:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ イージス艦の事故に思う。 神不在の社会 (世俗化した社会) ??

2008-02-24 07:15:33 | ★ 野尻湖・国際村

2008-02-24 07:15:33




(この記事に新規追加あり)

 数日前から、新潟、東京、横浜と旅烏で、ゆっくり落ち着いて新しいブログを書く気分になりませんでした。ところが、メールチェックをしていたら、(aki) さんという方から、私の1月10日のブログ 「死刑囚から牧師へ」 にコメントが届いたという記録がありました。それを見て、急に短いブログを書く気になった次第です。まず、 (aki) さんのコメントを引用したいと思います。

             * * * * * * *

憲法9条の会 (aki)
(2008-02-22 17:27:24)

今日は久しぶりの憲法9条の会の集まりを4人のメンバーでもちました。
正義と平和の会から出ている松浦悟郎司教の講演録を読み分かち合いをするのです。

その席で「地獄の虹」の紹介をしたのです。

来月8,9日には正平協の部落問題委員会での伊勢神宮現地学習会が開かれます。
伊勢神宮は私の住居の近くですので私は予定に入れました。。

第二次大戦の時には神風が吹き日本は戦争に勝つと信じられていたそうですね。
今でこそ国家神道ではなくなってはいますが、事あれば天皇家と関係があるので、いろんな面で国の神事に組み入れられているのではないかと危惧する面もあります。
考えすぎでしょうか?

 
        * * * * * * *

 「地獄の虹」 と言うのは私がこの1月のはじめグアム島で出会って感動して読み耽り、ブログで紹介した本の題名です。荒垣三郎と言う当時17歳の少年が、サイパン島の日本人捕虜収容所で元憲兵の指令で二人の日本人を殺害し、その憲兵の裏切りの結果、占領軍の軍法会議で死刑が確定したが、その後数奇な運命に導かれ、獄中でキリスト教の洗礼を受け、大統領恩赦で解放され、牧師になり、戦後帰国してその憲兵を探し出し、赦し、和解するというドラマです。( 詳しくは私のブログ1月10日 「死刑囚から牧師に」 参照 )

 私も、かつて「カトリック正義と平和協議会」の活動的メンバーであったことがあります。名古屋の相馬司教が担当司教の頃です。私は南ベトナムの政治囚釈放運動のほか(まだベトナム戦争の最中でした)、「国内問題委員会」と言うのを新たに立ち上げ、被差別部落の問題と憲法9条と靖国問題、公害問題などに取り組んでいました。まだ若く、気負った、懐かしい情熱的な活動の日々でした。

 敗戦後、昭和天皇はいわゆる「人間宣言」をしました。自ら「現人神」であることを放棄したのです。もともと鎖国とキリシタン迫害でユデオ・クリスチャン的一神教の超越神を忌避した日本には、天皇と言う神以外に「神」は存在しなかったわけですから、彼の人間宣言によって、日本の社会の世俗化(神不在化、又は超越的な神聖な価値の消失)は完成したわけです。

 この「世俗化」こそが日本の戦後の経済発展の秘訣でした。なぜなら、神不在の間隙を縫って、「お金の神様」マンモンの神が日本人の魂と社会を完全に支配したからです。

 しかし、ここに不気味な要素が覘いています。まだ誰も気がついていないかもしれません。また、話しても、誰も笑って取り合わないかもしれません。しかし、それは紛れも無い事実、日本の「神」の密かな復活です。昭和天皇が「ただの人」から「現人神」になるために通過した神道の全ての秘儀を、平成天皇はあらためて全て受けていると言う事実です。あの秘儀を通して昭和天皇が「神」になったのなら、同じ神道の伝統と教義によれば、実は平成天皇もすでに密かに平成の「現人神」になっているはずだと言うのが、神学的・論理的な帰結です。

 21世紀の国際社会の中で、もし不幸にも新たな激動の時代がやってくるとしたら、過去にそうであったように、再びこの「現人神」が悪しき政治指導者の錦の御旗、抗し難い神聖な権威として担ぎ出され、利用されないと言う保証は無いのではないかと、もと戦後の焼け跡の欠食児童は危惧するものであります。

 日本人を殺す軍隊、イージス艦の問題を、単なる偶発的な事故として片付けてはいけない。日本の社会はいま危険な道を暴走している。歯止めをかけられるものがあるとすれば、それは「悪に逆らわない」、「敵を愛する」、「7の70倍までも、ただひたすら赦す」キリスト教の福音以外にはないと思います。(aki) さんの「危惧」は決して考えすぎではないと思って、急遽このブログを書きました。

時代が変わり、社会の空気が変われば、平和憲法だって簡単に変えられてしまうかもしれない。家族のため!、祖国のため!に、「天皇のため!」が加えられれば、権力者にとって若者(兵士)を強いて死に追いやる動機付けは、きっとやりやすくなるに違いない。

 私は、グアムで、イラクに散った兵士の悲嘆に暮れる母、若い戦争未亡人たちに会ってきた。決して人事ではないと思った。近い将来、日本の自衛官の中から最初の犠牲者(英雄)が出て、世の中騒然となるに違いない。そして、二人目、三人目、すぐ社会はそれに慣れていくだろう。 

 平和のために真剣に祈りたいと思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする