kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

やっていることの意味

2019-07-12 | 陸上競技

少しだけ練習について触れるようになっています。特別気持ちが前向きになっているというわけではないのですが。ある程度、まとめておかないと後で見直したときに今考えていることを忘れてしまいそうなので。感覚やアイディアはメモをしておきたい。全てが競技に繋がっているかどうかは分かりませんが。

 

基本的に競技について考えるのは好きです。ここ数か月、年間購読で注文している陸上関係の雑誌は袋から出ていません。それはどうなのかという話ですが。競技について考えるのは好きなのですがそれが今の状況にどのようにマッチングするか。イメージする動きが本当に意味があるのかどうかを考えるというのも必要だと思っています。陸上競技が好きなのか「突き詰めて考えること」が好きなのかはちょっとわかりにくくなっています。自分の中でよくわからない。

 

細かく考えずに練習をしてもそれなりに走れるようになると思います。やっている間に「筋力」も上がるでしょうし、基礎体力も向上していく。それにより気が付けば走れるようになる。しかし、それが「効率的かどうか」は別です。エネルギー効率から考えていくことで「前に進むためには何が必要か」は理解する必要があると思います。

 

この数か月間の最大の課題は「競技に対しての理解が不足する」という部分でした。根本的に「速く走ることに興味があるのかどうか」という根本的なところから見直さなければいけない。何度も書いていますが「お腹が空いていない」者に「美味しい料理」を提供しても「食べる」という行動にはつながらないのです。「速く走りたい」と思っていない者に「これをやったら力が上がる」と言っても実施する意味がなくなっていきます。

 

中学時代は「成長」の過程で自然に走れるようになっていきます。中学1年生の時に14秒台だった男子が3年生になったときには12秒台になる。指導によって2秒も伸びたとみることもできますが、実際は身長の伸びであったり身体が自然にできてきて走れるようになる。技術的な変化とは全く別問題だと思っています。ある一定水準に達した高校生は「成長」による記録の伸びは期待できません。「早熟型」というのはそういう部分です。ほかの選手よりも成長が早いので結果が出ている。ある時期から記録が伸びなくなる。それは「成長」が止まっているからです。

 

だからこそ「技術に対する理解」は必要だと思っています。何のためにその練習をやっているのか。やることで何が変わるのか。その動きができることで走り自体がどのように変化するのか。こういった部分が分かってくる。理論的に分かるようになると走れるようになってくると思っています。もちろん、そこには「感覚の変化」も必要になってきます。練習をやっている間に「身体感覚」が変わっていかなければいけないからです。

 

膝締め歩行をする。見ていると「全く何も考えずに足だけを上げている」という姿が見られます。周りがやっているから同じようの動きをしておけばいいかなという感じです。なぜ「膝を締める」という感覚が必要なのか。それが分かっていなければ多分意味はなくなります。道具を使って強制的に動きを作ることもあります。これも「タイミング」や「力の入れ方」が違っていれば効果は全く違います。

 

水曜日に「ハムストリングの補強」を少しやりました。地面に力を加えて腰を浮かすという動きです。ペアワークなので軸足をペアの選手が持っています。その時に「足を上げて勢いで腰を浮かせる」者がいます。本来であれば「地面を押して腰を浮かす」ことが狙いです。ハムストリングに負荷をかけたいので。それが「腰を浮かす」ことができればそれでいいと思って練習をしている。効果が全く違います。ハムストリングが進展しながら力を発揮する。そこにこの練習の狙いがあります。しかし、足を上げる勢いで腰を浮かせると多分どこにも負荷はかかりません。結局はこういう部分の積み重ねだと思っています。

 

「練習をしているのだから」と感じるかもしれません。これは仲の良い指導者によく言われるのですが「放っておけばいい」というところです。正確な練習をするほうが良い。そう思ってしつこく言いますが結局は何も変わらない。上述のように「速く走りたい」と思っていないのにそこまで考えて練習をする必要性がないからです。周囲がどれだけ「こうやってやったほうがいい」と言っても当の本人が「別にいい」と思っているのですからどれだけ必死に伝えようとしても伝わらない。

 

この歳になって青くさいことを言っているのは分かっています。本来であれば「全員が本気で取り組む」という姿勢の中でやっていきたい。理想論かもしれません。実際はそこまで必要とされていない。そうであれば必死になって「やっていることの意味」を伝え続ける必要はないのかもしれない。もちろん、「速くなりたい」と思ってやっている選手もたくさんいます。そこに対してはきちんとアプローチしていきたいと思っています。一つの方法では上手くできない可能性があるので様々な方法を考えながら自分に合った動きを身につけさせる。

 

比較的引き出しは多いほうだと思います。練習パターンが多いというのはそれだけ現場で選手を見てきて「こっちのほうが良いかも」と感じてきたからだと自負しています。あれこれやりすぎて感覚が狂うというのもあるのかもしれませんが、本質的な部分は全く変えていません。目指す動きがあってそれを身につけるための方法が幾つもあるというだけです。飽きさせないようにというのもありますが「いろいろな角度からのアプローチ」によって「やりたい動き」が身に付くのではないかと考えています。

 

うーん。またもまとまりがない内容になっています。自分自身の整理ができていないのかもしれません。直接的な表現を避けながら書いていくというのは非常に難しい。言葉を選びながらですから。

 

記録として残しておきます。

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迷路をつくる

2019-07-12 | 陸上競技
木曜日に学内メインの文化祭のようなものが実施されました。1年生は展示がメインという形になっていて、テスト終了後から1週間かけて少しずつ準備。月曜日まで授業があったのでそれ以後、教室に迷路を作るということに。
 
基本的に生徒に任せるようにしています。自分達で考えて自分達で何かをする。準備も役割分担も自分達でやらせむす。当然の話だとは思いますが。もちろん必要があれば手を貸します。迷路をダンポールで作るということだったので市内各地でダンボールをもらって回りました。これは私しかできないかなと。他の部分は任せる。
 
迷路を作る者、写真スポットを作る者、クラスの旗を作る者。大まかに分かれてあとはそれぞれの仕事が終わってから手伝うという形でした。それぞれグループが作られていました。
 
今更ながらもう少し写真を撮っておけばよかったなと思います。作成中の生徒たちの写真は撮っていたのですが完成物などはほとんど撮影していない。毎回のことですが勿体無かったなと。こういうものは最終的に破壊されます。ずっと置き続けることはできないので。
 
写真スポットを作るというテーマも同時に存在していました。大きな段ボールを使う部分とお花紙を使って装飾する部分。気がついたら折り紙などでハートを作ったりしていました。やる事は沢山あったのでヒマを持て余すということはなかった気はします。付きっ切りで見ていたわけではないので細かい部分は分かりませんが。
 
何もしないで終わるよりはバタバタでも何かやっている方が面白いと思います。ある程度完成してからは迷路に落書きを始めていましたが(笑)。迷路なのか落書きなのか分からなくなる。更には簡単にゴールしかけていたのでアスレチックのように変更。当日の朝は風船を膨らませていました。最後まであれこれやっていたので良いかなと。
 
やるからには時間を有効に使うべきだと思います。面倒だという生徒も多いと思いますが、世の中の大半は面倒です。やりたくないことをやることの方が圧倒的に多い。こうやって同年代の仲間と一緒に何かをやるというのは大切かなと思います。
 
あくまで私はサポート。もっと手伝えと言われるかもしれませんが。口うるさく言わなければいけなくなるので極力任せるようにしています。幸い何人かが中心になって進めてくれていたので助かりました。まだまだ幾つかイベントはあります。自己満足の行為から他者に何かを与えることができる行動に変わっていってくれたらと思います。
 
もう少し想うことはあるのですが抑え気味に書いておきます。加工はしていますが一応写真を少し載せておきます。一応テーマは私の家を探すということになっていました。迷路を出たら家に着くという感じで。コンセプトは果たせたかなと思います。
 
 
 
 
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