体の回心の道を一般信徒に混じって歩み始めてから次第に変わり、いまでは信徒たちから、特に子供たちから愛される親しみやすい身近な牧者になった、と話してくれた。
 日本では、大分教区の平山元司教様が、同じように一信徒として、共同体のカテキスタの指導に身をゆだね、謙遜に回心の道を初歩から歩んでおられる。これこそ、信徒の上に立つ牧者の鑑ではないだろうか。
 私は、ただひとり野尻湖の山荘に篭もり、深い雪に閉ざされ、凍りつく冬のさなかに居るが、昨年の冬に続いて今年も招かれたグアムのひと時は、まことに暖かい(単に気候だけでなく)心和む世界だった。
 しかし、日本に古くから言われている通り、「冬来たりなば、春遠からじ」である。全てを委ねて祈りつつ待つなら、神様は、必ず春を用意して待っていてくださるにちがいない。アーメン!

      
          自分で自分を幽閉した冬の山荘・・・・
        窓の腰より高い積雪に届きそうな長いツララ  けれど、窓辺の
        フリージアにはしっかり蕾が膨らんで、今にも匂いそう・・・・

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