今日は前半登校日だったので少し遅れて到着。基本的にお任せでやっていたのですが、どうも適当。まずは自分たちが使うキーパーの準備をしていない。これだけ暑いのに水分補給もせずにやるつもりだったのか?kanekが氷を渡すと「キーパーが無いから準備できませんでした」とのこと。いやいや、中国合宿に行く前にきちんと置いていったでしょう?探させたら「ありました」とのこと。うーん、どうも与えられることが当たり前のようになっているのでしょうか?必要があれば自分で準備するのが「当然」だと思うのですがそれは「特別」な事なのでしょうか?kanekoが準備をするから「水分補給」を行い、準備をしないから誰も作らないというのでは、結局kanekoにやらされているだけでしょう?
加速走をやろうと思ったら「先生、雷管がありません」だってさ。いやいや、こないだ2箱買ったでしょう?雷管の管理は私の仕事ですか?自分たちが使うモノを顧問が管理するというのはちょっと違う気がしますが・・・。こうやって今までもどれだけの雷管を無くしたでしょうか?10箱買って2箱くらい使ったら残りが無い・・・。誰かが取っていくのでしょうか?それならそれで誰かが対応すべきでしょう。あまりにもモノの管理が疎か過ぎる。
加速走を始める前、ハルだけはタイツになって走る準備をする。2年生は誰も気づかない。この辺ですでに意識の差が生まれています。ハルは中国合宿を経て、「速くなりたい」という気持ちが強くなりました。だからスピードを出す練習ではそれなりの準備をする。他の選手はそのことに気づきもしない。ともに「何かおかしいことがないか周りを見てみろ」といったら、数分後にやっと気づく。そんでもって、3人はタイツもランパンもない。練習で「声」が出るようになっても、結局本質は変わってないんですよ。何も考えず走っている選手がいるから「ファイト」とか「ラスト」とか言うだけ。その選手にとって何が必要な意識なのかを考えずに言うだけ。うーん、これで何が変わるというのか・・・。
美味しい料理がテーブルの上に出されても、食欲がなかったり、嫌いなモノだらけだったら食べないでしょう?「健康に良い」という料理でも、嫌々食べたら効果は半減以下でしょう。心理学の用語に「プラシーボ効果」というものがあります。これは「擬似薬」つまり「にせ薬」です。単なるラムネも「これは新しく開発された風邪を100%治す薬です」と言われて、信じて飲むと本当に治るというものです。これは心理学の分野では結構有名な話しです。決められた練習があっても「練習があるからやる」という意識と「この練習を必死ですれば絶対に強くなる」と信じてやるのでは全く効果は違います。自分たちがどういう選手になりたいのかを考えないといけません。単にやるだけの練習だけでは絶対に強くはなりません。その積み重ねが大きな差を生み出す。kanekoが出す練習メニューを「単にやるだけ」になっていませんか?心から「強くなりたい」と思ってやっていますか?その辺が見えないですね。エネルギー効率を高めるビタミンB群を購入したにも関わらず、それを言われなければ飲まないというのは・・・。
最後のスプリント練習ではハルが気を吐く。1本目は60%位の気迫、2本目は90%位まで出るようになりました。どう考えても2本目のタイムが上がるのは考えられないけど、それでもハル&おーまちは0.7秒程度上がりました。これは何故か?ハルが全体を引き上げたのでしょう。最後の必死に走る姿を周りがどう感じるか?走り終わった後に動けないハルの「意識」は合宿前とは別人ですね。どうも合宿前までハルは「自分なりに頑張った」という雰囲気がありましたが、今日は本当に力を出せた。久々の快走です。自覚が全面に現れているでしょう?この1ヶ月でかなり変わったはずですよ?1年生が必死になるのに2年生が必死になれないのはどうかな・・・。
女子のマイルに関しては、メンバー的にはみなみとともが1人変わっただけです。しかし、3年生1人で病気に負けずチームを引っ張ってきたみなみとみんなの後に付いてきたともでは大きな差があります。それは、走力だけでは計り知れないものでしょう。県総体前に一度みなみを怒りました。気持ちが別の所に向かっていたから。それからチームは激変して6位入賞しました。その後中国で予選落ちし、皆で涙を流した姿を見て「秋には3番以内」というビジョンが見えました。当時は80%位の確率で3位以内だと確信していました。が、今は良くて15%程度でしょう。非常に厳しくなりました。それは全ての選手が心から「中国新人で決勝へ」と思えていないから。だから、「少しくらいだったらいいや」という気持ちになる。それが全ての行動にでてくる。各自に与えられた「課題」への取り組みができない。言われて「kanekoが言うからやるか・・・」という気持ちでやるから何も変わらない。時間がある時にやるべき事は話しているはずです。それができないのは・・・。
本当に勝負をする気がありますか?人生の中の大事な時間を使って「自分の可能性」を確かめに行っているのです。ゆうしが自分でトゥトレの道具を小遣いをはたいて買ったという話しを選手から聞きました。1人で練習をするので本当に必死なんですよ。それを聞いて何を感じるか?年齢は関係ありません。必死に取り組む選手から学ぶことは大きい。それが何を意味するかは自分で考えてみなさい。そうすれば道は開けるでしょう。全てが「あと一歩」の所まで来ています。その一歩が到達できるか到達できないかで大きく違うでしょう?どうせやるなら・・・。
加速走をやろうと思ったら「先生、雷管がありません」だってさ。いやいや、こないだ2箱買ったでしょう?雷管の管理は私の仕事ですか?自分たちが使うモノを顧問が管理するというのはちょっと違う気がしますが・・・。こうやって今までもどれだけの雷管を無くしたでしょうか?10箱買って2箱くらい使ったら残りが無い・・・。誰かが取っていくのでしょうか?それならそれで誰かが対応すべきでしょう。あまりにもモノの管理が疎か過ぎる。
加速走を始める前、ハルだけはタイツになって走る準備をする。2年生は誰も気づかない。この辺ですでに意識の差が生まれています。ハルは中国合宿を経て、「速くなりたい」という気持ちが強くなりました。だからスピードを出す練習ではそれなりの準備をする。他の選手はそのことに気づきもしない。ともに「何かおかしいことがないか周りを見てみろ」といったら、数分後にやっと気づく。そんでもって、3人はタイツもランパンもない。練習で「声」が出るようになっても、結局本質は変わってないんですよ。何も考えず走っている選手がいるから「ファイト」とか「ラスト」とか言うだけ。その選手にとって何が必要な意識なのかを考えずに言うだけ。うーん、これで何が変わるというのか・・・。
美味しい料理がテーブルの上に出されても、食欲がなかったり、嫌いなモノだらけだったら食べないでしょう?「健康に良い」という料理でも、嫌々食べたら効果は半減以下でしょう。心理学の用語に「プラシーボ効果」というものがあります。これは「擬似薬」つまり「にせ薬」です。単なるラムネも「これは新しく開発された風邪を100%治す薬です」と言われて、信じて飲むと本当に治るというものです。これは心理学の分野では結構有名な話しです。決められた練習があっても「練習があるからやる」という意識と「この練習を必死ですれば絶対に強くなる」と信じてやるのでは全く効果は違います。自分たちがどういう選手になりたいのかを考えないといけません。単にやるだけの練習だけでは絶対に強くはなりません。その積み重ねが大きな差を生み出す。kanekoが出す練習メニューを「単にやるだけ」になっていませんか?心から「強くなりたい」と思ってやっていますか?その辺が見えないですね。エネルギー効率を高めるビタミンB群を購入したにも関わらず、それを言われなければ飲まないというのは・・・。
最後のスプリント練習ではハルが気を吐く。1本目は60%位の気迫、2本目は90%位まで出るようになりました。どう考えても2本目のタイムが上がるのは考えられないけど、それでもハル&おーまちは0.7秒程度上がりました。これは何故か?ハルが全体を引き上げたのでしょう。最後の必死に走る姿を周りがどう感じるか?走り終わった後に動けないハルの「意識」は合宿前とは別人ですね。どうも合宿前までハルは「自分なりに頑張った」という雰囲気がありましたが、今日は本当に力を出せた。久々の快走です。自覚が全面に現れているでしょう?この1ヶ月でかなり変わったはずですよ?1年生が必死になるのに2年生が必死になれないのはどうかな・・・。
女子のマイルに関しては、メンバー的にはみなみとともが1人変わっただけです。しかし、3年生1人で病気に負けずチームを引っ張ってきたみなみとみんなの後に付いてきたともでは大きな差があります。それは、走力だけでは計り知れないものでしょう。県総体前に一度みなみを怒りました。気持ちが別の所に向かっていたから。それからチームは激変して6位入賞しました。その後中国で予選落ちし、皆で涙を流した姿を見て「秋には3番以内」というビジョンが見えました。当時は80%位の確率で3位以内だと確信していました。が、今は良くて15%程度でしょう。非常に厳しくなりました。それは全ての選手が心から「中国新人で決勝へ」と思えていないから。だから、「少しくらいだったらいいや」という気持ちになる。それが全ての行動にでてくる。各自に与えられた「課題」への取り組みができない。言われて「kanekoが言うからやるか・・・」という気持ちでやるから何も変わらない。時間がある時にやるべき事は話しているはずです。それができないのは・・・。
本当に勝負をする気がありますか?人生の中の大事な時間を使って「自分の可能性」を確かめに行っているのです。ゆうしが自分でトゥトレの道具を小遣いをはたいて買ったという話しを選手から聞きました。1人で練習をするので本当に必死なんですよ。それを聞いて何を感じるか?年齢は関係ありません。必死に取り組む選手から学ぶことは大きい。それが何を意味するかは自分で考えてみなさい。そうすれば道は開けるでしょう。全てが「あと一歩」の所まで来ています。その一歩が到達できるか到達できないかで大きく違うでしょう?どうせやるなら・・・。