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美 し き 生 家
ヘルマン・ホイヴェルス
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私の手元に今は絶版になって久しいホイヴェルス師の初期の著書「人生の秋に」の貴重な初版本がある。背表紙は半ば破れ、中表紙には私に宛てたホイヴェルス師の美しい筆跡のサインがある。奥付けを見ると1969年11月25日第一刷発行とあるから、師の手にとどいてすぐに頂いたことになる。その一冊の最初の短編「美しき生家」をここにご紹介しよう。
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1967年の夏の3か月のあいだ、私は44年ぶり、故郷のドライエルワルデを訪ねました。その時、土地の新聞は「美しきホイヴェルス家に大いなるよろこび!」という見出しの記事をかきました。これを見て、どうして美しい生家となったのかと考えてみました。もちろん学生時代には自分の生家をなつかし思っていましたし、いくどか生家を写生したこともありましたが、それが、よその人にも美しく見えるものでしょうか・・・。
そこである日、アア川の橋の上まで行って、そこから国道を歩きながら右の方の生家を眺めてみました。なるほど景色のなかのきれいなその場面は、代表的なミュンスターラントの農家ではないでしょうか。ほどよく人と隣家からはなれ、ひじょうに明るい印象を与えます。
どうしてそのような感じのよい家ができたのか? と考えてみて、やはりそれは父母のおかげだとわかりました。今でも、秋の森で嵐のざわめきを思いうかべると恐ろしくなります。
父と母は1886年に結婚しました。この二人は将来の進歩に対するよい組合せでありました。かれらはグリムの昔話に出てくるように、その一番人間らしい年ごろ(新婚時代)この家について計画したのです。
まず家のまわりにもっと光をいれたい。そこで森の一部を伐り開き、大木は船会社(造船)に売り出され、そのあとには新しい果樹が植えられました。家の東側と西側には一本の菩提樹、北には一本のブナ——これは避雷針の役目をつとめます。次の段階は家にかんするものでした。両親は、ひじょうに心の合った一人の大工と、家の改造についてゆっくり相談したのでした。母の希望は、屋根をもっと高く上げ、壁の窓はもっと明るくすること。パン(焼き)小屋を西から東へ移すことでした。この生家の屋根は後年、わらぶきから赤い瓦ぶきにとり替えられました。しかし北の方は今も昔のままの作りを残しています。
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なんとさりげない文章だろう。しかし、そこには晩年に初めて故郷に帰ったホイヴェルス師の生家に対する深い愛が感じられる。
私は、1964年に師とともにインドに遊び、2000年の教会の歴史上はじめてヨーロッパの外に旅したパウロ6世教皇の形骸に触れた。時あたかも、第二バチカン公会議のさ中であった。
1967の春から私は上智大学中世哲学研究室の助手を勤めていて、ホイヴェルス師の初めての帰郷に同伴することはなかった。しかし、1969年にホイヴェルス師、ビッター神父(イエズス会日本管区会計主任)、チースリク神父(聖心女子大教授・キリシタン史研究第一人者)ら戦前から日本に在住のドイツ人3宣教師の推薦でドイツのコメルツバンクに就職した。そして、1974年から3年余り私はデュッセルドルフの地域本店に勤務し、1976年(の初夏?と記憶するが)、ホイヴェルス師の二度目の帰郷の際には、愛車を駆ってミュンスターランドのドライエルワルデに師の生家を訪れ、久々に師とお会いすることが出来た。
私が師の生家を訪れたときに持っていたカメラはまだフイルムカメラだった。沢山の写真を撮ったはずだが、ネガの整理が悪く長年の間に散逸し、今はこの大きな納屋の前で遊ぶタンテ・アンナの子供たちの写真一枚だけになってしまった。まるで、120年ほど前にタイムスリップして幼いホイヴェルス兄弟を見ているような錯覚におちいる。母屋はこの左側で、ホイヴェルス師が描写した通りの佇まいだった。
ホイヴェルス師の肉親として一人そこに存命であった姪御さんタンテ・アンナのおもてなしを受け、少年時代のヘルマン兄弟の勉強部屋で二人きりで昼食をご馳走になった。師はその時、「来年は細川ガラシャ夫人の歌舞伎をドイツで公演するから、お前はその現地マネージャーをするように」と命じられた。しかし、日本に戻られたホイヴェルス師からは、ドイツ公演の連絡はついに届かなかった。後で知ったことだが、師は1977年3月に教会内で転倒され、一時は新宿区下落合の生母病院に入院され、退院後の同年 6月9日に帰天されていた。私は9月に帰国してそれを知ることとなった。
ノルトライン・ウエストファーレン州にあるホイヴェルス師の生誕の地ドライエルワルデは、森と豊かな農地の広がる美しい田園地帯であった。質実剛健なドイツ人の世界で、近くを流れる水量豊かなアア川には水車小屋があり、広々とした敷地に建つホイヴェルス家は、まことに明るく美しい佇まいであった。