あまでうす日記

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水原一校注「平家物語上」を読んで

2016-07-03 10:53:17 | Weblog


照る日曇る日第875回

古典の注釈本はたくさん出ているが新潮日本古典集成新装版の最大の特色は、その校注もさることながら、文末に置かれた解説「平家物語への途」の素晴らしさにある。

氏はまず、この物語が「将門記」、「陸奥話記」に始まり、「保元物語」「平治物語」と進化してきた仏教的色彩を帯び、王朝文学の抒情美の伝統を吸収した中世古典の最高峰であると位置づける。

そして氏は、源平両氏の氏族としての系譜に遡るのであるが、清和天皇の皇子経基王に始まる「清和源氏」と桓武天皇の皇子葛原親王を祖とする「桓武平氏」を氏祖とする諸流派の動向を、巻末に掲載されている皇室貴族相関表や林望の「謹訳平家物語」に付された源平系譜図を眺めつつ走り読めば、この物語の主人公である武士飛躍の歴史的背景を十分に理解することができるだろう。

例えば源平の戦いでは最終的に源氏が平家を滅ぼして鎌倉幕府を創建し勝利を収めたことになっているが、まだその先がある。頼朝一族を根絶やしにし政権を乗っ取ったのは伊豆に蟠踞していた北条時政とその一族であったが、悪辣非道な北条氏を打倒してリベンジしたのは他ならぬ河内源氏の足利氏であった。

いずれにしても新興勢力の源平の武士は、白河院、鳥羽院が領導した院政の「番犬」として、じょじょに力を蓄えていくわけだが、七一代の御三条帝以降八一代の安徳帝に至る一代毎に、院政は天皇を藤原摂関家から奪い去り、院と三流の下級貴族が、外戚として権力を行使できる自由な政治空間が生じた。後白河院の番犬平家は、これに目をつけて巧妙に割り込み、遂に一時的な覇権を確立した、と氏は考えているようだ。

「院政の沼」に陰美な華を咲かせた美貌の皇后待賢門院璋子と美妃美福門院徳子が、政治を私して、無実の崇徳帝と藤原頼長を陥れるくだり、「保元の乱」で父と弟を処刑した源義朝が、「平治の乱」で絶望的なゲバルトに自爆するあたりの描写は、まるで後白河時代の傭兵の「決死の実存」に寄り添った同時代の物語作家のような筆致で、感動的ですらある。

氏が説くごとく、平氏も源氏も、明日なき今日に生き、そして死んだのだ。

このように本書は、「時代の勝利者平家の栄光は、武家の貴族化という逆説的な方法で達成されることになる」と結ばれる23ページの名解説を読むために購われるにふさわしい価値を持っているのである。


 「力強くこの道を行きし」男あり「希望ゆきわたる国」にて姿消したり 蝶人


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