あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「逗子能」をみて

2017-03-04 08:56:09 | Weblog


蝶人物見遊山記第232回
 

もう先月のことで旧聞に属しますが、逗子文化プラザの「なぎさホール」で開催された
能狂言公演に行って参りました。

3つのプログラムがありまして、はじめは仕舞「花筐狂」。これは同名の世阿弥の能の一部だと思うのですが、観世淳夫、谷本健吾、長山桂三、鵜澤光の地謡のバックの下で、円熟の観世銕之丞が謡い、舞いましたが、特にどうこういうべきものではありませんでした。

次はシテ野村万作、アド中村修一、小アド石田幸雄による夫婦喧嘩がテーマの「貰聟」です。
酒飲みの亭主と喧嘩して実家に戻った嫁がはじめは絶対に戻らないと舅に誓っていたのに、夫が迎えに来るとすぐに軟化して、夫婦で舅に対抗するのが面白い。しかしこの亭主は酒乱なので、またこういう漫画を繰り返すのではないでしょうか。
舅役の野村万作がすっかり好々爺に変身していたのにはびっくりでした。

トリは能の「安達原」です。陸奥国安達原に辿りついた熊野那智の巡礼僧(ワキ山伏、森常好、ワキツレ供山伏、森常太郎)が野中の一軒屋を見つけて、老婆に一夜の宿を求めます。

一行を快く招じ入れた老婆(前シテ、柴田稔)が、夜寒に暖を取るための薪を拾いに行った隙に、野村萬斎扮するアイ能力(下級僧)が老婆の閨を覗きこんだところ、そこには誰とも知れぬ死骸が累々!びっくりぽん!!

驚き慌てふためいているところに、鬼女(後シテ、柴田稔)の正体をあらわにしたくだんの老婆が戻ってきて死闘になるが、巡礼僧の法力によって、辛うじて祈り伏せることができました。ジャンジャンというお話です。

山伏の武器はというと、これがなんと数珠でして、二人の山伏が殺到する鬼女に向かって必死に数珠をジャラジャラ擦り合わせる。

そしてそのジャラジャラが、この場面で初めて参加する太鼓の原岡一之、大活躍の笛の松田弘之、大鼓の大川展良、小鼓の大山容子のカルテット、「花筐狂」に出演していた地謡の6名のヴォーカルに伴われて、ホール狭しと謡い、舞い踊り、吹き鳴らし、叩きに叩くめくるめく大パフーマンスには、完全に圧倒されてしまいました。

お能というと、訳の分からぬ長台詞に、ついついあくび連発のうえ居眠りしてしまう観客も多いのですが、能に突然狂言が乱入したり、出演者のゲバルトが繰り広げられるというこれくらい劇的な展開ですと、ハラハラドキドキの連続で、退屈している暇はありません。

けれども圧倒的に圧倒されつつも、私がじっと見つめていたのは当日の出演者の紅一点、眉目秀麗なる大山容子嬢の花も恥じるうるわしきかんばせでありました。
彼女の叩く小鼓の優美さ、そしてお隣の大鼓から発せられる鋭い高音の叫びこそが、この日のハイライトであったことは間違いありません。

タカラジェンヌの美貌を遥かに凌ぎ、超絶的に美しい大山嬢をかぶりつきから見物しながら、ふと思ったのは、かの世阿弥の失墜の理由でした。

足利義満に身も心も寵愛された当時の世阿弥は、今夜の大山嬢さながらの紅顔の美少年だったことでしょう。しかし義満とその後継ぎの義持が亡くなり、若き足利義教の代になると、すでに世阿弥は貫録のあるおじさん芸術家になっていた。

そこで義教が自分の思いのままになるお稚児さんに選んだのが、世阿弥の長男元雅よりも若くて、より美しい従兄弟の観世元重(音阿弥)だった。のではないでしょうか。

それは、その夜私の視線を釘付けにしたのが、あの有名な野村親子ではなく、紅一点の美女であったことからも、十分にガテンして頂ける仮説ではないかと思う次第であります。
ハッ、ポポポーン!

蛇足ながら野村萬斎の演技はいつも通りであったが、顔色の悪さは心配。過労なのか花粉症なのはかたまた悪質な病気なのか分からないが、あの様子は唯事にあらず。
好漢自重されよ。

  不都合はぜんぶ人になすりつけ自分勝手な屁理屈を言う 蝶人

コメント
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