思う事を。
親しい方から新聞のコピーをもらいました。山口県出身でサッカーの元日本代表選手が書いたコラムです。「一流になるには思考も必要」というタイトルでした。どこが興味深い内容なのかは聞かずに見てみました。朝日新聞の内容です。
読んでいくと最後のまとめのところに
両立とは「好きなこと」と「やるべきこと」を両方やることだと考えています。将来の夢を定め、やりたいことに没頭するのはすばらしいけれど、夢でないことでも、「日々の一生懸命」を増やしていく。そういうメンタリティを子どもの頃から養うことが大切ではないでしょうか?
この意味ですね。何を思って書くのか。
目から鱗という話ではないですが。根本的な部分です。「好きなこと」と「やるべきこと」の両方があるのです。「好きなこと」だけをやって生きていくわけにはいかない。「好きなこと」をやるためには「やるべきこと」をきちんとクリアしなければいけないのです。
指導をしていて何か伝わらないモノがあるなとずっとずっと感じてきました。何を話しても何を伝えようとしても「変化」が見られない。これは指導の力不足なのだとずっと自分を責め続けていました。伝え方があるのではないかと。何か別のやり方をすれば「変化」が見られるのではないか。そう感じて人と関わるようにしてきました。が、それができない苦しさは尋常ではない感情でした。苦しい。
根底にあるもの。「両立」の根底である「一方が好きである」という部分。これがないのではないか?陸上競技が好きで、努力していくことで少しずつ自分の中で変化が生まれていく。これまでできなかったことができるようになって少しずつタイムが縮まっていく。ここに楽しさがある。そのの部分が根底にあるのだと思っています。
ここ最近の苦しさやもどかしさ。この根底が完全に崩れていたのではないか。勉強も練習の両立。練習にきちんと参加するためには嫌でも勉強をしなければいけない。速く走るためにはある程度キツくても練習をしなければいけない。速く走るためには避けて通れないのだから。
練習をやらない。ここに対しての理解がなかなかできない。基本的に私は陸上競技が好きで自分がどこまでできるのかを試したいと思って競技を続けてきました。これまで指導をしてきて「苦しい場面で力を出しきれない」という選手は数えきれないくらい見てきました。「強くなりたい」という前向きな気持ちと身体的精神的な「辛さ」に勝てずに力を抜いてしまう選手はいます。そういう時には前向きになれる言葉かけができます。頑張りきれないという部分に対しては理解していました。
が、この数ヶ月これとは全く違う感覚の中で指導というかグランドにいました。根底から覆されている。両立の片方である「好きなこと」がここにはないのではないかという疑問があったのですが、今回のこの記事を見てスッキリしました。「競技が好き」「強くなりたい」という感情が存在しないのではないか。そうであれば「どうすれば強くなるか」や「物事に対する取り組み方」を話しても意味がない。元々そういう気持ちが少ないのですが苦しい事をやる必要性がないのです。
mtm先生の所に練習に行った時、全員が前向きに練習に取り組んでいました。根本には「競技が好き」という想いがある。都会ですから田舎と違って選択肢は数えきれないくらいある。その選択肢の中から「陸上競技」を選ぶというのはどういうことか。好きなんだと思います。全員加入ではなくても入っているというのはそういうこと。「やりたくないならやらなければいい」という選択肢がある。それはどこでも同じだと思っています。
「やらされている」という部分が間違いなくある。もっといえば「適当にやりたいのにきちんとやる事を求められる」という部分さえあるのかもしれない。伝えたいことが伝わる可能性は皆無。当然の話だと思います。「好きなこと」をやるために「やるべきこと」をやらなければいけない。この根底が崩れているのであれば指導をする意味はない。エゴでも何でもない。
陸上競技がやりたくてグランドに来る。これが私の中では「当たり前」だと思っていました。そうではないという感覚がこの記事を読んで強くなりました。根底が違うのだからこちらが求めるのが悪い。もちろん、全員がそうだとは思いません。陸上競技が好きで強くなりたいと思っている選手も多数います。
この辺りの住み分けはきっとこれからの時代には必要になるんだと思います。少しだけスッキリしました。「何を言っているんだ」と思われるかもしれませんが。これくらいの話を主張する権利はあると思います。
尋常ではないストレスを感じています。それでも耐えるしかない。そう思って我慢しています。全く面白い内容が書けません。葛藤の中で活動。苦しいですね。