思うことを。
それぞれの立場から何を考えるか。そこは難しいと思う。矢面に立つ人もいれば、そこに対して不満を掲げる人もいる。誰かがやらなければ物事は進まない。ではその「誰か」に誰がなるのか。一つの物事を見ていて「良い」という意見もあれば「悪い」という意見もある。一側面からの意見だけになれば世の中は怖いことになる。独善的な人間になればそれさえも跳ね返すのかもしれないが。
戦場を状況を社会に伝えるのが必要だという考え方。少し前にニュースで取り上げられたがジャーナリストの方が3年近く武装集団に監禁されていて、解放されるために3億円近くのお金が支払われた。人の命はお金に換えられるものではない。1人の命が救われたことには本当に貴重なことだと思う。その半面、その命を救うために支払われた3億円により武装集団は新たな武器を手に入れる。それにより多くの命が失われることになる。1人の命を救うためのお金が複数の命を奪う原因となる。
どちらが正しいのか。それは分からない。個人的な感情だけでは答えは出せない。家族からすれば身内の命が救われることは何物にも代えられない。が、同時に他者の命が奪われ更に多くの人が悲しみに包まれる。それぞれの「立場」からの意見はある意味正しい。「自分の視点」から見たときに「正しい」のだから。世論とは全く別の感情が存在するのは当然の話だと思う。
どの側面からの意見なのか。ここは大きい。人はやはり「自分の立ち位置」で話をする。現場で働く者は「自分たちの働きやすさ」を求めるし、上に立つ者は「どうすれば多くの人に利益があるか」を考える。この部分は相反することだって当然生まれる。「世界平和を望む」というのは誰も同じ方向の意見かもしれない。が、人は目の前の自分の幸福を求めようとする。それにより「意見の対立」は必ず生まれる。
ここは絶対に埋まらない溝だと思う。ハロウィンでバカ騒ぎをする。本人たちはその場でワイワイやっていることが楽しい。そこから何かが生み出されるかどうかは別問題。「楽しい」からやっている。その「楽しさ」が他者を不快にさせていたり、多くの人間に迷惑をかけているという感覚は薄いのだと思う。軽トラをひっくり返ずという愚行は許されるものではない。「自分さえ楽しければ」という度が過ぎる。
今回、軽トラがひっくり返された時。「自分でその場に行ったのだから仕方ない」というようなコメントもあった。戦場に行って拉致されたジャーナリストと重なるのかもしれない。軽トラの運転手が「車で行って自分も盛り上がる」と考えて行ったのであれば仕方ないという考え方なのかも。道に迷って入り込んだという情報もあったのでどれが事実なのかはわからない。自分で軽トラで行ったとしても「自己責任」といわれる話ではない。なぜなら「人の所有物を破壊する」というのは「権利」ではないから。
身代金の話も同様。一番悪いのは「武装集団」だと思う。その集団が他者を攻撃するからこのようなトラブルが起きる。その集団が行っている行動を「正しい」と思い込まなければ他者を拉致してお金を手に入れようという行為は生まれない。これも「理想論」でしかないが。自分が正しいと独善的に考えるからこのような状況が生まれる。
何が正しいのか。ある人にとって「善」であってもある人にとっては「悪」になる。見ている視点からそれは180度変わる。「視野を広く持つ」というのはいつも言われることだが実際は難しい。それぞれの価値観があってどのようなフィルターを通して物事を見るかによって受け止め方も変わるから。戦争が生まれる要因は完全にここ。それぞれの意見が食い違うから生まれる。
書いている内容に「正解」は存在しない。哲学的な話になる。自分でも何を書きたかったのかよくわからなくなる。それでも「想うこと」を記しておきたいと強く思った。陸上競技の話とは少し異なる。それでも書いておこうと思ったので・・・。楽しくはない内容ですね。すみません。
それぞれの立場から何を考えるか。そこは難しいと思う。矢面に立つ人もいれば、そこに対して不満を掲げる人もいる。誰かがやらなければ物事は進まない。ではその「誰か」に誰がなるのか。一つの物事を見ていて「良い」という意見もあれば「悪い」という意見もある。一側面からの意見だけになれば世の中は怖いことになる。独善的な人間になればそれさえも跳ね返すのかもしれないが。
戦場を状況を社会に伝えるのが必要だという考え方。少し前にニュースで取り上げられたがジャーナリストの方が3年近く武装集団に監禁されていて、解放されるために3億円近くのお金が支払われた。人の命はお金に換えられるものではない。1人の命が救われたことには本当に貴重なことだと思う。その半面、その命を救うために支払われた3億円により武装集団は新たな武器を手に入れる。それにより多くの命が失われることになる。1人の命を救うためのお金が複数の命を奪う原因となる。
どちらが正しいのか。それは分からない。個人的な感情だけでは答えは出せない。家族からすれば身内の命が救われることは何物にも代えられない。が、同時に他者の命が奪われ更に多くの人が悲しみに包まれる。それぞれの「立場」からの意見はある意味正しい。「自分の視点」から見たときに「正しい」のだから。世論とは全く別の感情が存在するのは当然の話だと思う。
どの側面からの意見なのか。ここは大きい。人はやはり「自分の立ち位置」で話をする。現場で働く者は「自分たちの働きやすさ」を求めるし、上に立つ者は「どうすれば多くの人に利益があるか」を考える。この部分は相反することだって当然生まれる。「世界平和を望む」というのは誰も同じ方向の意見かもしれない。が、人は目の前の自分の幸福を求めようとする。それにより「意見の対立」は必ず生まれる。
ここは絶対に埋まらない溝だと思う。ハロウィンでバカ騒ぎをする。本人たちはその場でワイワイやっていることが楽しい。そこから何かが生み出されるかどうかは別問題。「楽しい」からやっている。その「楽しさ」が他者を不快にさせていたり、多くの人間に迷惑をかけているという感覚は薄いのだと思う。軽トラをひっくり返ずという愚行は許されるものではない。「自分さえ楽しければ」という度が過ぎる。
今回、軽トラがひっくり返された時。「自分でその場に行ったのだから仕方ない」というようなコメントもあった。戦場に行って拉致されたジャーナリストと重なるのかもしれない。軽トラの運転手が「車で行って自分も盛り上がる」と考えて行ったのであれば仕方ないという考え方なのかも。道に迷って入り込んだという情報もあったのでどれが事実なのかはわからない。自分で軽トラで行ったとしても「自己責任」といわれる話ではない。なぜなら「人の所有物を破壊する」というのは「権利」ではないから。
身代金の話も同様。一番悪いのは「武装集団」だと思う。その集団が他者を攻撃するからこのようなトラブルが起きる。その集団が行っている行動を「正しい」と思い込まなければ他者を拉致してお金を手に入れようという行為は生まれない。これも「理想論」でしかないが。自分が正しいと独善的に考えるからこのような状況が生まれる。
何が正しいのか。ある人にとって「善」であってもある人にとっては「悪」になる。見ている視点からそれは180度変わる。「視野を広く持つ」というのはいつも言われることだが実際は難しい。それぞれの価値観があってどのようなフィルターを通して物事を見るかによって受け止め方も変わるから。戦争が生まれる要因は完全にここ。それぞれの意見が食い違うから生まれる。
書いている内容に「正解」は存在しない。哲学的な話になる。自分でも何を書きたかったのかよくわからなくなる。それでも「想うこと」を記しておきたいと強く思った。陸上競技の話とは少し異なる。それでも書いておこうと思ったので・・・。楽しくはない内容ですね。すみません。