kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なるほどと感じる

2019-07-09 | 陸上競技
思う事を。
 
親しい方から新聞のコピーをもらいました。山口県出身でサッカーの元日本代表選手が書いたコラムです。「一流になるには思考も必要」というタイトルでした。どこが興味深い内容なのかは聞かずに見てみました。朝日新聞の内容です。
 
読んでいくと最後のまとめのところに
 
両立とは「好きなこと」と「やるべきこと」を両方やることだと考えています。将来の夢を定め、やりたいことに没頭するのはすばらしいけれど、夢でないことでも、「日々の一生懸命」を増やしていく。そういうメンタリティを子どもの頃から養うことが大切ではないでしょうか?
この意味ですね。何を思って書くのか。
 
目から鱗という話ではないですが。根本的な部分です。「好きなこと」と「やるべきこと」の両方があるのです。「好きなこと」だけをやって生きていくわけにはいかない。「好きなこと」をやるためには「やるべきこと」をきちんとクリアしなければいけないのです。
 
指導をしていて何か伝わらないモノがあるなとずっとずっと感じてきました。何を話しても何を伝えようとしても「変化」が見られない。これは指導の力不足なのだとずっと自分を責め続けていました。伝え方があるのではないかと。何か別のやり方をすれば「変化」が見られるのではないか。そう感じて人と関わるようにしてきました。が、それができない苦しさは尋常ではない感情でした。苦しい。
 
根底にあるもの。「両立」の根底である「一方が好きである」という部分。これがないのではないか?陸上競技が好きで、努力していくことで少しずつ自分の中で変化が生まれていく。これまでできなかったことができるようになって少しずつタイムが縮まっていく。ここに楽しさがある。そのの部分が根底にあるのだと思っています。
 
ここ最近の苦しさやもどかしさ。この根底が完全に崩れていたのではないか。勉強も練習の両立。練習にきちんと参加するためには嫌でも勉強をしなければいけない。速く走るためにはある程度キツくても練習をしなければいけない。速く走るためには避けて通れないのだから。
 
練習をやらない。ここに対しての理解がなかなかできない。基本的に私は陸上競技が好きで自分がどこまでできるのかを試したいと思って競技を続けてきました。これまで指導をしてきて「苦しい場面で力を出しきれない」という選手は数えきれないくらい見てきました。「強くなりたい」という前向きな気持ちと身体的精神的な「辛さ」に勝てずに力を抜いてしまう選手はいます。そういう時には前向きになれる言葉かけができます。頑張りきれないという部分に対しては理解していました。
 
が、この数ヶ月これとは全く違う感覚の中で指導というかグランドにいました。根底から覆されている。両立の片方である「好きなこと」がここにはないのではないかという疑問があったのですが、今回のこの記事を見てスッキリしました。「競技が好き」「強くなりたい」という感情が存在しないのではないか。そうであれば「どうすれば強くなるか」や「物事に対する取り組み方」を話しても意味がない。元々そういう気持ちが少ないのですが苦しい事をやる必要性がないのです。
 
mtm先生の所に練習に行った時、全員が前向きに練習に取り組んでいました。根本には「競技が好き」という想いがある。都会ですから田舎と違って選択肢は数えきれないくらいある。その選択肢の中から「陸上競技」を選ぶというのはどういうことか。好きなんだと思います。全員加入ではなくても入っているというのはそういうこと。「やりたくないならやらなければいい」という選択肢がある。それはどこでも同じだと思っています。
 
「やらされている」という部分が間違いなくある。もっといえば「適当にやりたいのにきちんとやる事を求められる」という部分さえあるのかもしれない。伝えたいことが伝わる可能性は皆無。当然の話だと思います。「好きなこと」をやるために「やるべきこと」をやらなければいけない。この根底が崩れているのであれば指導をする意味はない。エゴでも何でもない。
 
陸上競技がやりたくてグランドに来る。これが私の中では「当たり前」だと思っていました。そうではないという感覚がこの記事を読んで強くなりました。根底が違うのだからこちらが求めるのが悪い。もちろん、全員がそうだとは思いません。陸上競技が好きで強くなりたいと思っている選手も多数います。
 
この辺りの住み分けはきっとこれからの時代には必要になるんだと思います。少しだけスッキリしました。「何を言っているんだ」と思われるかもしれませんが。これくらいの話を主張する権利はあると思います。
 
尋常ではないストレスを感じています。それでも耐えるしかない。そう思って我慢しています。全く面白い内容が書けません。葛藤の中で活動。苦しいですね。
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全てが美談になる

2019-07-09 | 陸上競技
想いを書くほどのエネルギーがなくなっています。陸上競技がしたいと強く願いながらそこに至らない。blogがこんな感じなので「大丈夫なのか?」と心配されることがあります。正直、あまり大丈夫ではないです。これまで面識がなかったblogの閲覧者が学校に訪問してくださいました。申し訳ない限りです。このことはまた書けたらとは思います。
 
全国で高校野球が始まりました。その中でこんな記事がありました。
 
 
記事の内容があまりにも薄すぎてどういう状態だったのか分かりません。1年前に至るまでにどういう経緯があったのか。本当はそこがすごく大切。まー世間は「美談」が大好きです。その美談が美しくなくなる可能性がある内容は書かないと思います。「敗者の美学」が持ち上げられて勝ったチームにはほとんど注目されないというのがあります。負けたチームはその試合でしか取り上げることができない。勝ったチームは次の試合で負ければそこで取り上げればいい。それだけの話です。
 
記事の概要。練習試合で強豪校と試合をやって大差で負ける。その途中で「試合を諦めた」それを見た監督が「勝ちたいと言っていたじゃないか。「試合中に諦めるなら試合なんかする必要はないっ」と指導したら「理不尽だと感じて退部」という話になる。1週間後に諭されて復帰。そこからは練習を怠けなくなり、挨拶もするようになった。そして最後の大会を迎えて無事高校野球を終えることができた。
 
まー美談なのでしょう。様々な苦難を乗り越えて最後に大会を迎えて安打が打てたのだから。そういう意味では成長してやりきったという感覚になるのだと思います。
 
が、そこに至るまでの監督の気持ちはどうなのか。相手は強豪校だったのかもしれないが最後まで全力を尽くして試合をする必要がある。そこを指摘したことで「理不尽な指導」と感じられる。それで全員が退部。この時の監督はどんな気持ちだっただろうか。当たり前のことを当たり前に指導してそこに対して「理不尽」と言われる。
 
勝てなかったら諦めるのか。そうであれば優勝校以外はやらなければいい。明らかに力の差があるのはどの世界でも存在する。試合中に勝てないと感じて諦めたプレーをしていたら指導するというのが「理不尽」なのか。実際にやっている選手は「一緒運命やっているじゃないか」という感覚があったのだと思う。それを客観的に見たときに「できていないのでは?」と指摘する。自分ではやっているつもりになっている。だから指摘されると「やっているじゃないか」と感じる。
 
復帰した練習を怠けなくなった、挨拶を重視するようになった。これまで本当の意味で全力で取り組めていたのか?監督はその辺りをずっと見ていたから指摘したのではないか。事実関係はこれだけの記事では分かりません。結果的に最後の公式戦に出場してハッピーエンドとなりました。が、本当にそれで良かったのか。
 
喉元過ぎれば...。本人たちはその場の苦難を過ぎて納得できる形になったのだと思います。しかし、当時の監督の気持ちはどうだったのか。その時のもどかしさや苦悩は既に過去の物になっている。全くの美談ではない。終わり良ければ全て良し。こんな風潮がある。どれだけ嫌な想いをしたとしても監督だから我慢しなければいけない。大人だから。どれだけ嫌な想いをしたとしても耐える以外の何もない。
 
本当に美談なのでしょうか。生徒の成長として向き合って取り組んできたというのは素晴らしいことだとは思います。しかし、「押し殺された想い」はどこに行ったのか。耐えることだけ求められる。最後良い思い出になったからいいでしょう?!という話になる。そんなものなのかもしれない。
 
「生徒のために」「子供達のために」という大義名分を掲げる。そうであれば何でも許されるのか。押し殺された想いはグッとこらえて飲み込み続けなければいけないのか。何か指導すればそれに対して「理不尽だ」と言われるのであれば本当にやった分だけ損をすることになる。
 
一生懸命にやることを求める。当たり前のことを当たり前にやる事を求める。それが「理不尽」なのか。もちろん、この記事だけでは前後関係が分からないので何とも言えない部分があるが。しかし、実際問題現場ではその手のことが数え切れないくらいある。耐える事を求められる。それは当然のことのように。何か声を上げると「教員なのに」「やるのが当たり前「と言われる。そうなのかもしれない。
 
なかなか難しい世の中だと思う。全て「お子様が最優先」でなければいけない。そういう仕事なのだと思ってやるしかないのか。生活費を稼ぐためには耐え忍びながらやるしかないのか。勤務時間外であってもそれを受け入れるしかないのか。考えさせられる。
 
辞めずに向き合っていたらまた違う結果になったのではないか?そこには目が向かない。最後にヒットを打ったから良かったとなるのか。ストーリーを作って美談にする。駅伝が好まれるのもこの辺りか。
 
まー考えさせられる。
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