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教皇フランシスコの新枢機卿-③
ソウル大司教アンドリュー・ヨム・スジョン枢機卿の神学校訪問
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アンドリュー・ヨム・スジョン枢機卿はこの日の前日、正式に枢機卿に就任したばかり、
我々の神学校「レデンプトーリスマーテル」を見学する事が、枢機卿としての彼の最初の仕事だったのではないか
ほゞ定刻に枢機卿の車列が我々の神学校の門から入ってきた
一台目のワゴン車は報道陣他か?二台目が新枢機卿と二人の若い補佐司教?三台目は教区事務局長らの司祭団だった。
真ん中がヨム・スジョン枢機卿。 左手前後ろ向きが出迎えに出た平山司教。
玄関のかもいの上の神学校の表札に見入って読む枢機卿
そこには「新しい福音宣教のための司祭養成教区立神学校」
レデンプトーリスマーテル
1988年創立
と刻まれていた
大司教区お抱えのテレビカメラマンだろうか、それとも外部のテレビ局だろうか、カメラのマークからは判断できなかった
私は、彼が大司教に就任直後、キコの招待を受けてイスラエルのドームスガリレアに 来た時にはじめて会ったが
短期間に見違えるほど貫録を増したように見受けられる枢機卿の落ち着いた表情
神学校の聖堂でエゼキエル神父から説明を受ける枢機卿とスタッフの補佐司教、司祭たち
み言葉の聖堂(神学生が聖書の勉強をする場所)の説明を聴く枢機卿。通訳は我々の韓国人神学生
み言葉の聖堂のの正面には廟があって、
ユダヤ教の会堂ならトラー(モーゼ5書)の巻物が納められるはずの場所に、
上には銀細工の装飾がほどこされた新旧約聖書
下にはミサの時に聖別されたパン(キリストのからだ)が納められた聖櫃がある
神学校の中を一巡して見学を終え、再び応接間に戻ったソウルの新枢機卿
質問は神学校の精神、目的、規模などの他、神学生の知的・霊的養成の仕方、運営状況、
生活の日課、教会法上の位置づけ、等々、多岐細目に亘った。
ヨム・スジョン枢機卿と平山司教は和やかに別れの挨拶を交わしていた
隣国同士でありながら、韓国の教会と日本のカトリック教会は明らかに真反対の方向に進んでいるという印象を受けた
今日ほど日本の社会が直接的な福音宣教を必要とする切迫した状態に置かれたことはかつてなかった。
心に深い傷を残しながら密かに行われるおびただしい数の堕胎の当事者の若い未婚の女性とベテラン妻たちの苦悩、
リストラされ正規雇用の階層から転落して這い上がれない契約社員労働者の絶望、
自殺以外に選択肢はないと思いつめた多重債務者たち・・・、数え上げれば問題だらけだが、
彼らに寄り添い、包みこみ、生活的にも支え、生きる希望を取り戻させることの出来るような、
癌の宣告を受けた人に、死を越えて復活の喜びと永遠の命の確信を与えられるような、そんな
生きたキリスト教信仰を実践し回心の業に励む共同体を、極限まで世俗化した今日の日本の社会は緊急に必要としている。
私たちはそれに十分に応えているか?
日本の教会では、何かが変わらなければならない。
(おわり)
受洗者だと、これから受洗するか、受洗したばかり。
私は、自分のことも含め「既洗者」と呼んでいます。
それで、思うに、
「既洗者が濁ると。。。」
。。。となります。
変化(進化や退化)で自身を見ず、
私は、
変わらないでいる多様な恵みに、
愛されている実感が湧き上がります。
そこはそれ、各自胸に手を当ててよく考えて思い当って頂かないと、ズバリ言ってしまったら、身も蓋もない話になってしまうでしょう?
「何かが変わらなければならん」
その「何か」が何か解らなきゃあならん。
J. K.