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最上のわざ
ヘルマン・ホイヴェルス
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前のブログに紹介したホイヴェルス師の著書「人生の秋に」の初版本には「年をとるすべ」という短編があります。そして、その中に「最上のわざ」という詩が含まれています。まず味わってください。
最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうな時に希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう――。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のためにはたらくよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること――。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために――。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ――。
手は何もできない。けれどお最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために――。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。
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インターネットでホイヴェルス師の「最上のわざ」を検索していたら、雑賀信行さんというカトリックの信者さんの樹木希林さんに関する一文が目にとまった。
2018年に亡くなり、15日に3回忌を迎えた女優の樹木希林さん。大の読書家としても知られたが、希林さんは「余分なものは何も置かない」という生活をしていたため、所有する本も100冊と決め、次のように語っていた。
樹木希林さん(写真:Andriy Makukha)
「あたらしく気に入った本、手元に置きたくなった一冊がでてきたら、百冊のなかの一冊を、人にあげてしまうの。だから、いつも百冊。」
そして、最後まで遺(のこ)された100冊の中に1冊だけ、キリスト教の本があった。
そんな希林さんは、最期までホイヴェルス神父の本を手もとに置き、この「最上のわざ」を繰り返し口ずさんでいたのかもしれない。
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「最上のわざ」は今日では大勢の日本人にホイヴェルス師の詩として愛されている。時には、それがカトリック司祭ホイヴェルス師の詩だと知らずに座右において口ずさんでいる人も多い。
ある時ふと気が付いた。「人生の秋に」の「年をとるすべ」には、「昨年(これは師が来日44年目に初めて故郷の村を訪れた1969年6月のこと)私は故郷のドイツへ帰りましたが、南ドイツでひとりの友人からもらった詩」としるされていることに。
しかし、それがたとえ南ドイツに伝わる無名の詩人の作であったとしても、晩年のホイヴェルス師は文字通りこの詩のままの心境で生きておられたのだと思う。だから、この詩は「ホイヴェルス師の最上のわざ」のままでいいのだと思う。
この詩は普通は行間をつめて最後までつづけられ、ただ、都合によって改行が増やされていことがあるが、私は改行は「人生の秋に」のオリジナルのままにし、その代り、意味のまとまりに合わせて数行ごとにブロックにしてみた。何となくその方が心にしみ入る気がして・・・