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ローマの庭に咲く花
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日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院が一時的に世話になっている
ローマ教区立レデンプトーリスマーテル神学院には広い庭がある
今、そこは花でいっぱいの新緑の頃を迎えている
上の陶器の聖母マリアのレリーフ
受胎告知の場面だろうか
神学校の入り口の右手の壁にかかっている
普段はただの緑の芝生だと思っていた広がりは、いま小さなマーガレットに似た白い花の絨毯を敷きつめたようだ。背丈5センチにも満たない。花の直径は1.5センチあるだろうか? この景色は日本では見たことがない。右の紫の花はチューリップではない。紫モクレンは低い茂みになって芝生のそこここに。
左は桜の花。ソメイヨシノでも山桜系でもない。初夏にピンクの甘い大粒のサクランボの実を付ける果樹の花。ドイツ人の友人は言った。日本の桜は咲いて散って実を付けない。不経済な花だと。そういう輩に、日本人の魂、パッと咲いて潔く散る桜の美学は説明しても無駄だろうか。右はリンゴの花。つぼみのときはほんのりピンク色をおびているが、咲くと白くなる。去年はサクランボの実の付き方が悪かった。今年はきっと豊作に違いない。
玄関脇のレンガの壁には藤の花がたわわに咲いている。ミツバチも、熊ンバチも甘い香りに誘われて忙しく飛び回っている。日本ではどうだったろう。こちらでは同じ藤の木が春と初夏に二度も豊かに花をつける。
洋ナシの木の花はこれが最後の一輪だった。小さくても三つ子の魂。もうしっかりと洋ナシの形をしている。実が太ると自然に下を向く。稲穂と同じように謙遜になるのだろう。朝顔、昼顔の類かと思いきや、蔓科の植物ではない。これも日本ではついぞ見たことがない花だ。名は何と言う?
サクランボの木。こんなのがほかにまだ数本あるが、神学生達が争って実を食べる気配は一向にない。そう言う風流人は、庭師と平山司教様と私ぐらいなものか。写真は他にもまだまだ沢山あるが、選んでいるといずれも甲乙つけがたく、ランダムに選んだこの辺りで。
津波直後の悪い予感が的中して、福島は人類史上最悪の人災の様相を呈してきた。石原都知事が、これは天からの警告だ、みたいなことをポロリと言ったら、袋叩きにあって-彼は政治家だから-ころりと変身し前言を撤回して謝罪した。
宇宙の創造主なる神を信じ、ナザレのイエスを神のひとり子、天の父なる神と等しきものと告白する私は、イエスは世の罪を一身に背負って十字架の上で極限の苦しみを通してそれを贖い、一度死んで葬られてた後、体と共に復活して人類に先立って新しい天と地に入り、そこで私たちを待っていると信じている。私たちも死で命は終わらず、復活して新しい天と地の世界に迎えられ、そこで永遠に喜びのうちに生き続けると確信している。
この大災害にあって、恐ろしい人災を目の当たりにして、ハッと我に返り、自分を愛している神のいることに気付き、その神を求め、その愛に抱かれる人がいたら、何と幸いなことだろう。
4月24日は2011年の復活祭。キリスト教にって最も大切な、最も意味深い、原点の祭りだ。キリストが復活しなかったのなら、10億の信者の信仰は虚しい。復活したキリストと実存の深みで出会った体験をもつ人は、黙っては居られない。死ぬまで証しし続けるしかないだろう。
キリストは復活した。死を打ち倒して生きて我々とともにいる。
あの世も悪くないね。死後も楽しみにしています。
花の撮影いつも関心します。綺麗な接写
西行、、願わくは桜の下にて死なん
望月の如月のころ、、かな