照る日曇る日第883回
2000年を過ぎてからしばらく夢中になった短歌に飽きてきた頃、(私はなんでも2年で飽きるのです)、谷川俊太郎選手の詩と出会った。
もちろんそれまでにも彼の詩を読んでいなかった訳ではなかったが、当時朝日新聞に毎月1回連載されていた「今月の詩」というものを、まじまじと読んでみたのである。
するとそれが毎回格別難しい題材を取り扱うでもなく、するりと読める、なんてこともない作品ばかりだったので、私は「なんだ、これが我が国を代表する当代一の大詩人の作品なのかあ」と拍子抜けすると同時に、こんな「ゆるい」詩なら俺だって書けるんじゃないか」と嘯いて、突然詩を書いてみたくなった。
谷川俊太郎選手は、私に向かって、「あのねえ、詩なんて誰だって書けるんだよ。上手か下手か、そんなことなんて関係ない。書きたいことを書きたいように書けばいいんだよ。かっこつけないで、ほら、やってごらんよ」と挑発したのである。
忘れもしない2013年7月11日、私はその頃大好きだった「真っ赤な果実のビタミーナ」という清涼ドリンクを机の前に置いて、そういうタイトルの詩のようなものを一気呵成に書き下ろした。私が生まれて初めて書いた拙い詩であった。
それからちょうど3年経つのだが、私は谷川俊太郎選手、いな谷川俊太郎先生の御蔭で、飽きたり嫌になったりせずに、時々まだ下手くそな詩を自分流に書き続けている。
本書はそんな大恩人が60冊を越える2千数百の詩のなかから自選した173篇の詩集であるが、ツエルマットの麓から仰ぎ見るマッターホルンの秀峰のような壮麗さで私の眼前に聳え立っているような気がするのである。
真っ赤な果実のビタミーナ
うちの妻君が「水曜日だから、これ捨てるわよ」と言って台所の流しから持ち出したペットボトルに、私は待ったをかける。
あわてて彼女から赤いラベルのペットボトルを取り戻し、目の前に置く。
私はゴミ収集車が「♪エリーゼの為に」を鳴らしながらやって来るまでに、この詩を書き上げなければならない。
「真っ赤な果実のビタミーナ、ビタミンCたっぷり」
「おいしく摂れるビタミンC450mg」
と、そのボトルの包装ラベルには書かれている。
しかしそんなことはそうでもいいのだ。
ブドウ、グレープフルーツ、イチゴ、アセロラ、ラズベリー、ブラックカラント、トマトなどなど、いろんな果実がいっぱい入ったこの真っ赤な飲み物に、いま私は夢中なんだ。
私の眼を射るその独特の赤は、「ベサメ・ムーチョ」を絶唱する藤沢嵐子の頸動脈のように欲情に燃えあがり、
私の喉を潤すその味は、夜な夜な千夜一夜の物語を語り続けるシェヘラザード姫のつばのように、こってりと甘い。
おお、甘露甘露!
嵐子さん、あなたの赤を、私ははげしく欲する。
おお、甘露甘露!
シェヘラザード姫、あなたのつばきを、私は限りなく欲する。
西暦2003年7月8日の昼下がり。
ニイニイゼミが狂ったように鳴き始めた新宿南口の青空の下で、私は1本150円の「真っ赤な果実のビタミーナ」を飲む。
広場の真ん中で立ったまま、私はアラビアのロレンスのように、何本も何本も、とっかえひっかえ次々に飲み干す。
甘露甘露、真っ赤な果実のビタミーナ!
わが愛しき真っ赤な果実のビタミーナちゃん!
もう駄目だ。もう止められない。
Oh Yeah! 私は君に夢中なんだ。
待望の3000安打近きイチローのただ1打席のためにテレビつけてる 蝶人