気持ちの整理のためにもある程度のことを書き続けておきたいと思います。できれば練習について書いておきたいのですが。
先日、練習を途中でやめて帰宅しました。前の記事に書いた内容にも関連します。かなり我慢しながらやっていました。耐え忍ぶ。ここを求められているのでそこに応じて我慢するしかないと感じていました。グッと堪えて。周りから見れば何も我慢していないじゃないかと思われるかもしれませんが。過去最高レベルで我慢していたと思っています。
台を使った練習を初めてやったのですが、練習メニューの内容を勝手にやり始める。何を狙いとしてやっているのか。狙いとする部分はどこなのか。練習の流れの中で何を求められているのか。そこが分からないままやっていく意味があるのか。メニューさえ提供すればそれで良いのか。「指導」とは「メニュー準備」なのか。空虚な気持ちがそこにありました。メニューさえあれば私かそこで指導をしなくても関係ないんだろうなと感じたのでメニューを持って帰りました。勤務時間が終わるまで我慢して。
帰る途中にgt先生の所に寄る。ストレス発散という感じでしょうか。抱え込んでいたら本当に鬱になるという感覚があります。自分で吐き出さないとやはり上手くいかない。溜め込むと爆発すると思います。自分の人生の時間。辛いなと思うことを我慢し続けるとどこかで糸が切れると思います。だからこそ何とかして発散したい。少しだけ愚痴って帰りました。その時にグチャグチャになったメニューが車の中にあったので一部渡して帰る。
その後、LINEが。メニューはよく考えてあるけど今の状態では消化できないだろう?という指摘が。まさにその通りです。やるだけにさえなっていない。こちらが狙いとするメニューはそこまでできていない。何人かにとっては「何をやっているのか分からない」という感じだと思います。
本当に速くなろうと思えば、かなり配慮された練習内容になっていると思います。それなりに自信はあります。しかし、それを実施する選手が何を求めているのかによって全く違う成果になると思います。「手をあげるように」と指示を出してとりあえず上げる。見た目は手は上に上がっています。しかし、肩の部分を意識して付け根から上げると先ほどよりも高く手が上がる。そこを体感させることもしてみました。「何をやるか」ではなく「どう意識してやるか」です。形さえ真似できない選手もいますが、何のためにその動きをやるのかを考えない限りは狙いにたどり着くこともできない。
走りの中で何を意識するか。軸を作るのは地面からしっかりと反発をもらう姿勢を作るためです。力が逃げるとどれだけ力を地面に加えてもロスが多くなります。それにより推進力に変えることができない。動きの中で体幹を締める感覚は必須。これを感じるために体幹トレーニングをかなりやっています。面白いメニューにはなりませんが。それでも工夫します。
その力をどう推進力に変えるのか。これはかなりです。段階的な台ドロップと片足ドロップをやってきました。地面からの力をフォロースイングで前方向に変えるための動き。大きな力を地面に加えるために身体の真下で地面をとらえる。そのタイミングでフォロースイングを前側に送ると。結果、進む。片足だけではホッピングのようになります。これをより走りに繋げていく。だから交互に行う。顕著です。走りが作れない選手は台から降りた時に前接地になります。さらにはフォローが遅れます。ここは見極めやすい部分かなと感じています。
「今の状態では消化できないだろう」というのは的を射ている。理由は簡単。狙いとしているところを全く理解していない中でやっているから。やりたい動きとスピード、スプリントに応じて台の位置は変わります。身長があればそれなりに伸ばさなければいけない。男子で一番狭い距離でやっている者がいます。間違いなく「何も考えずにやっている」のです。目に余るレベルでしたがもう何も言わないことにしました。
ここで細かい指摘をしても「分かっていない」からです。指摘しても何も変わらないだろうなと感じていたからです。与えられたメニューを消化することだけしかやっていない。何故その練習があって何を狙いとしていて、それをする事で何が変わるのか。それを考えることもない者に何を与えても絶対に変わらないからです。私がやりたいと切に願っている「競技」はここにはない。そう感じる事が重なりました。
少し時間を置いて別の活動を全員で観察させました。何をやっているのかを自分たちで見極めろと。実際問題、間違いなく効果はないと思います。きちんとやればそれなりに効果はあるかもしれません。しかし、正確性もなければ狙いもない。数歩やってあとは止める。そんな状態の動きを見て何を感じるのか。ここは大きい。
きっとやっている本人たちは「やっている」と思っているのでしょう。まーちょっと酷いなというレベルを大きく超えていたので何も言葉にはできない感じでしたが。「そこまでして速く走りたいとは思わない」という者もいると思います。そうであれば私がどれだけ本気になってメニューを組んでも効果は出ないと思います。
更にいえば比較対象が「自分よりやっていない者」であれば「やっていない」というのが分かります。安心感は出てくるでしょう。本当にやらなければいけないことはもっと上にあるとしても、やっていない者を見れば「自分はできている」と感じる。満足してしまうのです。本来やるべきことを100として下の者が50位(実際はもっと低いと感じていますが)やっている。そうであれば70やっている者は「自分はきちんとできている」と感じることになります。相対評価です。本当にやるべきところとの比較ではなくなる。100を目指してやりたいと思っていてもそこにたどり着くことができるか。
形だけ似ていても実際やっていることは全く違う。それはやっている本人たちには分からない。もっといえばそこまでして速くなろうという気はないのかもしれない。そこの部分はしっかりと考えなければいけないと思います。これだけの「幅」がある中で何をするか。
それでもメニューに関しては「本当に必要なこと」をやっていきたいと思います。このメニューの意味がどれだけ分かるのか。考えようとするのか。それは今は「効果が少ない」かもしれません。本気になって勝負したいと思ってくれる選手にとっては必ずプラスになると思います。方向性に関しては絶対に間違っていないと感じています。それを体現できる選手に出会えたり、選手が育ってくれさえすれば変わると思っています。
組み立ては変えないつもりです。すぐに成果が出るかどうかは分かりません。短絡的な結果を求めるのであればウエイトをやって量を増やして対応すればいいのかもしれません。しかし、本当の意味での競技をするためには「理解」が必要になると思っています。理解するのは難しいかもしれない。それでも興味関心を持っている選手にとっては今やっていることはかなら楽しい部分だと感じます。もちろん、それは今の時代には即さないのかもしれませんが。
まとまりません。とりあえずやっている事を記しておきます。