:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ローマの結婚式 -「終末論」はちょっと中休み-

2012-12-12 10:58:07 | ★ 日記 ・ 小話

結婚式の披露宴は ローマ市内から車で30分のこんな牧歌的な場所であった


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ローマの結婚式

-「終末論」はちょっと中休み-

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福島の仮設住宅でカウンセリングをしている若いお友達からメールをいただきました。 

 先日また宮城県地震が発生して、忌々しい過去を思い出したこと、カウンセリングにセラピー犬の力を借りて、現在2匹の相棒と一緒にお仕事をしていること、などが淡々と綴られていました。

 動物には癒しの力があるのでしょう。そして、「こんな相棒に恵まれお仕事が一緒にでき感謝しています。」とメールは結ばれていました。

 メールをくれた彼女自身が、心優しい、感謝(神に対する?)愛に満ちた人柄なのがしっかりと伝わってきて、こちらの心も温かくなりました。

早速返事を書きました。

 ブログを読んで下さって有り難う。

 一見ふざけて書いているように読めるかもしれませんが、ぼくはぼくなりに結構真面目に考えて書いています。(中略)生きているうちに、ぼくが神様をどんなふうにとらえているかを(貴女にも)伝えたいと思っています。

 相棒のセラピー犬ってどんな犬かな? 僕も犬が大好きで、犬たちにもそれがわかるようです。

 犬と言えば、先週土曜日、ぼくも犬と出会いました。


不審者の検分に ノシノシ やってくる牧羊犬


  

私を取り囲んだ5匹の犬たちのうち2匹


 私の可愛がっていたイタリア人の女の子が、この20年の間に立派に成長して、教会で結婚式を挙げました。頼まれてぼくも共同司式をしました。

 郊外のレストランで披露宴があったのですが、会場の手前100メートルほどの道端に羊の群れがいました。思わず車を降りて羊の写真を取っていてハッと気が付いたら、牧羊犬が5匹も、落ち着いた足取りでのそりのそり寄ってきて5方向から私を取り囲み、そのうちの3頭が私のオーバーコートの胸や肩や背中に足をかけてじゃれてきたのです。結構大きな白い犬で、一匹の顔が私の顔の前にあり、前足にずっしり体重をかけてくるではありませんか。とっさの出来事で、カメラをかばって両手で高く上げるのがせいぜい。近すぎて写真も取れませんでした。

 ワンちゃんたち、表面はあくまで紳士的、友好的でしたが、職務に忠実な顔をしていて、羊に害を加えるような素振りを見せたらただでは済まないぞ、という決意が目に宿っていました。こんなデカい犬、一匹でもかないそうにありません。身を固くして 「大丈夫!」 「大丈夫だから!」 と言って必死に宥めたら、日本語がわかったのか足を下ろして、来た時と同じ足取りで、羊の方に帰っていきました。

 

羊のところに帰っていく三頭の犬たち

 

 エリカ(26歳)のことは、小学生のお転婆の頃からよく知っています。彼女の母のパトリチアは私の共同体のメンバーで、ブラジルからの移民。露出過度のサンバが似合いそうな情熱的でむら気な人妻でした。


エリカちゃん


 そのパトリチアが、こともあろうに別の共同体のジュゼッペとデキてしまい、エリカを生んだのでした。

 さあ大変。われわれの共同体はそう言うことにはことのほか厳格な集団で、大騒ぎになりました。パトリチアと本来の夫との間にはすでに男の子がいたのですが、その夫婦仲は事実上壊れていたようでした。 さあ、どうする?

 カトリック教会は神の前(「神道」の神様ではない)で誓われた信者同志の結婚の解消(離婚)は認めません。有り得るとすれば、結婚した時点で、双方または一方に、真剣に結婚する自覚と自由な決意が欠けていたとの証言が認められるかどうかです。(手を握ってキスをしたら、もう結婚しなければならない、なんて言う強迫観念は、自由な決意とは言えません)自由な決意が欠けていたと認められれば、そもそも結婚が成立していなかったとして、「婚姻の無効宣言」を取り付けることができます。(なんだか、都合のいい詭弁だ、などと言わないでください。)

 ただ、バチカンの教会裁判所で、その「無効」判決を勝ち取るためには、馬鹿にならないほどの弁護士費用がかかります。パトリチアにはそんなお金がありません。そこで「共同体」の出番です。はじめは、なんで身持ちの悪い外国人女の尻拭いのために、長期間(2-3年に及んだかな?)大金を支弁しなければならないのか、とブースカ陰口をたたく者もいたけれど、それでも皆でがんばってなんとか結審までこぎつけました。

 ついに、パトリチアが息子の親権を得て前の結婚は解消され、晴れてジュゼッペと結婚することになりました。この結婚式も、共同体が費用を負担して、みんなで盛大に祝ってやったのは言うまでもありません。

 

 しかし、パトリチアの連れ子の男の子は新婚家庭に馴染めませんでした。家を飛び出して、グレてしまったのです。そんなこともあってか、一緒に住むまではラブラブに見えたジュゼッペとパトリチアの仲も、諍いが絶えず、せっかくみんなで苦労して一緒にして祝ってやったのに、今度は彼らが離婚寸前の騒ぎになりました。犬も食わない話ではありますが、私は心配してよくその新家庭に食事をしに行ったものです。

 

 思いがけず長い話になりましたが、これが事の顛末。


 言いたかったのは、そんな複雑な家庭の中にあって、エリカの存在は常に救いだったということです。泥田に咲く蓮の花と言うか、ごみ溜めに舞い降りた一位の天使と言うか、エリカの穢れなさ、明るさ、純真さは、みんなの慰めと救いでした。私にもよくなついていました。そして、そのまま大学の医学部を出て立派な研究者になったのです。

 エリカの結婚式は共同体の大きな喜びになりました。ここまで何とかみんなで支え切った達成感の喜びだったのです。ジュゼッペとパトリチアもこの日ばかりは立派な親の姿に納まっていました。

 

式中私は祭服を着ていたので写真が撮れませんでした。

結婚式のミサのあと 関係者が祭壇を囲んで踊ります ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの踊りに似ています

白いドレスがエリカ 手前左のピンクのスカートがパトリチア

エンゲージリングを運んだ小さな女の子の向こう パトリチアの頭のうえの左端の男がジュゼッペ


  

婚姻証書にサインするエリカと新郎のステファノ              二人の写真を撮る女の子      

 

  

     剣のトンネルをくぐって お米のシャワーを浴びて・・・      僕は左の写真では剣だけしか写らなかった  

 

幸せそうなエリカとステファノ


 結婚式にエリカの父親の違うお兄さんの姿はなかったけれど、今はどこかで落ち着いて暮らしているらしいと聞いて、少しはほっとしたことでした。


ケーキカットはどこの国も同じ景色


 めでたし、めでたし。

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コメント (1)
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