あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ポール・オースター著・柴田元幸訳「冬の日誌」を読んで

2017-03-30 13:08:25 | Weblog


照る日曇る日第957回


林住期を迎えた作家が、厳冬のNYで勤勉に書き綴った過ぎ去りし日の思い出の数々。

とはいうても単なる回想録ではなく、時系列などは無視して、感興の赴くがままに主としておのが肉体に刻まれた思い出、例えば怪我や病歴、事故歴、住居歴、性愛歴、旅行歴等々を蝋燭の火をついでいくように訥々と語る。

家族一緒に乗っていたトヨタの車が、作家の運転ミスに拠って車体がグチャグチャになる交通事故を起こすシーンは身の毛がよだつ。

この事故に限らず、誰しもがほんのちょっとした偶然で死んでしまったり、九死に一生を拾ったりするのだ。私も昨夜はかなりヤバイことになりかけたが、幸い無事に終わって良かった。

それにしても21もの定住所をかくも克明に記憶しているとは、さすが作家だ。
私なんかは郷関を出て京都(田中西大久保町)、東京(奥沢、滝野川、東伏見、鶴巻町、大京町、四谷三丁目、代々木、千歳烏山、永福町)、横浜弘明寺、鎌倉の11か所にすぎないし、今となっては、その地のどこのアパートであったかも定かではない。

この本を読むと作家も何度か生死の境を彷徨っているようだ。
2002年にはパニック発作を起こしているが、それは極度に追い詰められた精神を、身体がその身代わりになって斃れてくれた所為だと語っていて、この解釈は私をおおいに頷かせた。

じつは私も彼と同じ2002年の5月に神戸で斃れて救急車でERに運ばれ、なんとか事なきを得たのだが、それは多忙の極にあって頭で受けた嫌で嫌で仕方がない仕事を、肉体が引き受けた結果であったということが、今になって分かったのである。もう遅過ぎるが。

蛇足ながら、1954年のNYワシントンスクエアのアンドレ・ケルテスの装丁写真が素晴らしい。


   3月も終わりに近づき朝ドラは連日回顧に専念している 蝶人
コメント
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