:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ベートーヴェン作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61

2008-02-22 15:05:57 | ★ 野尻湖・国際村

2008-03-05 14:06:34




ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
ドヴォルザーク作曲
スラヴ舞曲集 第一集 作品46

 友人からチケットをもらって、久しぶりに読響のフルオーケストラの音色を池袋の大コンサートホールで堪能した。学生時代、小遣いを節約して上野の文化会館に通った日々が懐かしく蘇えった。半世紀近く前の東京には、クラシック音楽が生で聞けるのは、文化会館の大、小ホールか、日比谷公会堂ぐらいしかなかったが、今は都内各所にいいホールが沢山ある。
 4チャンネル、日本テレビのカメラが沢山入っていたから、そのうち放映されるだろう。ちなみに、この番組の担当女性ディレクターは私の親しい知人である。
           

 休憩後のドヴォルザークのスラヴ舞曲集、1番から8番までを全部一度に聴いたのは初めてのような気がする。エーッ!こんな曲だったんだぁ、とあらためて思った。

 前半のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、とても親しみをおぼえた。それは、LPレコードの時代から何度も聴いていることに加え、ソリストのコリア・ブラッハー(ヴァイオリン)が知らない人ではなかったからでもある。
 彼は、6年間ベルリンフィルのコンサートマスターを勤めた後、ソリストに転じた。彼が演奏するヴァイオリンは、“トリトン”と名付けられた1730年製ストラデヴァリウスの名器で、キミコ・パワーズ氏よりブラッハー氏に貸与されたものだ。
 彼女を、そしてブラッハー氏を知ったのは、私の銀行マン時代からの知己である元M銀行のS氏の紹介であったが、私が四国の高松に「レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院」というカトリックの神父養成機関を建設するための資金集めに奔走していたとき、各地でブラッハー氏のチャリティーコンサートを企画してもらったのがご縁であった。
 その高松の神学院は、前教皇ヨハネ・パウロ二世が20年ほど前にローマに全く新しい理念に基づいて設立した神父養成機関をモデルにした、世界で7番目の姉妹校であるが、今では全世界に70数校を数えるまでになった。
 私は、縁あってその第1号のローマの神学院で司祭の養成を受ける幸せにあずかったものであるが、それもあって、高松の神学校の建設には国際金融マン時代のノーハウと人脈を駆使して情熱を傾けたものだった。そして、10年ほどの間に約30人の新しい司祭が誕生すると言う快挙を成し遂げた。
 ところが、神学院設立を決めた高松の前司教が定年引退すると、にわかに風向きが変わり、日本のカトリック教会内に生じた同神学院閉鎖への圧力の高まりを受けて、設立のために働いた神学院の初代院長や私などは教区外に出されることになった。私が長野県の野尻湖の別荘に蟄居している背景にはそういう事情がある。
 ローマで8年間養成を受けた私の目には、ヴァチカンの世界宣教戦略と極東日本の教会指導者たちのメンタリティーとの間には、非常に大きな温度差があるように映る。
 手も足も出ない状況に置かれた私が、ああ、もうこれで全てお終いだ!と観念しかけたとき、新教皇ベネディクト16世がこの問題に介入し、日本の教会指導者がこぞって高松の神学校の閉鎖・廃校に動くのであれば、教皇庁直轄にしてでも救うと言う意思を表明した、とか、しないとかいう噂をたまたまローマに居て耳にしたのはもう3年ほど前のことだった。その後水面下で日本の教会とヴァチカンとの間で緊張した駆け引きがあったに違いないのだが、その内容は長野の山猿になった私などの耳には、めったに届くものではなかった。
 わたしは、今日も雪深い山荘の中で一人祈るばかりである。
 「神様、あなたのみ旨が行われますように!思し召しならば、あなたの神学校をお救い下さい!」 
                 * * * * * * *

           
 国際金融業に関わっていたころ、お金の神様の世界はひどいところだと思っていたが、宗教の世界、カトリックと言う巨大組織に宗旨替えしてみてびっくり、聞きしに勝るとは、まさにこのことであった。
 最近、映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」を観た。雑誌「ぴあ」には、「国ために、愛をも制した女王の黄金時代」という見出しがついていた。
1585年、プロテスタントの女王として即位したエリザベス1世だったが、カトリックのスペイン王国に圧力をかけられていた。そこへ現れた航海士ローリーに彼女の心はかき乱されていき・・・・
 スペインの無敵艦隊の壊滅。新しい時代の幕開け。
 政争の背後に、陰のよう付きまとう僧侶・高位聖職者たちの姿は、この映画のバックの大道具と言うか、通奏低音として、重要な役割を演じている。
お金の神様の世界の方が、ずっと分かりやすいように思えてくるから、不思議なものだ。
 コンスタンチン体制* から1700年、時代は移っても、基本構造に変化は無いのかもしれない。


(*)コンスタンチン体制:西暦313年のミラノ勅令で、キリスト教が実質的にローマ帝国の国教扱いになり、「聖」と「俗」が融合・合体した体制。

コメント
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