競技とはほぼ関係ない話。ここ最近のマスコミ報道を見ていて感じたことを書いておきたいなと。
都知事選挙が行われ新しい都知事が誕生しました。このプロセスを見ているとなかなか興味深いなと感じることがたくさんありました。政治的なことを書くつもりは全くありません。が、「閉鎖的な社会」が存在することを改めて感じる選挙戦だったのではないかと思います。実際に「どこを見ているか」というのは本当に重要なことだと思います。選挙に選ばれることが大事なのかどうか。当初から3人の候補者以外はほとんどマスコミでは報道されません。これだけ「差」がつくと他の候補者はどれだけ「理念」があっても対抗するのは不可能だと思いますね。メディアの取り上げ方の差は大きかった。まーこれは仕方ないのかもしれませんが。
ある候補者の応援演説の中で女性に対して「厚化粧」という言葉が出ました。いや、これはすでに「悪口」でしかありません。政策やこれからの都政をどうするかではなく「相手を誹謗中傷する」ことで落としてやろうというだけの話。ましてや「化粧」で他者から批判をされる必要はありません。私は若干(?)髪の毛が薄くなってきています。「あいつ髪の毛少なくなっているのに競技指導するのはどうなのか」と言われているのと同じです。余計なお世話。その前後の文脈もあると思いますがマスコミは「一部分」を切り取ってそこを面白おかしく取り上げます。この時点で女性候補には完全に追い風。
これからどうしていくのか。ここで選んでもらう必要があります。知名度で選ばれるというのはおかしい。衆議院選挙で当選した芸能人、「これから勉強します」という返答をしていました。いや、理念も知識も何もなく「選挙に出ました」というのでいいのか?「どうしてもやりたいこと」があるから立候補してそれをやるために活動するのではないのか。ここは私には理解できません。他者を蹴落として選ばれる方法。うーん。違うんじゃないか。
更には「女性候補を応援したら親族ともに処罰の対象」という文書がでたとのこと。「集団」として「規律無視」に近い行動はあったのかもしれません。が、「既存の組織」の中のルールの中だけで行動する。が、その「集団」のやっていることが本当に正しいかどうかは分かりません。その組織の中にいれば「居心地がいい」という部分もあるでしょうし、「守ってもらえる」という感覚はあるでしょう。閉鎖的な社会の中で何かをやろうとすれば「あいつは邪魔だ」という部分になるのかもしれません。が、このような文書を出せば「閉鎖的な社会です」と宣言するようなもの。それで周囲が応援してくれとは思えません。結局、「自滅」することになります。
「これまでこうだった」という考え方。これが一番楽です。が、本当にそこに意味があるのか。練習にしても「この練習をやっていた」というのが「本当に正しいか」は分かりません。客観的に見てそれが何を意味するのか。ここが分からなければ「自分の居場所を守る」ことにしかなりません。
今回の女性候補、「戦略家」だと思います。あえてマスコミを利用していた部分もあるでしょう。自分を攻撃する「閉鎖的な組織」と戦う。そういうヒロインのような感じだったのではないかと思います。だからこそ「無党派層」を引き付ける。さらにはこれまで「閉鎖的な組織」に疑問を思っていた「内部の者」も引き付ける。そのやり方が正しいかどうかは分かりませんが大きな成果を生んだのだけは確かです。
更に初登庁した時に「反発」をあからさまに示す。こえがマスコミを通じて全国に流れます。多くの人の「支持」を得て選ばれた都知事ですがそのやり方が気に入らない。自分たちの組織を批判されたということで「協力しない」というような姿勢を示す。これにより「あの組織はおかしい」と更に思われるのです。そのことに気づかないというのはどうなのか。ありえません。自分たちの取っている行動が「大人げない」と気づかないのか。その部分をさらにマスコミが取り上げ大バッシングになる。
これまで自分たちがやってきたこと。ここを否定される気分になるのかもしれません。良い部分もたくさんあるのだと思います。しかし、改善する部分もある。そこを認めることができる「器の大きさ」があるかどうかです。人は誰でも「自分が否定される」のを嫌います。当然の話です。だからといってそこの部分を指摘する人間を「敵だ」とみなして対応する。閉鎖的な社会の特徴ですね。
協力して新しいものを作り出す。この方がいいに決まっている。自分たちの立場や居場所を守ることが大切なのか。それとも選んでくれた人たちのために一生懸命に働くことが必要なのか。本当に大切なことから離れてしまっているのではないか。そんな簡単なことに気づかないであれこれやっていたら絶対に「選んだ人たち」の心は離れていきます。本当にやるべきことはなにか。どこを向いて生きていくのか。ここはすごく重要なことだと思います。
言葉足らずの部分もあると思います。が、私は「選手のために」というスタンスを変えたくないなと思っています。幸い私が閉鎖的に居場所を守ろうとする人間だったら周囲の方が指摘してくれます。基本的にそういう考え方はしていないつもりですが「盲目的」になっていて「自分は正しい」と思い込んでいる部分もあるかもしれません。こうやって客観的に「閉鎖的な組織」を見ると自分はもっと考えていきたいかなければいけないなと思います。
何もありません。が、こうやって多くの報道を見ると考えさせられます。もちろん、これは一側面でしかない。分かっています。様々な立場から、様々な角度から物事を考えていけるようになりたいなと思います。上手くまとまりませんがこの辺りで。
都知事選挙が行われ新しい都知事が誕生しました。このプロセスを見ているとなかなか興味深いなと感じることがたくさんありました。政治的なことを書くつもりは全くありません。が、「閉鎖的な社会」が存在することを改めて感じる選挙戦だったのではないかと思います。実際に「どこを見ているか」というのは本当に重要なことだと思います。選挙に選ばれることが大事なのかどうか。当初から3人の候補者以外はほとんどマスコミでは報道されません。これだけ「差」がつくと他の候補者はどれだけ「理念」があっても対抗するのは不可能だと思いますね。メディアの取り上げ方の差は大きかった。まーこれは仕方ないのかもしれませんが。
ある候補者の応援演説の中で女性に対して「厚化粧」という言葉が出ました。いや、これはすでに「悪口」でしかありません。政策やこれからの都政をどうするかではなく「相手を誹謗中傷する」ことで落としてやろうというだけの話。ましてや「化粧」で他者から批判をされる必要はありません。私は若干(?)髪の毛が薄くなってきています。「あいつ髪の毛少なくなっているのに競技指導するのはどうなのか」と言われているのと同じです。余計なお世話。その前後の文脈もあると思いますがマスコミは「一部分」を切り取ってそこを面白おかしく取り上げます。この時点で女性候補には完全に追い風。
これからどうしていくのか。ここで選んでもらう必要があります。知名度で選ばれるというのはおかしい。衆議院選挙で当選した芸能人、「これから勉強します」という返答をしていました。いや、理念も知識も何もなく「選挙に出ました」というのでいいのか?「どうしてもやりたいこと」があるから立候補してそれをやるために活動するのではないのか。ここは私には理解できません。他者を蹴落として選ばれる方法。うーん。違うんじゃないか。
更には「女性候補を応援したら親族ともに処罰の対象」という文書がでたとのこと。「集団」として「規律無視」に近い行動はあったのかもしれません。が、「既存の組織」の中のルールの中だけで行動する。が、その「集団」のやっていることが本当に正しいかどうかは分かりません。その組織の中にいれば「居心地がいい」という部分もあるでしょうし、「守ってもらえる」という感覚はあるでしょう。閉鎖的な社会の中で何かをやろうとすれば「あいつは邪魔だ」という部分になるのかもしれません。が、このような文書を出せば「閉鎖的な社会です」と宣言するようなもの。それで周囲が応援してくれとは思えません。結局、「自滅」することになります。
「これまでこうだった」という考え方。これが一番楽です。が、本当にそこに意味があるのか。練習にしても「この練習をやっていた」というのが「本当に正しいか」は分かりません。客観的に見てそれが何を意味するのか。ここが分からなければ「自分の居場所を守る」ことにしかなりません。
今回の女性候補、「戦略家」だと思います。あえてマスコミを利用していた部分もあるでしょう。自分を攻撃する「閉鎖的な組織」と戦う。そういうヒロインのような感じだったのではないかと思います。だからこそ「無党派層」を引き付ける。さらにはこれまで「閉鎖的な組織」に疑問を思っていた「内部の者」も引き付ける。そのやり方が正しいかどうかは分かりませんが大きな成果を生んだのだけは確かです。
更に初登庁した時に「反発」をあからさまに示す。こえがマスコミを通じて全国に流れます。多くの人の「支持」を得て選ばれた都知事ですがそのやり方が気に入らない。自分たちの組織を批判されたということで「協力しない」というような姿勢を示す。これにより「あの組織はおかしい」と更に思われるのです。そのことに気づかないというのはどうなのか。ありえません。自分たちの取っている行動が「大人げない」と気づかないのか。その部分をさらにマスコミが取り上げ大バッシングになる。
これまで自分たちがやってきたこと。ここを否定される気分になるのかもしれません。良い部分もたくさんあるのだと思います。しかし、改善する部分もある。そこを認めることができる「器の大きさ」があるかどうかです。人は誰でも「自分が否定される」のを嫌います。当然の話です。だからといってそこの部分を指摘する人間を「敵だ」とみなして対応する。閉鎖的な社会の特徴ですね。
協力して新しいものを作り出す。この方がいいに決まっている。自分たちの立場や居場所を守ることが大切なのか。それとも選んでくれた人たちのために一生懸命に働くことが必要なのか。本当に大切なことから離れてしまっているのではないか。そんな簡単なことに気づかないであれこれやっていたら絶対に「選んだ人たち」の心は離れていきます。本当にやるべきことはなにか。どこを向いて生きていくのか。ここはすごく重要なことだと思います。
言葉足らずの部分もあると思います。が、私は「選手のために」というスタンスを変えたくないなと思っています。幸い私が閉鎖的に居場所を守ろうとする人間だったら周囲の方が指摘してくれます。基本的にそういう考え方はしていないつもりですが「盲目的」になっていて「自分は正しい」と思い込んでいる部分もあるかもしれません。こうやって客観的に「閉鎖的な組織」を見ると自分はもっと考えていきたいかなければいけないなと思います。
何もありません。が、こうやって多くの報道を見ると考えさせられます。もちろん、これは一側面でしかない。分かっています。様々な立場から、様々な角度から物事を考えていけるようになりたいなと思います。上手くまとまりませんがこの辺りで。