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バチカン市国の 「飛び地」 にお友達を訪ねて
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バチカンはれっきとした国家だ しかもカトリックの総本山という政教一致の宗教国家だ
ユタ州のソルトレークシティーはモルモン教の町 天理市は天理教で持っているかもしれない
しかし 国連にもオブザーバーを出して 世界中の国と大使・公使を交換している宗教国家は
バチカン市国 を措いて他にはない
(それが宗教としていいか、悪いか、の議論は別にあろうが)
イタリア半島は ベネチアや フィレンツェや ナポリ王国や 諸侯領や にばらばらに分割されていて
中世にはカトリック教会(と言うか、キリスト教)はそこに広大な法王領を展開していた
近代国家らしい体裁を整えるのは1929年にムッソリーニが教皇庁とラテラノ条約を結んで以来で
特に第二次世界大戦後の1946年に国民投票で王政が廃止され 共和国に移行して以来の
イタリアはいわば新興国だ
バチカンはテベレ川の対岸のディズニーランドよりも小さいバチカン市国に退いたが
ローマ市内 イタリア国内に 点としての多数の領地を今も保持している
スペイン広場の一角にも バチカンの重要なお役所が収まる治外法権の教皇領の建物がある
知人にちょっとした用があって朝からそこへ出かけた
スペイン広場の東側にスペイン大使館があり 広場の名前の由来はそれから来る
国旗の翻る大使館の前はイタリア軍の兵士が警備にあたる
山岳兵の帽子のようなのをかぶった警備兵
大使館の南隣がバチカンの飛び地のお役所で そこに知り合いを訪ねた
訪問客の控室のインテリアは結構気品がある
部屋の外にはピオ12世と ヨハネス23世の胸像が並んでいる
左のピオ12世は第2次世界大戦中ナチスドイツのアウシュヴィッツなどにおける
ユダヤ人のホロコースト 民族絶滅計画による殺人工場の犯罪行為に関する情報を
世界中で一番豊かに正確に知り得る立場にありながら
それを阻止するために その絶大な影響力を有効に行使しなかったのではないか
という疑惑をかけられた
右のヨハネス23世は 戦後ピオ12世が世を去ったのちの教皇選挙が二派に分かれて紛糾し
教皇がなかなか決まらなかったとき 一時休戦とばかりに
温厚で敵がいない 何もしそうにないお人よしで しかもすぐに死にそうな高齢者 として選ばれた
彼は 貴族の家系に生まれた前任者のピオ12世とは対照的に
ベルガモ郊外のソット・イル・モンテで小作農の家に生まれた
そのお爺ちゃんの彼が あろうことか 第2バチカン公会議の実施を指示して世界を驚かせ
実際に開会までこぎつけたが 案の定 彼は会期途中で世を去った
これは 神様のみ業でなくて なんだったろうか?
用件を済ませて ほっとして 明るい外に出た
スペイン広場の噴水の向こうに 陰で暗くなっているが 映画ローマの休日でも有名な
スペイン階段がある 階段の中段に円錐型の緑の樹をかたどったクリスマスの飾りが置かれていた
下のブルーの帯には
LUCE PER LA LIBERTA', LIBERTA' DALLA FAME
自由のための光を 飢餓からの自由を!
と言うスローガンが書かれていた
噴水と階段を背にして ローマで一番ファッショナブルなコンドッティ通りを20メートルほど進むと
左にブルガリのお店 その向かいに カフェ・グレコ がある
創業250年と言えば 日本では桃園天皇が没し 第117代後桜町天皇が即位したころ
ロシアでは女帝エカチェリーナ2世が即位したころ と言ってもピンと来ないか
要するに 江戸時代中期 8代将軍 徳川吉宗の時代からここにこうして店を構えていた
と考えて頂きたい
中は古い絵画が壁を飾り 洗練された物腰のウエイターが注文を聞きに来る
ちょっとしゃれて 赤ワインをグラスで頼むと オリーブやミニサンドイッチが黙って付いてくる
私の目の前には
カフェ・グレコを訪れた バファロー・ヒルズ と 赤い肌の男
の古めかしい写真があった 彼らが使ったテーブルと椅子を私も使っているのだ
たっぷりタイムスリップを堪能してから外に出ると 軽やかなリズムが流れてきた
一本脇の静かな道に入ると ミドリ一杯のヴェランダが優しく迎えてくれる
路地の車の屋根の上にはカモメが一羽 一羽ならきれいな置物の風情だが・・・・
そのカモメの群れが日暮れの空を数百羽群舞すると 「凄い」というか 「不気味」な感じさえする
(前晩 聖ペトロ広場の上を舞うカモメの群れ 奴ら鳥目 ではなかったのか?)
カフェグレコからかなり行くと 朝のカンポ・デイ・フィオリ(花の広場)の一角は文字通り花で一杯
(手前 一番左の影が この写真を撮っている私の影ですよ~!)
広場の他の一角は 香辛料 スパイス屋さん
野菜屋さんなどがいっぱい店を出している ただしこの市 昼の13時まで その時かっきりに市は店じまいに入り
1時間ほどで すべて煙のように消え失せる その後を市の清掃車が掃き清めると 先の師走風景に紹介した
夜のカンポ・デイ・フィオーリの広場に変身するのだ
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私は 軽く 〔風景〕 ローマの師走 を2度に分けて書いた後
「ローマでの老老介護」
「急速に進むカトリックのプロテスタント化」(その-①)「否定的側面」
「急速に進むカトリックのプロテスタント化」(その-②)「肯定的側面」
の3本のブログを書くつもりで 頭の中ではほぼ出来上がっている しかし
年が明ければまた忙しくなる 呑気に毎日1時間も2時間もブログを書いて遊んでいる暇はなくなる
また 1週間 10日と沈黙する日々が来るだろう
それまでの 冬休み休暇のお遊びに付き合ってくださって有り難う 先取りして
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明けましておめでとうございます 新年もよろしくご贔屓に!
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