金曜日。他の人の力を借りながら。私の言葉がきちんと届かないのであれば他の人に話をしてもらうことも必要。迷惑をかけることになるのは分かっているが。それでも「同じことの繰り返し」をどこまで続けていくのか。その場限りの話をどれだけしても意味がない。個別に話すことも必要になる。それでも結局は「何が大切なのか」が分からなければ「繰り返される」ことになる。強い無力感も感じながら。
この日は40分授業の5時間。そのあと大掃除。推薦入試のために学校全体を掃除します。その後、生徒は校舎内立ち入り禁止。コロナの関係もあり消毒も必要になります。72時間以上経過するとウイルスが死滅するという話なので土曜日、日曜日、月曜日と3日間校舎内に基本生徒が入れなくなります。「万が一のことがあったら」という判断だと思います。活動はしにくい。難しい話ですね。
練習に関してはある程度時間の確保ができるのでそれなりに。本当にどこまでやるのかという感じがあります。怒られるから練習をするというのは違うと思います。誰のためにやるのか。何を目指してやるのか。ここが大きな部分。本当は練習開始時に話をしようと思っていたのですが別の業務があるので自分たちで始めさせました。
バランス系、上半身下半身、DM∞、ハードル股関節。走る練習が増えてくるとどうしても補強が減ってしまいます。この両立をしたい。が、バランスが非常に難しい。走練習をしっかりやろうと思えば時間が足りなくなる。ここを見極めていく必要がある。この日は加速段階の練習をメインに据えていたので加速段階T走をやってから加速ドリル。私がグランドに着いたときにはここをやっていました。
スタブロからの出。腰が進みません。DM投げをやっているのですがスタンディングからの動きには少しずつ変化が見えてもスタブロからの出はまだまだ変わりません。もちろん簡単にできるとは思っていませんが、もう少しつながりが生まれないといけない。少し時間をかけてDM投げとスタブロからの数歩をやりました。ブロックが押せない。膝の引き出しだけでは進めません。この部分をどのように身につけていくか。難しい。
ある程度やってからバトン走。表情が曇っている選手もいます。これではいい練習にはなりません。気持ちを切り替えるということも重要。が、そこが簡単にできない。「練習をしなければいけない」というような表現をしていました。残りの時間を考えたら「やらなければいけない」と感じるようです。これは良くないなと思っていました。
シャフト補強を終えて最後に話をしました。「感謝する」という話をする者が何人かいます。が、それは「他者から強制される」ものではない。謝ることに関しても感謝することに関しても喜ぶことに関しても「やりなさい」と言われてやるのでは「本当の意味」は発生しない。
何か問題が発生する。この時に誰が一番被害者になるか。「一生懸命にやりたい」と思っている者です。そのことを感じ取れるかどうか。怒られたから、注意をされたから落ち込む。涙を流す。別にそこから何かを生み出すのであればそれでいいですが。雰囲気で涙を流したり、過呼吸になるのは避けるべきだと思っています。そこから何かを生み出すことはないからです。悲壮感が漂う練習は効果はない。
前任校の話を少ししました。全員でマイルでインターハイにいくことを最大目標にしていた。その時の練習は今でも想像を絶するレベルでした。必死。でもその中で「自分が強くならなければインターハイにいけない」というのを何度も何度も口にする雰囲気がありました。そのときはその雰囲気に私自身が酔っている感じがあったと思います。実際は「悲壮感」がチーム全体を覆っていた。「前向きに強くなる」というのではなく「自分が強くならないといけない」と義務のようになっていた。これではいい練習にはなりません。
前の記事にも書きましたが、「やりたくないならやらなければいい」のです。「強くならなければいけない」という義務感でやるのではない。「強くなりたい」と思って取り組めるか。そこの部分は大きいかなと思っています。同じ練習をするのでも「嫌だけど走らなければいけない」と思うのか「これをやったら強くなれる」と思ってやるのか。
雨が降ったら練習が休みになる。これで喜ぶ部活動もあります。私からすれば「練習ができなくなった」と残念がるくらいの「想い」が必要だと思っています。「練習がしたい」と思っているのか。「嫌だけどやっている」のかの違い。やりたくないのならやっても意味がない。「やりたくないな」と思ってグランドに立っている者がいれば「本気でやりたい」と思っている選手の足を引っ張ることになる。自分たちの行動をしっかりとみなおしてみること。ここが重要だと思っています。
「やらなければいけない」という考え方を捨ててもらいたい。速く走れると「楽しい」から走るのです。原点はそこにある。もちろん、速くなるためには避けて通れない部分もあります。面白おかしい「楽しい」ではなく、日々変わっていく自分自身を「楽しい」と思えるかどうかです。
悲壮感はいらない。泣きながら練習するくらいならやらないほうがいい。もっと前向きに物事と向き合いたい。そう思います。