この数ヶ月、教育というもののあり方について考えさせられています。この歳になって今更かという気はしますが。基本的に色眼鏡で人を見ないように心がけています。変な先入観は持たないようにしたい。
ネットニュースになるこのような記事が出ていました。
応援歌の歌詞の中に「お前」という表現がある。それを子どもの前で呼ぶのはどうなのか。そういう価値観の中でモノを見ると「言葉遣いが悪い」ということになるのかもしれません。うーん。
この記事を呼んでかなり前のことを思い出しました。県合宿で話をしているときに無意識に「お前達は」はもいう表現をしたようです。それから数ヶ月経過して「あの時の表現はどうなのか」と電話で指摘されました。もう記憶にさえないことでした。一応「気をつけます」と応えましたが。
小学校などでは児童の名字を呼び捨てにしないというのがあると聞いたことがあります。「○○さん」と男女関係なく呼ぶように統一しようとか。時代の流れなのかもしれないですね。こうなったら注意するとか反省を促すなんてことをしようものなら吊し上げられるのでしょうね。
何故、うちの子を注意したのか。一生懸命やっていたではないか。悪気はなかったのに。魔がさしただけじゃないか。何とでも言えると思います。そうやって学校生活を送った子供達はさらに輪をかけて「自分達は何でもやれる」という感覚になる。
今のご時世、何かをすれば「○○ハラスメント」と言われます。周りが見てなんとも思わなくても本人が「そう感じた」といえばそれが「ハラスメント」として認識される。教育実習生が来たとしても注意することさえ危うい。
教育実習では授業参観をします。他の先生方が授業をしている様子を見て自分が行う研究事業に生かす。見ることは勉強になる。しかし、授業の開始直前に「見に行ってもいいか?」というのは失礼かなと思います。今回はいいけど次からは気をつけないとね、という話を諭しながらする。が、次も直前で言う。前に言ったよね?!と強く言うとそれが苦になって学校に来なくなる危険性がある。そうなると悪いのは注意した方になる。
GW明けにニュースで「退職届代行業務」が流行っていると言っていました。仕事を辞めるのだが自分では言いにくいのでお金を払って「代行業」に頼む。職場には挨拶もせずに仕事を辞めるというもの。もうなんでもありだなと感じました。厳しく言ったらそっちが悪いみたいな話になる。
正直疲れました。こんな中で何を伝えるのか。本人から保護者から周りから何も言われないようにする。そのためには本当に見て見ぬ振りをしていくのが1番。諭すというか「気をつけて」というだけで終わるのかもしれない。「提出期限に書類を提出しなかったら取りに帰らせる」と指導することがあります。本当に取りに帰らせます。しかし、この手の指導も「忘れたんだから仕方ないじゃないか」「べつに次の日でも良いじゃないか」と言い出したらそれで終わりかもしれない。
何をやってるんだろうか。今の仕事に本当に価値はあるのだろうか。見失いそうになります。
ノイジーマイノリティ。何でも言った者勝ちになる。それでこれから先世の中が回るなら私のような存在は「害悪」にしかならないのでしょう。
何をやっているのか。よく分かりません。